北別府学さんの葬儀 カープOBら別れ惜しむ

北別府学さんの葬儀 カープOBら別れ惜しむ

プロ野球、カープ一筋で19年間プレーし、エースとして球団最多の通算213勝をあげ6月16日に亡くなった北別府学さんの葬儀が広島市で営まれました。
北別府さんの葬儀は、19日午後、広島市中区の斎場で営まれ、親族や球団関係者などおよそ200人が参列しました。
祭壇は、北別府さんが活躍した旧広島市民球場のバックスクリーンのパネルを背景に白い花で球団の頭文字の「H」が作られ優しく微笑む北別府さんの遺影が飾られました。
葬儀では、北別府さんの2歳年上の大野豊さんが「現役時代はライバルでもあり、助け合いながらお互いに一目置く良き友でしたね。カープ球団生え抜き初の200勝投手、北別府学。その勇姿を忘れることは決してありません」と弔辞を述べ参列した人たちが北別府さんとの別れを惜しんでいました。
北別府さんは、現役時代、抜群のコントロールから「精密機械」と呼ばれ、エースとしてチームの黄金時代を支え、カープ一筋19年で球団最多の通算213勝をあげました。
現役を引退してからは、カープで投手コーチをつとめたほか野球教室や解説者として野球の振興に貢献し、3年前にがんを公表して治療を続けていましたが今月16日、65歳で亡くなりました。
最後に北別府さんの赤いひつぎを多くの球団OBが手を添えて車に乗せると参列した人が出棺の様子を手を合わせて見送っていました。

カープの4番として北別府さんとプレーした山本浩二さん(76)は、「亡くなるのが早すぎる。北別府投手が投げているときはよく打ったことを覚えていて、お互い投打の中心として頑張った。黄金時代を戦った戦友だ」と話していました。

北別府学さんの妻の広美さんが「北別府学を愛し、応援して下さったみなさまへ」と題してコメントを発表しました。
この中で広美さんは、「夫は、野球選手を引退した後、やりつくし症候群とでもいうのでしょうか、気が抜けたような日々を過ごしていた時期がありました」と振り返っています。
しかし、その後野球解説者などの仕事を通してファンのありがたさを実感するようになったといいます。
広美さんは、「現役時代は『結果さえ残せばファンはついてくる』という考えでした。それが、ファンのありがたさを実感するようになり、『ファンの声援があれば自分だけでは出てこない力が湧いてくる』『野球選手は常にファンの方を向いてプレーしなければならない』と話すようになりました。ブログを始めたのも、現役の時にはファンの皆さんとのつながりをもつことができなかったことに対する贖罪の思いもあったようです。自分でブログを書くことができなくなってからは、私に『インタビューをしてくれ』といって、その内容をアップし続けました。野球解説と番組出演の復帰を果たすため、夫は病との闘いに頑張ってまいりましたが、やっと楽になりました。これまで北別府学を愛し、応援し、支えてくださったみなさまに心からの感謝を申し上げます」と締めくくっています。