米兵捕虜処刑事件79年 日米遺族が犠牲者弔う法要 福岡市

終戦の年に福岡市で捕虜だったアメリカ軍の兵士が処刑された事件から79年。
20日、日米の遺族が参加して犠牲者を弔う法要が行われました。
太平洋戦争末期の1945年6月20日、福岡市で日本軍に捕らえられていた捕虜のアメリカ兵たちが裁判の手続きを経ることなく処刑されました。
1000人以上が犠牲になった福岡大空襲の翌日のできごとで、背景には報復の思いがあったとされています。
この日にあわせて福岡市城南区の「油山観音」で行われた慰霊の法要には同じ年の8月、別の事件で処刑されたアメリカ兵の孫らがオンラインで参加したほか、アメリカ兵を手にかけた元陸軍大尉の息子なども参列しました。
法要の中で、アメリカ兵の祖父を亡くしたヘザー・ブキャナンさんは戦争で多くの人が犠牲になってきた歴史にふれ、「平和は願うものではなく努力して得られるものだといいます。今回のような交流は私たちが望む平和を生み出すことにつながっていると思います」とスピーチしました。
また、4人のアメリカ兵を手にかけてBC級戦犯として服役した元陸軍大尉の息子の冬至克也さんは、父親が出所後に自宅に4体の地蔵を置いて祈りをささげるとともに、そのかたわらに小さな地蔵も置いて、亡くなったアメリカ兵の子孫が健やかに育つよう願っていたことを話しました。
そして、「きょうの私たちの出会いとこの地蔵は太平洋を越えた平和の証です。この平和が永遠に続くよう、私たちは力を尽くさなければいけません」と呼びかけると参加者から拍手が送られました。