ストーリーラグビー

将弥と伸弥 二人の不屈のラガーマン

2021-01-27 午後 06:00

高校時代からライバルとして切磋琢磨してきた、二人のラグビー選手。大学4年生で迎えたリーグ戦、ひとつのタックルを境に二人の人生は全く予期していなかった方向へ、大きく動いていった。

 

それから3年。ひとりは車いすに乗り、再びボールを追いかける日を目指してリハビリに励んでいる。もうひとりは、病を抱えながらトップリーグの舞台で汗を流す。互いが支えとなって、抗うことのできない壁に立ち向かう不屈の男たちが今語る思いとは。

ふたりの人生が変わった試合

2017年11月25日、京都・西京極陸上競技場で行われたラグビーの関西大学リーグ最終戦。中川将弥田中伸弥は、グラウンド上で対峙していた。力強い突進を見せる将弥は、京都産業大学のキャプテンでフッカー。対する伸弥は近畿大学のフランカーとして、鋭いタックルで相手を止める。

 

互いに強豪チームの不動のレギュラー。高校時代から何度も対戦してきた二人にとって、この日は大学生活最後のリーグ戦。試合は近畿大が前半4トライを挙げてリード。しかし後半に京産大も追い上げを見せる。

 

試合が行われた西京極陸上競技場

 

後半20分過ぎ。グラウンド中央でパスを受けた将弥に、伸弥の低く強烈なタックルが決まった。倒れた二人に両チームの選手が集まり密集でのボール争奪戦。

 

しかし間もなく、異変に気付いた伸弥たち選手の動きが止まる。将弥が、動かない。タックルを受け後方に倒れこんだ際、地面に体を強く打ち付けていた。ゲームが止まり、将弥は担架に乗せられグラウンドを後にした。

将弥の大けが、伸弥の病

救急病院へ運ばれた将弥。ベッドのそばのカーテンの向こう、医師と両親との会話が聞こえてきた。将弥は耳を疑った。

 

「息子さんはもう、体が動かないと思います。たぶん、一生寝たきり状態になるかもわかりません」

 

頸椎の損傷。トップリーグのチームへの入団が内定していた将弥にとって、あまりにも非常な宣告だった。その瞬間に流した涙を、将弥は今でも覚えている。

 

病院に運ばれた将弥さん

 

「(現実を)受け入れがたかったですね。ずっとラグビー一筋でやって来たので…。自分の体の一部が無くなるような気持ちになりました」

 

タックルをした伸弥に将弥のケガの状態が伝えられたのは、試合の3日後。すぐさま、大けがを負わせたことへの罪悪感が襲ってきた。

 

「(将弥に)ケガをさせてしまった。車いすの状況にさせてしまった。本当にショックで…。本当に、彼がよくなってほしいと、ずっと思っていました」

 

苦しむ伸弥に、更に想像もしていなかった事態が襲う。実はこのひと月前から、伸弥にはせきが止まらないと言う症状が出ていた。将弥との試合の2週間後、病院で検査を受けることになった。

 

「(検査の後)病棟の中がざわざわしていたんです。ちょっとこれやばいんちゃうか?みたいな。それで、今日は帰られへんで、と言われてそのまま入院することになって…」

 

病名は胚細胞性腫瘍」左右の肺の間にある「縦隔」という部分に悪性の腫瘍ができていた。すぐさま抗がん剤による治療が始まった。

 

互いに勇気づけられ

突然宣告された病。そして大切な友人に負わせてしまった大ケガ。伸弥は、あまりにも重い二つの現実を突きつけられていた。当時の心境を伸弥は次のように振り返る。

 

「そうですね…。いろいろ考えることがありすぎて、自分でもよくわからなくなっていましたね。一番考えたのは自分の病気、自分は生きられるのかということでしたけど、やっぱりそれと同時に、あいつ(将弥)のケガは大丈夫か。そういう気持ちになってきましたね」

 

抗がん剤の治療を続ける中、一時退院が許された伸弥が真っ先に向かったのは、将弥のいる病院だった。時間ができたら一番初めに行くと、治療中から決めていた。

 

田中伸弥さん

 

「自分も大変やけど、友達も大変やから。どっちかだけがよくなればいいな、じゃなくてどっちもホンマによくなればいいなと。やっぱりそれを本当に願っていました」

 

抗がん剤の治療中にもかかわらず、見舞いに来てくれた伸弥。薬の副作用のため髪の毛の多くは抜け落ちていたが、それ以外はかつてと変わらないよう振る舞うその姿に、将弥は勇気づけられたという。

 

中川将弥さん

 

「伸弥の方が僕よりすごい元気があったんですよ。だから彼は僕より頑張っていたんだなと感じました。抗がん剤治療も始まって髪の毛もなくなって、しんどいのに頑張っているんやなって。正直、すごい勇気が必要だったと思うんです、俺をケガさせてしまった、という思いもあったでしょうしね。それでも来てくれたのが、すごくうれしかったです」

再び立ち上がる

伸弥の姿を胸に刻み、将弥は過酷なリハビリに取り組み始めた。1か月以上寝たきりの状態からのスタート。最初は足の小指を動かす事から始めた。動かそうと思っても動かせないもどかしさ。それでも、己の体と格闘し続けた。

 

そして、医師に「もう体は動かない」と言われた日から1年がたったころ。車いすから立ち上がり、ゆっくりと足を動かす。右足、左足。

「よいしょ、よいしょ」

時にふらつきながらも、ゆっくり着実に歩を進める将弥の顔からは笑みがこぼれる。ついに、歩く事ができた将弥。背中を押してくれたのは、伸弥だった。

 

自らの足で立った将弥さん

 

「あいつもあいつなりで、死ぬか生きるか半分半分だったと思います。僕より正直きつい思いをしたかもしれない。僕は生きていたらチャンスがあるかも分からない。でもあいつは死ぬかも分からない状況でした。あいつが頑張っている姿を見たら、負けてられない。そういう気持ちになりました」

 

大ケガから3年余り。24歳になった将弥は、京都のメーカー、島津製作所で働いている。車いすでの生活は続いているが、会社のラグビー部「SHIMADZU Breakers」にフッカーとして籍を置いている。さらに、新たに車いすラグビーに挑戦しようと、現在チーム探しの真っ最中だ。

 

将弥さんはこれから車いすラグビーに本格的に挑戦する予定

 

「やるなら一番狙いたい」

 

初めて車いすラグビーの用具を手に取ると、将弥は満面の笑みでそう語った。

「タックルする姿を見てもらいたい」

2019年。伸弥の姿は再びグラウンドの上にあった。抗がん剤治療と手術を無事に終え、トップリーグの三菱重工相模原ダイナボアーズに入団したのだ。競技復帰を信じ、治療でグラウンドを離れている間も鍛錬に励んだ肉体は、大学4年時の登録体重より10㎏以上大きくなった。フランカーとして、外国人選手も含めた激しいポジション争いに身を投じている。

 

スクラムを組む伸弥さん

 

決して簡単ではない治療を乗り越え、グラウンドに戻ることができたのは、将弥の存在があったからだと振り返る。

 

「自分より辛いと言ってもいいぐらいの人が、将弥が間近にいました。だから絶対俺も諦めないで頑張ろうと、より強く思うことができました。」

 

入団当初は、タックルに入る際にためらいが生じることもあったという。しかし今はそれも吹っ切ることができた。むしろ、持ち味の低く鋭いタックルを将弥に見てもらうことが、モチベーションだ。

 

シーズン開幕を前に今日も汗を流す

 

「もう一度ラグビーをして、自分がタックルをしている姿を将弥に見てもらう事が恩返しになるし、勇気づけられると思うんです。絶対にタックルするぞという強い気持ち、そこから絶対に逃げない。もうそこに躊躇はないです。」

 

トップリーグは、コロナ禍の影響で昨シーズンは中止。今シーズンも開幕が1か月余り延期された。三菱重工相模原の初戦は2月21日の予定だ。トップリーグの舞台で、伸弥のタックルを見ることができるその日を、将弥は待ちわびている。

 

「例えば伸弥が遊びほうけてるとか、ラグビーに真摯に向き合っていないとか、そんな姿を僕が見ていたら、たぶん『何であんな奴に…』と言う気持ちになっていたと思うんです。でも伸弥はラグビーに真摯に向き合っています。病気とも戦って、今トップリーグで戦っている姿を見ると本当にかっこいいと思いますし、ひとりの人間として尊敬しています。だから、あいつとぶつかってケガをしたことは、逆に僕も誇らしい気持ちですよ。」

 

 

サンデースポーツ/サタデースポーツ

 

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