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特集 純烈 白川裕二郎 相撲部屋で学んだことで頑張れた

相撲 2021年1月8日(金) 午後6:00

4人組のスーパー銭湯アイドルとして人気絶頂の「純烈」のリードボーカル白川裕二郎さんは、元序二段の力士でした。ケガのために相撲を離れましたが、今も相撲への熱い思いを持つ白川さんに話を聞きました。

母親を喜ばせたいと入門

新弟子時代の白川さん (平成7年秋場所)

 

――どうして力士になろうと思ったのですか。


小さいときから親の影響で相撲をずっと見ていました。当時は千代の富士関が全盛期でした。あの小さい体で大きな相手に前褌を取って上手投げで勝ったりしてとにかく強かったです。テレビを親と一緒に見ていて、相撲を取ってみたいと思ったのです。


――相撲部屋のおかみさんに誘われたそうですが、どう思いましたか。


早く関取になって母親を喜ばせたいと思いました。父親は小学校6年のときに亡くなっていましたので、母親を喜ばせたいという思いでした。たくさんテレビに出て喜ばせたいという思いはありました。


――いよいよ入門しますが、細かったですね。


入ったときは72キロでした。身長は183センチで昔から高かったのですが、体重が増えない、いくら食べても太らなかったです。新弟子検査のときに体重が75キロに足りなかったので、ペットボトルの水を確か2リットルくらいは飲んだはずです。身長を測ってくれたのが憧れていた千代の富士関でした。引退されて親方でしたが、うれしくて早く上に上がって覚えてもらいたいと思いました。

大部屋生活も和気あいあい

笑顔で力士時代を振り返る白川さん(令和2年12月4日)
(11月に左肩のけん板断裂のため内視鏡手術を受けたため、患部を固定しています)

 

――朝日山部屋に入門して力士になりましたが、これまで育ってきた環境とは全く違いますね。戸惑いはなかったですか。

 

ありましたね。兄弟子の身の回りの世話をしたり、ちゃんこを作ったりして雑用がいろいろあります。起きるのもいちばん早いですし、寝るのもいちばん遅いです。電話番というのもあったりして、いろんなものが初めてでした。新鮮でしたが、衝撃的でもありましたね。いやだなと思うこともありました。でも、うちの部屋はフレンドリーというか和気あいあいでしたね。


――スタートした力士生活ですが、序ノ口からずっと勝ち越して順調でしたね。


下のときには自信があったのですが、稽古場で序二段の先輩や三段目の先輩と稽古をしても全く勝てなかったです。当たりは強かったですし、何回やっても勝てなかったです。踏み込みを速くしようとか、まわしを取っていこうとか思っても最初の当たりで負けてしまいました。序二段の真ん中から上位になると当たりも強く、圧力が違うと思いました。

綱ノ富士と自分で名付けたが、腰の痛みが悪化して引退

土俵で新序出世披露を受ける(平成7年秋場所)  前列右端が白川さん

 

――最初は本名で土俵に上がっていましたね。途中から綱ノ富士という四股名になりました。これは親方が考えたのですか。


私が考えたのです。出身地が横浜の綱島だったので、その綱を取って憧れの千代の富士から富士を付けました。何とかの富士を付けたいとずっと思っていたのです。


――初めて負け越したところで四股名を改めたのですね。


もともと持病で腰が悪かったのですが、無理をして稽古をしていたので腰に痛みが走るようになってしまいました。それでもさらしを巻いたりして稽古を続けていました。最後の場所は腰の痛みがかなり強く負け越してしまいました。「もういいや」と思って部屋を出て引退しました。せっかくいただいた綱ノ富士という四股名も使えないままでした。

純烈デビューも給料は年間数万円、しかし不思議な魅力で面白い

純烈は3回目のNHK紅白歌合戦出場を果たし、意欲的にライブ活動を続ける。
2月3日に新曲「君がそばにいるから」も発売予定。ライブで歌う白川さん(右端)(日本クラウン提供)

 

――今、振り返って思い出や教訓はありますか。


上下関係などのいろいろな事を教えてもらいました。そしていろんな事に対して我慢強くなりました。相撲を諦めて辞めてしまいましたが、相撲部屋で厳しさを学んだり、優しさを学んだりしたことで、純烈に入って我慢して頑張ることができるようになったと思います。


――力士を引退したあと、役者として、歌手として純烈のメンバーとして大活躍していますね。純烈では下積みで苦労したときもありましたね。


結成して10年ですが、何もなくてゼロからのスタートでした。歌うところもなければ、デビューもレコード会社も何も決まっていませんでした。私たちは戦隊ヒーローをやっていました。その戦隊ヒーローのファンの方々が最初は来てくれました。しかし1回見たらみんないなくなりました。あんなにかっこよかった人たちが、あんな歌を歌ってほしくないと言うのです。


――力士時代も序ノ口、序二段のときはガランとした国技館で、お客さんもほとんどいない中で相撲を取って給料もないですね。給料も自分の力で勝ち取らなければいけない世界です。純烈で苦労しているときに、そんな時代を思い出すことはありましたか。


もちろんお金はすごく欲しかったです。しかし純烈をやっていて苦しかったですが、1人ではないのでいろいろなことが楽しかったです。家賃を払うときにお金がないどうしよう、辞めたいと思ったのです。しかし純烈は不思議な魅力があって面白いな、もう少し続けてみようかという気持ちになるのです。

横綱のライバルがいない、大関陣に脅かしてもらいたい

――純烈として活躍されている白川さんにとって、大相撲はどう見えていますか。


外国の力士や、学生出身の力士が多いと思います。本当に相撲が未経験の方がはい上がって関取になることがあまりなくて寂しく感じています。横綱は白鵬関と鶴竜関がいますがライバルになるような力士がいないのかなと思います。以前だったら貴乃花関がいて、若乃花関、ハワイ勢の武蔵丸関、曙関がいました。ライバルの力士がたくさんいた時代を小さいときに見てわくわくしていました。頑張っている大関陣の朝乃山関や貴景勝関、正代関に横綱を脅かしてもらいたいです。楽しませてくれる相撲でもっと大相撲は盛り上がります。

 

次に誰が横綱になるかも楽しみです。さらに横綱を倒す面白い相撲を取ってくれる力士が出ればいいなとずっと思っています。

 

この記事を書いた人

北出 幸一

北出 幸一

相撲雑誌「NHK G-Media大相撲中継」編集長。元NHK記者。昭和の時代に横綱千代の富士、北勝海、大乃国らを取材し、NHKを定年退職後に相撲雑誌編集長となる。

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