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アスリートの何が変わった? 有森裕子×荻原健司が語る! スポーツ平成史・五輪 第3回

2019-02-27 午後 01:52

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返ります。
2月10日放送回のテーマは「オリンピック」。平成の30年でスポーツはどう進化をし、そして次の時代、どこへ向かってゆくのか。共にオリンピックのメダリストである有森裕子さん、荻原健司さんとともに探ります。

今回はアスリートたちの内面にどのような変化があったのか。昭和の時代「国を背負う」意識でオリンピックに臨むことが多かった「選手」たちが、平成になり「自己表現」し社会にも関わりを強める「アスリート」となっていきました。「アスリート」として、そして引退後は指導者や解説者などさまざまな立場でオリンピックと関わってきた有森さんと荻原さんは、どう感じているのか。早稲田大学の友添義則教授も加わって考えていきます。

スポーツで生きていくために

大越 まずは有森さんに聞いてみたいんです。昭和の時代の「選手」から、平成の時代に「アスリート」として自立をする存在になった、発信する存在になったということですが、その草分けが有森さんじゃなかったのかなと思うんです。有森さんは平成8年のアトランタ大会に前後して、「プロ化」を宣言されましたよね。当時はどういう心境だったんでしょう。

※有森さんは、当時JOCが一括で管理していた選手の「肖像権」を自主管理することを主張。実質的なプロランナー第1号となった。

 

有森さんは「肖像権」をめぐってJOCと戦った

 

有森 私は、自分が走るのは生きるためだったと思っています。「走って生きていこう」と思った時、今までの作られた環境の中ではなくて、自分の生き方は自分自身が求める、自分がやりたいことをしていきたいと思っただけなんですね。そうすると本来は当たり前にあるはずの、自分自身の「肖像権」の問題が出てきました。そこで「スポーツを通して生きていくことができない」っていう壁にぶつかったんですね。そういうところからですかね。「自分はこんなにスポーツを朝から晩までやって、オリンピックを目指している。でもこの先にはいったい何があるからやっているんだろう」という事をもっと考えるようになったんです。

 

大越 有森さんはシンプルに、スポーツをやる事が生活の糧になるのは当然じゃないかという考えだったんですよね。その有森さんの行動が持っていた意味を、友添先生はどんな風に見てらっしゃいますか。

 

早稲田大 友添教授

 

友添 90年代というのは、劇的に選手たちを取り巻く環境が変わった時代だったと思うんですね。つまり「プロとしてスポーツで飯を食っていく」人たちがたくさん出てきた。それは外国にもです。有森さんも荻原さんもよく海外遠征をして、そういう事実を目の当たりにしてくるわけです。そこで、単にコーチに言われたことを辛抱して黙々と練習するよりも、ちゃんと自分が自己主張していく。その中で競技を自分の生き方のひとつとして選んでいく。まさにアスリートは個人事業主であるんだ、自立化するんだという宣言。私は有森さんのプロ宣言をそのように受け取っています。

 

大越 有森さんは、当時いろんな「壁」にぶつかったとおっしゃいましたけれども、例えば競技のOB・OGからの批判があったりもしたんでしょうか。

 

有森 ありましたね。なんていうんでしょう?「スポーツはもっと純粋にしろ!」というか、「お金の亡者になって!」とか、「スポーツを使ってなんて事を!」みたいな事をですね。結構言われましたね。

 

大越 荻原さん、その時の状況から考えると現状はやっぱり大きく変化していますか。

 

 

荻原 もう完全に変わりましたよね。今のアスリートは自分の力を通じて、もちろん「商業的」にもですが、自分の「役割」というものを色々とを見いだしながら競技をやってますよね。

アスリートの言葉が持つメッセージ

アスリートが社会に対して発信するようになった平成の時代、有森さんと荻原さんも、オリンピックで印象的な言葉を発していました。

 

大越 まず経済的な地位の安定というものがあって、そして時代と共に強めていったのが「メッセージ性」の部分ですよね。先ほどの谷亮子さんもそうですけど、社会への関わりという面でアスリートたちが持つようになったメッセージ性というものをどう受け止めてらっしゃいますか。

 

アルベールビルで金メダルをとった荻原さん(右)

 

荻原 私は平成4年にアルベールビルオリンピックに初めて出るまでは、メッセージを社会に投げかけようなんて考えた事ありませんでした。純粋に選手をやっていればいいと思ったんです。ただ、オリンピックで金メダルをとったあとに、もうびっくりするほどファンレターが来るわけですね。そこに「荻原さん、本当にありがとうございました」っていう感謝の言葉がたくさんあって、初めて僕は自分がスポーツをする事で、見ず知らずの大多数の人たちが感謝をしてくれる体験をしたんです。そこで初めて社会と自分がつながった意識を持ちましたね。

 

大越 そんな荻原さんが平成6年のリレハンメル大会の後に言った、「印象的な言葉」があったんです。

「これで景気も吹っ飛ぶ。みんなで日本を築いていこう!」

という言葉なんですけど。

 

リレハンメル大会後の荻原さんの名言(?)

 

荻原 いやあ、こんなこと言ってましたね(笑)。あの、当時はバブル崩壊で日本経済がガクンと打ち込んでいた時なんですよね。これは2回目のオリンピックの時の言葉ですから、自分と社会がつながってるんだということもわかっていての発言です。ちょうどバブルがはじけて、なんか日本全体が元気がないなと。だから俺たちスポーツ界から元気を!みたいなことを思って発言したんだと思います。ちょっと忘れちゃいましたけど(笑)。

 

大越 有森さんの印象的な言葉と言えば、アトランタ大会で「初めて自分で自分をほめたい」とおっしゃいました。ここにいたるまでに、簡単には説明できない経緯があったとは思うんですけど、やっぱりその「メッセージ」という意味では、私たちにもこの言葉はものすごく届いたんですよ。この言葉は、有森さんの中でどこから出てきたんでしょう。

 

 

有森 あのメッセージがでた意味を話すと、結構長いんですよね。そこまでの過程があってのものなんです。とにかく誰が決めたわけでもない、自分自身がオリンピックに出るんだと決めて、いろいろ考えた末に結果を出せた。そこで自分自身は自分に対してこう思ったという事を、素直に誰の事も気にせずに言った言葉なんです。

 

 

有森 だから実は前後にも言葉があって、結構長いんですね。「何でもっと頑張れなかったんだろうと思うレースはしたくなかったし」っていう言葉が前にあるんですよ。それは本当に人がどう思おうが、自分自身がそアトランタに至るまでのことを振り返って、4年前のバルセロナからオリンピックという舞台に戻ってくるまですごく大変だったので。世の中からも「有森は代表から落ちるだろう」とか「もう選手をやめろ」とか「引退するんでしょ」とか言われて。だから世の中で言われてることに対して、「私は違う」という気持ちがものすごく強く生まれました。でも、そう思いながらも自分が本当にできるかどうか分からない。それでもオリンピックに戻ってきてちゃんと自分は結果を出せた。その自分に対する「納得」の言葉でしたね。

大越 やっぱりアスリートが自分というものを素直に出したことで、アスリートが社会への発信力そのものを持つ時代になった。それは今も脈々と生きてますよね。

 

友添 生きていますね。有森さんや荻原さんたちの時代が、今考えれば「起点」だったわけです。それまでは社会に対して発信するアスリートはあまりいなかったですからね。黙々と練習してスポーツ界の中だけで生きていく人たちが多かった。どうもこのお二人の時代あたりを起点にしながらね、社会とどうコミットするか、一生懸命どう発信をするか、むしろ社会を変えていくんだという選手たちが出てきたということですよね。

 



平成の終わり。今では、様々なアスリートたちがトレーニングにおいても自らコーチを選んで競技力を高めたり、スポーツ以外の場でもビジネスに参画するアスリートも現れるようにました。また、SNSなどで日常的にメッセージを発信し、社会に問題提起することも見られています。
そして、オリンピックでのインタビューでは毎回のように流行語が生まれています。来年の東京大会では、アスリートたちのどんな「メッセージ」が飛び出すのでしょうか。

 

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