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有森裕子×荻原健司 平成の五輪プレイバック! スポーツ平成史・五輪 第1回

2019-02-26 午後 0:31

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返りました。
2月10日放送回のテーマは「オリンピック」。

数々のドラマと感動を生み、平成を彩った4年に1度のスポーツの祭典、オリンピック。急速に進化を遂げる世界のライバルたちを前に、日本のアスリートは試行錯誤を繰り返し、メダルをつかみ取ってきました。平成の30年でスポーツはどう進化をし、そして次の時代、どこへ向かってゆくのか。共にオリンピックのメダリストである有森裕子さん、荻原健司さんとともに探ります。第1回の今回は平成のオリンピックの名場面を有森さん、荻原さんと一挙に振り返ります!

平成の五輪「レジェンド」がスタジオに!

ゲストは有森裕子さんと荻原健司さん

 

スタジオにゲストとして登場いただいた、有森裕子さん荻原健司さん。ともに2大会でメダルを獲得した、平成のオリンピックを振り返る上で欠かすことのできないアスリートです。

 

平成8年 アトランタ大会

 

女子マラソンの有森裕子さんは、25歳で出場した平成4年のバルセロナ大会で銀メダルを獲得。平成のオリンピック史に颯爽とデビューを果たしました。そして平成8年のアトランタ大会、2大会連続メダルとなる銅メダルを獲得しレース後のインタビューで語った、「初めて自分で自分をほめたいと思います」という言葉は流行語にもなりました。当時の自身を振り返りつつ、スポーツ界にとっての30年を振り返ってもらうと。

 

有森裕子さん

オリンピックに出た当時は、表情も言葉も含めて、自分の「正直な気持ち」をバンバン言ってた時代だなって思います。平成を振り返ると、スポーツというものが「社会」により近づきかけ始めた時代だったかなと思いますね。

 

平成6年 リレハンメル大会

 

荻原健司さんは双子の弟の次晴さんと共に、ジャンプとクロスカントリーの2種目で競う、スキーノルディック複合団体の中心的存在として活躍。平成4年のアルベールビル大会では日本勢として実に冬20年ぶりの金メダルを獲得。さらに平成6年のリレハンメル大会でも連覇。その偉業から「キング・オブ・スキー」とも呼ばれました。日本のウインタースポーツを代表するアスリートともいえる荻原さんから見た、スポーツ界にとっての平成とは。

 

荻原健司さん

スポーツ界として、30年たっても「スポーツの価値」は変わってないなって感じはします。でも当時の自分の映像を見て、「あれ?これ平成だったのかな?昭和じゃなかったかな!?」って、感じですね(笑)。

 

荻原さん、大丈夫です!完全に平成です(汗)!この2人と共に大越健介キャスター、副島萌生キャスター、自身も新体操でオリンピック2大会に出場した畠山愛理リポーターが平成のオリンピックを振り返っていきます。

平成の30年オリンピック名場面

副島 平成のオリンピックは夏に7回、冬に8回開かれました。まず振り返っていくのは平成4年のバルセロナ大会。フレッシュな10代のアスリートが躍動した大会でした。

 

平成4年 バルセロナ大会 岩崎恭子選手の金メダル

 

副島 競泳女子200メートル平泳ぎで、14歳の岩崎恭子選手の金メダル!世界があっと驚きました。レース直後のインタビューでの「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉で、時の人になりましたね。この岩崎さんが、日本選手としてのオリンピックメダル獲得の最年少記録(14歳0か月6日)となっています。

 

大越 有森さんはこのバルセロナオリンピック、ご自身も出てらっしゃいましたよね。岩崎さん金メダル獲得のニュースは、どこでご覧になっていましたか?

 

有森 その日はバルセロナじゃなくて、その手前のホストタウンにいたんです。そこでテレビをつけたら「うわっ!取っちゃったよ!」って。他の選手もみんなですごくびっくりしたのを覚えてますね。

 

副島 続いては冬季オリンピック。なんといっても平成10年の長野大会、日本は平和の祭典の舞台となり冬のスポーツに人々は大いに沸きました。

 

長野大会開会式 横綱・曙が土俵入り!

 

副島 昭和47年の札幌大会以来の日本開催の冬季オリンピックとなった長野大会。開会式では大相撲の横綱・曙が土俵入りするなど、印象的な演出もありました。

 

「日の丸飛行隊」の金に日本が沸いた!

 

副島 そして長野大会といえば、スキージャンプ男子ラージヒル団体の金メダル。原田雅彦選手がK点超えの大ジャンプを見せ、勝負は最終ジャンパーの船木和善選手に託されました。原田選手が「ふなき~」と震える声でこのジャンプを見守る姿も記憶に残っていますよね。そして船木選手も見事なジャンプを決め、日本は見事地元での金メダル獲得を果たしました。

 

大越 荻原さんはこの大会、日本選手団の主将だったんですよね。このジャンプ団体の感動的な場面はどんなお気持ちで見ていましたか。

 

荻原 原田さんは4年前のリレハンメルの団体を金を逃していたんですよね。その思いがあふれた涙でしたね。
(注:平成6年のリレハンメル大会、ジャンプ団体の最終ジャンパーだった原田選手の記録が伸びず、日本は銀メダルに終わった。)

 

長野パラリンピック開会式の日本選手団

 

副島 そして長野大会で印象深いのがパラリンピックです。日本は合計41個のメダルを獲得しました。これを機に一気にパラリンピックの認知度、知名度が高まりましたよね。

 

大越 有森さん、パラリンピックというものが日本で浸透したのは、この大会だったんじゃないでしょうかね。

 

有森 そうですね。わたしも当時現地に行ってたんですけれども、当時はやはりそこまでね、みなさん障害者スポーツに注目してなかった中で、長野大会では多くの人が会場に来て競技を見た、そしてはじめて知ったという声が一気に出てきた、そんな大会だったと思いますね。これが来年の東京にもつながってほしいです。


副島 
さあ21世紀になりまして、平成16年のアテネ大会です。日本にとって大きなブレークスルーとなった大会でした。スーパースターが誕生し、アスリートたちは次々と世界の壁を打ち破ります。

 

冨田選手の「栄光への架け橋」に歓喜

 

副島 体操男子団体は28年ぶりの金メダル。お家芸復活を印象づけました。冨田洋之選手の鉄棒の演技での「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という実況、思い出深いですよね。

 

吉田沙保里選手と伊調馨選手の伝説が始まった

 

副島 アテネ大会から正式種目となった女子レスリング。のちにリオ大会まで4連覇を達成する伊調馨選手、ロンドン大会までの3連覇に加えてリオ大会で銀メダルを獲得した吉田沙保里選手の活躍はここから始まったんですね。彼女たちをはじめとして、女子アスリートの躍進が光った大会でもありました。

 

荒川静香選手の「イナバウアー」

 

副島 そして冬、平成18年のトリノ大会で荒川静香選手が世界の壁を打ち破りました。このフィギュアスケート女子シングルでの金メダルを機に、フィギュアスケートの競技人口は急上昇。

 

浅田真央選手、羽生結弦選手に日本中が注目

 

副島 5年前のソチ大会は浅田真央選手の「伝説のフリー」と呼ばれる演技。そして羽生結弦選手はソチとピョンチャンでオリンピック連覇。今や日本はフィギュアスケートで世界トップレベルの強豪国となりました。

平成最後のオリンピックとなったのは、夏が、リオデジャネイロ大会。冬はピョンチャン大会。ともにメダル数で過去最多を記録した大会でした。


大越 
そして我が番組のリポーター、畠山愛理さんはロンドン、リオデジャネイロとオリンピックに新体操で出場しましたね。最初のオリンピックは17歳の高校生だったんですね。どんなこと覚えてますか?

 

リオ大会新体操団体 一番右が畠山リポーター

 

畠山 ずっと目標にしてた舞台だったので、すごく楽しみにしていたんですけれども、オリンピック直前になったら世界選手権と比べものにならないくらいの量の応援メッセージを頂いたんです。なので、今まで感じたことのない、ある意味「怖さ」っていうものが出てきた事をすごく覚えてますね。

平成のオリンピック 何が変わった?

大越 荻原さんは先ほど、平成の30年でも「スポーツの価値は不変」だとおっしゃいましたけれども、やっぱり時代の変化とともにいろんなことが変わってる部分もあると思うんですよね。その変わったものがあるとすれば何だと思いますか。

 

 

荻原 アスリートが社会との接点を見いだし始めたのかなと思います。そして今は完全に、アスリートが社会の中で何ができるかという事を深く考えながら競技をしているのではないかなと思います。

 

大越 有森さんはどんな考えをお持ちですか。

 

 

有森 そうですね。日本人がだんだんメダルをとれるようになってきた時代ということでしょうか。金メダルというのは少なくても、メダリストたちが増えてきました。そこでメダリストが「生きていこう」と思った時に、「社会にどう出ていくか」と考え始めたと。この流れが起こってきた時代だったのかなと思います。


まだまだ続くオリンピックの平成史。次回はアスリートと社会との関わりの変化についてさらに語っていきます!

 

 

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