ストーリーサッカー

カズと代表とワールドカップ 今語るあの瞬間 スポーツ平成史・サッカー 第4回

2019-03-14 午後 06:07

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返ります。
2月17日放送回のテーマは「サッカー」。幾多の苦難を乗り越え、挑戦の歩みを止めない日本サッカーの30年間を、平成の時代を「プロサッカー選手」として駆け抜けた“キングカズ”三浦知良選手とともに振り返ります。

第4回は平成の時代に大きな躍進を遂げたサッカー日本代表。カズさんは代表通算55得点をあげながら、ワールドカップには縁がありませんでした。2度にわたり、目前でその舞台への切符を逃したカズさんが思う、「ワールドカップ」への思いとは。

ドーハ つま先の記憶

平成5年10月 ドーハの悲劇

 

Jリーグ開幕の熱狂から半年も経っていない、平成5年10月28日。日本サッカーに訪れたのは「悲劇」だった。

カタール・ドーハで行われた、ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選の最終戦、日本対イラク。勝てば初のワールドカップ出場が決まる日本は、1点リードの後半アディショナルタイム、ショートコーナーからイラクに同点ゴールを決められた。日本選手たちは次々にピッチに倒れこみ、アメリカ行きへの切符はその手をすり抜けていった。この「ドーハの悲劇」のピッチ上、カズもまた失意の中にいた。

 

 

ラストプレーの失点。この時、カズはコーナーキックが蹴られた自陣左サイドで守備のポジションについていた。相手のショートコーナーに反応し、キッカーに寄せに行くがフェイントで切り返される。それでもクロスボールを上げさせまいと、懸命に足を伸ばしていた。しかしその足がボールをブロックすることはかなわなかった。

 

「はっきり覚えてますよ。もう、スローモーションのように。」

 

 

26年前の記憶、というよりもその瞬間の感覚を、カズは今でもはっきりと語ることができる。

 

「クロスボールが自分の足の上を通っていったんですよね。その瞬間は、まだゴールが入るかどうか分からないじゃないですか。でも、クロスをあげられた時にもう『ヤバい』と思いましたね。直感的にですが。そこから、日本のゴールにボールが吸い込まれていく時間は、何とも言えない感じでしたね。」

 

 

この悲劇から4年。いわゆる「ジョホールバルの歓喜」で日本がワールドカップ初出場を決めるまで、カズは代表のエースとして、ワールドカップへの思いを強く抱き続けた。時には批判を浴びながら。

 

そして平成10年夏。

ワールドカップ・フランス大会に挑む日本代表は、スイスで直前合宿に入っていた。そこにいたのはカズを含め25名の選手たち。対してワールドカップ本大会への登録は22名。ワールドカップ開幕8日前の6月2日。岡田武史監督は代表から外れる3名を発表した。

忘れるべきではない気持ちだと思う

代表を外れる3名を読み上げる岡田武史監督

 

「外れるのは、市川。カズ、三浦カズ。北澤。この3選手です。」

 

ワールドカップの舞台まで目前に迫った。しかし、またしてもその場所は、カズにとって遠かった。

そしてカズはフランスに向かったチームと別れ、日本に帰国した。

 

「サッカーの日本代表としての“誇り”、“魂”みたいなものは、向こうに置いてきたと思ってるんで。」

 

NHKでは6年前、カズがフットサルのワールドカップに挑む際にインタビューをしている。その際カズは、このフランス大会直前の代表落選に対して、「あのときの痛みは、今もあるんですよ」と語っていた。

あれから6年。フランスでの代表落選から21年。その痛みは、今も消えないのだろうか。

 

 

「それはもう一生消えないものだと思ってますよ。自分はあの痛みを抱えてやっていこうと、もう腹をくくってますから。ワールドカップがある度にね、やはりあの時のことは自分自身も思い出しますし、今でもワールドカップに出たい気持ちはあります。変わってないんでね、その意味では。あの時の気持ちは自分自身『忘れるべきではない』と思ってますから。今でも、自分自身でしっかり受け止めています。」

世界と戦う時代へ

ワールドカップ・フランス大会に臨んだ日本代表は、すべて1点差ながら3戦全敗で大会を終えた。
それでも、この一歩から日本のワールドカップでの戦いは始まった。フランス大会を含め、日本はワールドカップに6大会連続出場。日本代表にとってのワールドカップは今や出場するか否かではなく、どう強豪に挑んでいくかを目標とする場に変わっていった。

 

日韓大会、南アフリカ大会、ロシア大会で日本はベスト16へ

 

平成14年(2002)の日韓大会は、初戦・ベルギー戦で勝ち点獲得。続く2試合も連勝して初めてベスト16入りを果たす。その後、平成22年(2010)の南アフリカ大会、そして平成30年(2018)のロシア大会でもベスト16に進出。
平成の初めは「ワールドカップ出場」を目標としていた日本代表は、「ワールドカップベスト8」を現実的な目標として掲げるようになった。

さらにワールドカップへの出場を重ねるごとに、選手たちの目が海外へと向くようになり、ヨーロッパのリーグへの挑戦が続いている。

平成6年にカズが挑んだイタリアでは、中田英寿がローマでリーグ優勝を経験。長友佑都はインテルで、本田圭佑はミランでビッグクラブの重責にもまれながら戦った。また長谷部誠や香川真司はドイツで、岡崎慎司はイングランドでリーグ優勝に貢献。平成の初めには想像もできなかったことだが、今年のアジアカップ決勝では、日本代表のスタメン全員が海外組という出来事も起きた。

 

2019アジアカップ決勝の日本代表スタメン

 

平成から次の時代へ、世界への挑戦を続ける日本サッカーを、カズは見つめ続けている。

 

「僕がジェノアでプレーした後に、当時世界最高峰だったイタリアのセリエAにヒデ(中田英寿)が行き、そこで大活躍したことが大きかったですよね。そしてその後にどんどんつながっていったと思うんですけど、今はもう僕らの時代とは次元の違うところでやってると思いますよ。それはもう本当にみんながつなげていったんだと思いますし、その意味では日本サッカー界の力だと思います。これから先、バロンドール(世界最優秀選手賞)を取るぐらいの選手が出てくるんじゃないか、いや出てきてほしいです。そうすればワールドカップのベスト4、優勝ということも可能になってくるんじゃないかなと思いますね。」

もし、W杯に出場していたら

そしてカズは、今も21年前と変わっていない。どんな時でもその思いを問われれば「今でもワールドカップに出たい」と言ってはばからない。
カズが持つワールドカップへの強い思い。その思いを知る度に、こうも感じてしまう。

 

――もし、あの時フランス大会に出ていたら、50歳を超えた今も現役で走り続けるカズは、三浦知良はいただろうか。

 

仮定の質問、さらに現役選手に対して失礼な質問と承知の上でそう尋ねると、彼は一呼吸だけおいて、真っ直ぐ前を向いて答えた。

 

 

「いたと思います。ずっと続けてると思いますね。」

 

それはなぜか。

 

「自分自身、もうサッカーが大好きなんです。毎日トレーニングして、若い連中と争いながら試合に向けて調整して、週末を迎える。自分が試合に出るか出ないか、それは分からないにしても週末に向けて自分を調整していく。その生活が僕は好きです。自分にはそれしかないと思ってますから。」


走り続けるカズの背中。その背中は、ワールドカップでの日本の勝利につながっていた。
ロシア大会の背番号10、香川真司。平成元年生まれのミッドフィールダーはカズに憧れ、そしてカズに力をもらい、ワールドカップのピッチに立ちゴールネットを揺らした。

 


(次回に続く)

 

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!