ストーリーサッカー

カズが変えた日本サッカー プロとして、スターとして スポーツ平成史・サッカー 第3回

2019-03-13 午後 05:22

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返ります。
2月17日放送回のテーマは「サッカー」。幾多の苦難を乗り越え、挑戦の歩みを止めない日本サッカーの30年間を、平成の時代を「プロサッカー選手」として駆け抜けた“キングカズ”三浦知良選手とともに振り返ります。

第3回は、サッカー界が「プロ」になるために、カズさんが先頭を切って訴えたこと。そしてプロとして対峙したスターたちの思い出を語りました。

サッカーの「プロ」として

「プロフェッショナル」とは――。

三省堂の大辞林第三版によれば。
「それを職業として行うさま。専門的。また、その人。専門家。」とある。

 

ではサッカーにおいてはどうか。「サッカー選手として給料を得ている人」とするならば、Jリーグ発足前、昭和の時代にも実業団チームに所属しながら社業には関わらずサッカーを仕事とする、実質的にプロ契約をしている選手たちはいた。しかしサッカー協会をはじめとした周囲の環境や待遇、そして何より選手たちの姿勢は、まだまだ「アマチュア」的であった。少なくとも、カズの目にはそう映っていた。

そして平成の時代。ブラジルに渡りプロ選手となっていたカズという存在が、日本サッカー界に「プロ」とは何かを浸透させていった。

 

平成初頭、代表入りしたカズがサッカー界を変えた

 

昨シーズン限りで現役を引退した元・名古屋グランパスのゴールキーパー、楢﨑正剛。20代のころにカズと日本代表でともにプレーした彼は、カズの背中を見てこう感じたという。

 

「カズさんからは、選手側の意見を積極的に主張することなど、プロとしての『姿勢』を学ばせてもらいました」。

 

では、プロとしての姿勢とは何か。それを象徴するエピソードをカズは語ってくれた。平成2年。すでにブラジルでプロ選手として活躍していたカズは、日本代表チームに初めて参加するために帰国し、そこで衝撃を受けた。当時の代表チームには、大会で勝ったとしても選手に支払われるボーナスがなかったのだ。


「僕が平成2年に日本に帰ってきて日本代表になったとき、代表には半分くらいプロ契約の選手がいたんです。でも当時は大学生も代表に選ばれていて、協会の人から『大学生がいるから金は支払えない』って言われたんですよ。『そんなのあるわけないだろ!』って思いましたよ。今じゃ考えられないことじゃないですか。普通はプロの選手にすべて合わせるはずなんです。でも当時の協会の方は違うと、ボーナスは払えないという主張をしていた。」

 

 

「僕はプロとして、『僕らプロ選手をチームに呼ぶって事は、当然お金がかかる事なんだ。試合に出たり、トーナメントに出て勝ち進んで優勝しらボーナスを支給する。これがもうプロとして普通の姿なんだ』と言いました。他の国ではそうですし、当然ブラジルのクラブでもそうでしたし、そこにいた代表選手たちも当然そうでしたから。もうこれは主張しなきゃいけないって事で、協会の人たちと話しあいというか、もうケンカみたいでしたね。当時僕もまだ23歳か24歳で、こんなに丸くなかったですからね(笑)。」

 

若く血気盛んな代表選手と、サッカー協会幹部との「ケンカ」。カズから見れば、相手は親と子ほど年の離れた年齢であっても、選手の待遇にかかわるこの「ケンカ」は、プロとして言わなければいけないことだった。

 

「いやぁ、でもかなり言いましたね、もう本当に。それこそ当時の協会の上の方にいる人たちは、今の僕ぐらいの年齢、50代とかだったと思うんです。もしかしたらもうちょっと上だったかもしれませんけど。それで僕は23とか24歳。当時僕のことどう思ってたんでしょうね。ははは(笑)。でも、そう言った事によって協会の人から『そんなに言うなら勝ってみろ』って言われましてね。で、スポンサーがついた大会があって、日本代表がその大会に出て優勝したんですよ。それで初めて代表チームにボーナスが支給されたんです。それが平成3年の話です。」

 

平成3年 カズの活躍もあり日本代表はアジアカップを制覇

 
さらにカズが中心となり、練習道具などの管理を一手に引き受ける「ホペイロ」といわれる用具係を置くことなど、選手を取り巻く待遇の改善も訴えた。
 

「代表チームはサッカー界のトップですから。その場所は、やっぱり選手たちから憧れてもらうところでなきゃいけないんです。だからホペイロとか用具の管理のこととか、環境面は訴えましたね。」

 

 

こうした大会優勝に伴うボーナスの支給やホペイロの設置などは、代表チームだけでなくJリーグのチームにも徐々に広がっていった。すべてはいいプレーを見せるために、毅然と自分たちの要望を伝え発信していく。それこそまさに、カズが見せたプロとしての姿勢だった。

Jを彩ったスターたち

そしてカズもまた、Jリーグ黎明期に海外からやってきたスター選手たちに大きな刺激を受けていた。番組の中でカズはかつて自らがプレーしたブラジルからやってきた、二人のスターへの思いを語ってくれた。

 

ジーコ(鹿島アントラーズ)

 

一人目は、「サッカーの神様」ジーコ。

ワールドカップに3大会出場した元ブラジル代表のレジェンドは、鹿島アントラーズだけでなくJリーグを代表する、まさしくスターであった。当時すでに40歳を超えていたが、開幕戦ではいきなりハットトリック。「神様」と呼ばれるレベルの高さを見せてくれた。

 

「ジーコがやって来てくれて、あれだけのパフォーマンスをしてくれたことに本当に感謝したいなと思いますし、今見てもやっぱすごいなと思いますね。まあ敵チームの選手としては、当時は悔しかったですけどね(笑)。」

 

レオナルド(鹿島アントラーズ)

 

そして、ジーコの引退と入れ替わるように平成6年から鹿島にやってきたレオナルド。
ブラジル代表として直前のワールドカップ・アメリカ大会に出場していた彼は、その左足の卓越したテクニックでファンを魅了した。特に平成7年の横浜フリューゲルス戦、ゴール前で相手ディフェンダーを翻弄するように、リフティングでマークを外して決めたボレーシュートは、今でもファンの間で語り草になっている。そして鹿島での3年間のプレーの後、フランス、イタリアとヨーロッパのトップクラブへと羽ばたいていった。カズにとってレオナルドは、Jリーグでしのぎを削っただけでなく、若かりし頃にブラジルで同時期にプレーしたライバルでもあった。

 

「あの時代にレオナルドなんかも、よくJに来たなと思いますね。彼がフラメンゴでやってる時に僕もブラジルでプレーしてたので、対戦したこともありました。その頃からレオナルドは『将来のブラジル代表で活躍するだろう』って言われてたんですよ。その選手があの若さでJリーグに来たんですから、あの時代はすごかったんだなと思いますね。」

堂安が「これがスターなんだ」と感じた瞬間

2人のスーパーゴールの映像を見ながら、ライバルとして戦い共にJリーグを盛り上げたスターたちを懐かしんだカズ。しかし紛れもなく彼も、平成のサッカーファン、そして選手たちが憧れ続けるスターなのだ。現在日本代表として活躍するミッドフィールダー、20歳の堂安律は、12歳の時にテレビから流れたカズの姿に、「スター」という存在とは何かを感じたと話している。

 

平成23年3月。直前に起きた東日本大震災のチャリティーマッチとして行われた日本代表対Jリーグ選抜の試合。この試合にカズはJリーグ選抜の選手として途中出場。後半、味方のパスに抜け出して右足ダイレクトでシュート。日本代表の守るゴールを破った。そして、ゴール裏のファンの元に駆け寄り、踊った。震災に見舞われた日本を元気づけるために、多くの人が期待していた「カズダンス」。

 

日本を勇気づけたカズダンス

 

この瞬間を見た堂安の言葉だ。

「全国民が望んでいた中で決めた。これこそがスターなんだと思った。」

 

プロとして、スターとして平成の日本サッカーを引っ張ったカズ。彼が見せた姿が、今も多くの選手たちの道標になっている。


それでも、日本サッカーの平成史を語る上で欠かすことのできない舞台に、カズは立つことができていない。

それが、ワールドカップだった。

 


(次回に続く)

 

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