特集 「稀勢の里は特別だった」朝青龍が見た横綱 スポーツ平成史・大相撲 第3回

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返ります。2月24日放送回のテーマは「大相撲」。
この連載では時代の証言者として、元横綱・朝青龍さんが登場!相撲愛好家の能町みね子さんを交えて、30年の大相撲の歩みを振り返ります。
この回では、久々の日本出身横綱となり今年引退を迎えた稀勢の里への朝青龍さんの思い。そして、次の時代に解決しなければならない大相撲界の課題を考えます。
稀勢の里が語ったモンゴル勢への思い
平成の終盤、大相撲界を盛り上げたのは、14年ぶりの日本出身横綱となった稀勢の里でした。17歳で十両昇進、18歳で新入幕は横綱・貴乃花に次ぐ年少記録。「稀なる勢いで」番付を駆けあがってほしいと言う親方の願いを込めて、しこ名を本名の「萩原」から「稀勢の里」と改め、モンゴル勢が全盛の時代に日本出身力士として戦い続けました。
30歳で横綱になり、日本中の期待を一身に集める中臨んだ、平成29年春場所。12連勝で臨んだ13日目、日馬富士との取組で左胸の筋肉を負傷。そのケガを押して出場を続けた千秋楽、大関・照ノ富士に本割、優勝決定戦と2連勝し奇跡の優勝を果たしました。
そしてこれが、結果的に最後の優勝になりました。
この場所での負傷から力が戻ることはなく、8場所連続休場などを経て今年1月に引退を表明。
「土俵人生に一片の悔いもありません」と語った引退会見。そこで言葉にしたのは、長く自身の壁となってきたモンゴル出身のライバルたちへの思いでした。
稀勢の里
「自分を成長させてもらったのも、横綱・朝青龍関はじめ、モンゴルの横綱のおかげだと思っているところもありますし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。」
「稀勢の里は特別なんですよ」
稀勢の里の取組、そして引退への映像を見ている朝青龍さんは、どこか神妙な、切なさを感じさせる表情を浮かべていました。朝青龍さんは、稀勢の里に対して特別な感情を抱いていたと明かしました。
大越 稀勢の里さんから朝青龍さんの名前も出ていました。久々の日本出身横綱として、彼が感じていた重圧というものをどんな風に想像されますか。
朝青龍 そうですね、稀勢の里とはいろいろ思い出があるんですけどもね。自分が新横綱で初めて優勝した時(平成15年5月場所)のことなんですが、その場所の千秋楽、萩原(稀勢の里)はまだ三段目とかで、たしか決定戦で負けて優勝を逃してたんですよ。それで僕、彼を呼んだんですよね。萩原君を呼んで。当時の彼からは「気持ち」を感じたんです。悔しいっていう気持ちを。それでちょっと来いって言って。「お前、その気持ちを忘れるなよ」と。そしたらその3年後には彼が幕内に上がってきて当たったんですよね。やっぱりそこから何か感じるものがありましたよ、僕は。モンゴル勢というか、対戦相手に負けたくないって気持ち、悔しい気持ち、そういうものを感じたのは彼一人だけだったと思いますね。
大越 もともと対モンゴル勢とかじゃなくて、やっぱり勝ちたいという気持ちが強い力士だったと。
朝青龍 まっすぐ正直ですよね。僕もぶつけてこいと、負けたくないよって気持ちだったんですけども。彼がどんどん力をつけてきて、こっちも燃えないといけないしね。思い出はたくさんありますね。
朝青龍 やっぱり稀勢の里にしかないものがありましたね。他の力士では無理ですよ、はっきり言って。稀勢の里は特別なんですよ。根性、体勢とか体つき、相撲の流れ、生まれ持ったものです。僕らモンゴル勢がもしいなかったら、稀勢の里はかなり長い年月、横綱になってたと思いますね。
大越 でもモンゴルの皆さんが「いたからこそ」の横綱じゃないですか。
朝青龍 そうですね。いたからこそ、ですね。
大越 とても感謝されてましたからね。
朝青龍 こちらからも、逆に感謝したいですよ。
次の時代の大相撲へ
モンゴル勢の隆盛が続く中、相次ぐ不祥事が起き人気が低迷したのも平成の後半でした。土俵上の力士の活躍により、再び大相撲の人気は回復したとはいえ、これらの相次いだ問題を二度と起こさないための対策は、次の時代に積み残された課題といえるでしょう。
果たして平成の次の時代の大相撲はどうあるべきか。様々な意見を聞きました。
まず、国技館に足を運ぶ大相撲ファンたちは。
「ケガするのはしょうがないんですけど、ケガがひどい場合はドクターストップを強制的にかけるとか。」
「殴るのは良くない。親方がしっかりしてもらわないと。」
「日本人の横綱が誕生して、文化を広めて盛り上げてほしいです。」
平成の大横綱、貴乃花さん。日本相撲協会を退職後、大学で大相撲の未来に関する特別講義などを行っています。
貴乃花さん
「いかに興味を持って下さるお子さんがいらっしゃるか。私が今まで土俵で学んできたことを少なからず、教えられたらなと、思います。力士がまた、数多く輩出してくれれば、また面白い相撲が増えるのではないかと思います。」
そして今の大相撲界を引っ張る横綱・白鵬は。
横綱・白鵬
「平成に育ててもらいました。色々ありましたけど。笑いあり涙あり。壁になりつつ次の若手を育てていくのは、自分の残りの相撲人生の宿命だと思います。」
大越 ファンからの声では、今の力士はケガが多いという意見が多く出ていました。その問題を克服するには、朝青龍さん何が必要だと思いますか。
朝青龍 まず四股を踏む若手が少ないと思うんです。僕もそうだったんですけどね。その基本動作をやるのは嫌だけれども、本当にそれだけはしっかりやってほしいなと。四股を踏んだりすり足をやったり、基本動作が一番大事なんで。あとは努力ですね。ぼくは倍の稽古をやってたんですよ、何でも倍以上の稽古。例えば他の力士が腕立て1日100回だったら僕は500回とか。テッポウ200回だったら600回とか。あとは大横綱たちと相撲を取るイメージをする、昼も夜も夢に出てくるくらいイメージをすることですね。
朝青龍 それぐらいの「LOVE」、「相撲LOVE」を持ってほしい。そうすると、やっぱりその世代の中から誰かが飛び出てくる。そして追いかけてくる力士たちが出てくると思います。
大越 能町さんは次の時代に何を望みますか。
能町 もちろんけがの対策も協会は考えてほしいなと思ってます。あと新しい力士もどんどん出てきてますのでね。新しい時代のスター。今、朝青龍さんの甥っ子の豊昇龍という力士が幕下で生き生きしてますので、その辺にも注目してほしいですね。
大越 お二人とお話して、やっぱりこれからの相撲人気は、若い人たちにもたくさん相撲を愛してほしいなと思いました。ありがとうございました!
平成最後の本場所となった、3月の春場所。最も話題をさらったのは、かつて貴乃花さんの指導を受けた幕内最年少の22歳、貴景勝の大関昇進でした。そして横綱・白鵬が全勝で42度目の優勝。数々の記録を作ってきた横綱が、きっちりと平成の大相撲を締めくくりました。
まもなく始まる「令和」の時代の大相撲。かつて平成の初めに「新しい時代の扉を開いた」と形容された貴花田のような力士は現れるのか。
大相撲界は、新しい時代へと突き進んでいきます。
(了)