永田務 メダリストが「新人」に! 挑戦の理由は ~Next Stage 第4回~

新潟市の永田務選手は東京パラリンピック、マラソンの銅メダリスト。さらに上を目指していたアスリートが突然、競技を変更しました。選んだのはトライアスロン。

シリーズ”アスリートたちのNext Stage” 第4回では、この春から新たな競技に挑戦する「新人」を取材しました。(※2023年4月13日スポーツオンライン掲載)


希望にあふれた日々から絶望感へ


永田選手は東京パラリンピックで銅メダルを獲得。ふるさと新潟で「県民栄誉賞」を贈られるなど、注目を集めました。パラリンピックにもっと注目してもらえるよう、機会あるごとに発言し、マラソンでさらに上を目指す思いを「挑戦」ということばで語りました。

希望と自信にあふれた日々。

次の目標を「世界新記録」に定め、トレーニングを続けていた時、自分が出場したT46(上肢障害のクラス)がパリパラリンピックでは実施されないことが発表されました。

<永田選手>
『除外される』と最初に聞いたときは笑ってしまったんです。いろんな経験ができればと思って、パラリンピックに挑戦しましたが、まさか『除外』まで経験できるとは!そう考えた後、どんどん絶望感と切なさが襲ってきました」


支えてくれた人たちへの思い


新潟県村上市出身の39歳。陸上自衛隊高田駐屯地の陸上部を経てふるさと村上市の企業に勤めながらマラソンランナーとして活動していました。

2010年12月、勤務中の事故で大けがを負い、右腕に障害が残りました。その後もランナーとして活動を続ける中、大けがのあと、働き始めた新潟県障害者交流センターなどの後押しを受けてパラマラソン競技に挑戦しました。2021年、東京パラリンピックで銅メダルを獲得しました。しかし…。

自分のクラスが「除外」となり、「世間から取り残されていくような」心境になったという永田選手の頭に浮かんだのはマラソンでサポートをしてくれた人たちの顔でした。「世界新記録を出して金メダルをとる」と支援者に約束をした永田選手。約束を果たす道が突然、閉ざされてしまいました。


競技変更!トライアスロンへの挑戦


そこで決意したのが、パラトライアスロンへの転向。ことし3月でした。

「自分はパラマラソンの第一人者」
「競技者であることを示し続けたい」

支援者への約束を「新しい『挑戦』で果たしたい」という思いがメダリストの「新人」を生み出しました。

なぜトライアスロンなのか。永田選手は100キロを走る「ウルトラマラソン」の世界選手権の出場経験もあります。過酷なレースを完走し、達成感に満ちあふれるゴールシーンにひかれたといいます。また、ふるさと村上市では毎年、景勝地「笹川流れ」を舞台に人気のトライアスロン大会が開かれ、「いつか挑戦してみたい」と思っていたということです。

<永田選手>
苦しさの先に『生きている』ということを感じる競技に惹かれる性格なんだと思います(笑)。3種目という長い戦いの先にあるゴールの達成感というのは『ウルトラマラソン』と同等のものがあるのかなと思っています。ゴールシーンを想像すると今からわくわくします」


課題はスイム「甘くない世界」


課題となるのほぼ未経験だというスイム。新潟市にあるトライアスロンのクラブチームの練習に参加し始めましたが、今は周りについて行くのがやっとです。

永田選手>
「体力さえあれば速く泳げるわけじゃないということを感じます。走ったら自分の方が速いと思うのに、周りの方と大きな差がついて、『甘くない世界』だなと。大会にでるまでには苦手意識をなくしたい」

ーーー右腕は泳ぎに影響ある?

永田選手>
「めちゃめちゃあります。ちょっと泳いだだけで右腕は本当に上がらなくなります。走っているときはそこまで自分の障害を重く感じたことはないが、泳ぎになると右腕と左腕の差をすごく感じます。でも、自分は障害を理由に遅いとは思いたくないので、そうは言っていられない。一緒に練習している方全員を追い越すつもりで今後も練習していきます」

マラソンの自己ベストは2時間23分台。永田選手はパラリンピックメダリストのプライドを持ち続けています。ことしで39歳を迎えますが、初めて本格的に取り組む競技だからこそ自分に『伸びしろ』があると考えています。

<永田選手>
「水泳の練習は今までやってこなかったので、今後落ちることはないじゃないですか。陸上5000メートルでベスト出せって言われたらちょっと大変ですけど、水泳ならこれから何回でも自己ベストを更新できるんだろうなと思うとわくわくします。体力の面では自分はまだまだいけると思っています」


支えてくれる人のために活躍し続けたい


永田選手の銅メダルは去年3月まで働いていた「新潟県障害者交流センター」で飾られていました。施設を訪れる人たちの大きな励みになり、永田選手は、自分の頑張りが周りの人たちに勇気を与えることができると実感しました。トライアスロンではまだ実績のない「新人」ですが、今度は金メダルを持ち帰るという決意を胸に秘めています。

<永田選手>
「自分はまだ金メダルという約束を果たせていない。もう1度活躍することで交流センターのみなさんやサポートをしてくれる人に感謝を伝えたい。パラの世界では『永田』はマラソンの選手だと思われていると思う。トライアスロンで世界を驚かせたいと密かに思っています」


この記事を書いた人

猪飼 蒼梧 記者 令和元年入局。

新潟放送局を経て、現在名古屋放送局でスポーツを担当。
学生時代は競泳やライフセーバーとしての活動に打ち込み、足腰の強さには自信があります。