特集 中野修源・経清 双子の柔道家 “フィリピン代表”でオリンピックを目指す

去年12月に開催された柔道の国際大会、グランドスラム東京。パリオリンピックを見据え、国内外の選手がしのぎを削るなかに、双子の柔道家、中野修源選手(兄)・経清選手(弟)はいた。日本で生まれ育ち、フィリピン国籍を持つ2人が目指すのは「フィリピン代表」としてのオリンピック出場。その胸の内は…。
兄弟で切磋琢磨
中野兄弟は岩手県沿岸の野田村出身。父親が日本人で、母親がフィリピン人。小学3年生の時、地元の道場で柔道を始めた。
中学2年生だった2011年、東日本大震災を経験。野田村にも大津波が押し寄せ、家族は無事だったものの自宅は全壊した。
東日本大震災で被災した自宅
被害を受けて、地元に残るべきかどうか悩んだ2人。
そんな中、岩手県内の強豪で知られる盛岡市の高校の監督に誘われ、もっと柔道が強くなりたいと進学を決意。厳しい練習を重ね、高校総体の県予選決勝では、双子で優勝を争うこともあった。
高校時代の経清選手(弟・左)と修源選手(兄・右)
大学進学後も柔道を続けた2人は大きな決断をした。母親の母国、フィリピンの代表チームに加わったのだ。その道しるべとなったのが、2人の兄で現在コーチを務める中野亨道さんだった。
コーチを務める長兄の亨道さん
亨道さんは、2016年のリオデジャネイロオリンピックに男子81キロ級のフィリピン代表として出場。2人はそのあとを追って、2017年から国際大会に本格的に参加するようになった。
双子の弟・経清選手
今度は『自分たちが』という気持ちになりました。一番上の兄がコーチとなって、兄弟3人でオリンピックを目指そうとなって。3人でオリンピックに行くのが夢であり、目標でした。
「フィリピン代表」葛藤の日々
しかし、大学卒業を間近に控え、東京オリンピックを目指して柔道を続けていた2019年。思わぬ事態が起きた。国際大会を転戦し、長期間日本を離れていたことなどから、卒業後の所属先に決まっていた企業から指摘を受け、就職を断念せざるを得なくなった。
大学卒業を機に、みずから練習場所を探し歩くことになった2人。アルバイトで生活費をまかないながらスポンサーを探し、何十社もの企業と連絡を取って営業活動を続けた。しかし、壁となったのは「日本代表」ではなく「フィリピン代表」としてオリンピックを目指すということだった。
弟の経清選手
双子の弟・経清選手
会っても『応援したいんだけど、フィリピン代表だよね』『うちは日本企業だから』というのがほとんどでした。国の壁を感じたところでした。
家族など限られた人にしか相談できず精神的に追い込まれ、競技にも集中できない日々。結局、東京オリンピックは世界ランキングの基準を超えることができず、出場はかなわなかった。
兄の修源選手
双子の兄・修源選手
犠牲にしてきたものもたくさんあって、これをもう一度は無理だなと。
「日本代表」ではなく「フィリピン代表」でオリンピックを目指すことで、少なからず傷つき、悩んだ。自分たちはいったい何者なのか、葛藤の日々が続いた。それでも柔道を諦めなかったのは、同じような境遇にある選手の希望になりたいという思いが根底にあったからだ。
双子の兄・修源選手
次の世代の子たちがこれを味わってはいけない。競技に集中できる環境をつくるべきだし、当事者の自分たちがやるしかないと思いました。
2人に共感する企業が現れたのは、東京オリンピックのあとだった。多様性が注目され、日本代表だろうと、フィリピン代表だろうと関係なく、柔道に打ち込む姿を応援したいという声もあった。
コーチの亨道さんとともに稽古する2人(2022年12月)
昨年末のグランドスラム東京。有観客では久しぶりの国際大会となった。地元・岩手からも家族が応援に駆けつけた。初日、73キロ級に出場した弟の経清選手。初戦で韓国の選手を相手に自分の柔道ができず敗退。2日目、66キロ級に出場した兄の修源選手も初戦でドイツの選手に敗退した。試合後は涙をぬぐいながら悔しさをにじませた。
双子の弟・経清選手
1年間の総まとめというところで、勝つところを見せたかった。気持ちが浮ついたというか、飲まれた部分がありました。悔しかった。
双子の兄・修源選手
勝って来年に弾みをつけたいと思っていましたが、気合いが空回りした部分がありました。
パリ五輪は“人生の通過点” 目指すのは…
1年半後に迫るパリオリンピック。フィリピン代表でのオリンピック出場は決して平たんな道のりではない。それでも2人が走り続けるのは、日本とフィリピン、2つの国の競技環境を変えたいという思いがあるからだ。
フィリピンでは、才能があっても経済的な理由で選手を目指すことができない人たちの姿を目にしてきた。オリンピック出場は最終目標ではない。自分たちが出場することで、国籍や出自に関係なく、スポーツ選手が競技に集中できる環境を守ることの大切さを感じてほしいと語る。
双子の弟・経清選手
オリンピックに出ることで、しがらみや差別に悩む人たちの何かが変わるきっかけになれば。未来のための先駆者になりたい。
双子の兄・修源選手
今は周りの力もあって走ることができています。オリンピックの出場がそのお返しだと思います。やっていることを正解とするためのオリンピックだと思うし、出場することで壁が壊れると思います。
この記事を書いた人

舟木 卓也 記者
平成25年NHK入局。令和2年秋からスポーツニュース部。
プロ野球(ロッテ)担当を経て、現在は大相撲や柔道など格闘技担当。