ストーリーサッカー

岡田武史 今こそ、夢を語ろう 前編

2020-05-29 午後 02:28

「岡ちゃん」が、経営者として「J」の舞台に戻ってきます。

今年、サッカーJ3に参入するFC今治。代表取締役会長を務めるのは、元日本代表監督の岡田武史さんです。新型コロナウイルス感染拡大の影響でJ3の開幕は延期に。サンデースポーツ2020では2月上旬に岡田さんにロングインタビューを実施。先の見えない暗闇の中にいるスポーツ界において、今あえて岡田さんが語った「夢」。放送に入りきらなかった未公開トークを含めて全2回に再構成し、未来にスポーツがもたらせる力を考えます。

経営者 岡田武史

大越健介キャスターら取材陣が岡田の元を訪ねたのは2月上旬。新型コロナウイルスの感染拡大の波が日本にも押し寄せはじめたころのことだった。

 

 

岡田は朝一番の飛行機で東京から松山に戻ってきたばかり。岡田に同行し、「クラブ経営者・岡田武史」が見据えるビジョンをじっくりと聞かせてもらうという取材。松山空港からホームの今治市に向かう1時間余りの道中、さっそく岡田の話は止まらない。

 

「よく言うじゃん、『起業は若いうちにしろ』って。本当によく分かったね、最初は体力勝負だから。(1日で仕事が占める割合は)もう、ほぼ全てじゃないかな。朝5時ぐらいからメールの処理をしていると、『6時前にメール出すのはやめてください!』って総務のスタッフから言われてね。わかりました!って答えましたよ(笑)」。

 

既にこの頃、ウイルス感染拡大によるスポーツ界への影響もささやかれ始めていた。果たしてFC今治の所属するJ3は予定通りに開幕できるのか。不安もあったはずだが、63歳の岡田はオーナーとして今できる事に全力でぶつかっていた。

 

今治市は人口約15万人。瀬戸内海に面し海と山の自然にあふれる、造船とタオルの生産で知られた町だ。瀬戸内海を背に山間に車を進め到着したのは、ファンから提供された古民家を改装したクラブハウス。25人のスタッフが、部署に関わらず分け隔てなくコミュニケーションをする、まさに「アットホーム」な岡田の職場だ。

 

FC今治のクラブ事務所

 

「相撲部屋みたいでしょ?いろんな部署のやつらがいろいろ触れ合える。通りすがりに挨拶したり、昨日勝ってよかったねって話したり、ここに来て何気ないちょっとした会話ができるだけで、全然違う」。

 

この場所でじっくり1時間、これまでの岡田とチームの歩み、そして見据える夢を語ってもらった。

58歳の「経営者1年生」

2010年のワールドカップ南アフリカ大会で日本代表をベスト16に導いた岡田。中国リーグで監督を務めた2シーズンを経た2014年の秋、岡田はFC今治の経営権を買い取りオーナーに就任した。ここから岡田と6人のスタッフによる今治での挑戦は始まった。

掲げた目標は「10年後にJ1優勝」。しかし当時FC今治が所属していたのは、J1から数えて「5部」にあたるアマチュアリーグ。本拠地の今治も人口15万の決してサッカーが盛んとはいえない町。多くの人にとって予想外だったクラブ経営への挑戦だった。

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クラブ事務所の一室でインタビューを実施した

 

大越 我々がこれまで知っていた岡田さんといえば、サッカー日本代表の監督であり、Jリーグでも名将と言われた方。それが今はクラブの会長として多岐にわたる仕事をされています。その変化の節目はどこかであったんでしょうか。

 

岡田 よく自分は友達から「まるでマグロだ、止まると死んじゃうタイプだ」って言われるんだけど、そういうところはあるよね。何か新しい事してないと気が済まない。代表でワールドカップに出てJリーグも優勝して、やっぱり何か新しいチャレンジをしたいなと思った。そこで中国から監督の話が来て、一応そこそこやれた。そこで指導者として自分の限界みたいなものが見えた。次はもっと若い指導者が日本を支えていくべきだろうな、そう思ったところもあるんですよね。それで次のチャレンジする場が「たまたま」ここ今治だった。最初は「岡田メソッド」っていうサッカー指導論を教えて、いい指導者といいチームを作りたい、それだけだったんです。それが今治に来てみたらどんどん広がっていった、というのが正直なところ。最初からクラブ経営をやろうなんて全く思っていなかったから。

 

大越 58歳で経営を始められたんですよね。「58歳の1年生」、なかなか大変だったんじゃないかと思います。でも「あの岡田武史さんだから」という事で、アドバンテージにもなったんじゃないかと思いますが。

 

オーナー就任後、愛媛県知事を訪問

 

岡田 それはそうだったと思いますよ。「僕だから」会って下さった人もいたでしょうし。それはありがたい事で、有効に活用させてもらったと思いますね。でもね、とんでもなく大変だったよ。だって最初は経理をきっちりできるやつもいなかったんだから。会社の貯金通帳に記帳してみたら「やばい来月の給料払えねえぞ!」とかね。もうどうしたらいいんだろうって状態。だから何でもしました。ほぼ毎晩会食で「男芸者」もしましたし。当時はもう理念もくそもない。ともかくお金が無いから、死にものぐるいでしたね、本当に。

今治で友達を作ろう

大越 一方でどうでしょう。「え、なんでこの人が今治にいるの?」と言われることはなかったですか。

 

岡田 やっぱりありましたよ。「どうせ2、3年で帰るんだろう」とか言われましたし。「今治に骨埋める気あるのか」、「住民票こっちに移したのか?」とか、そんな問題じゃないと思うんだけどね。実は今でもまだ言われますよ。「岡田さん、本当にずっと今治にいて頂けるんですか?みんなそこだけが心配なんで」って。何をいまさら言っているんだと思いましたけど、まだまだそうなんだなと。岡田は本気らしいってようやく理解してもらえたのが、3年目ぐらいからですかね。

 

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岡田体制1年目、四国リーグに臨むFC今治

 

まさに手探りの経営。チームも1年目はJFL昇格を果たせず、決して順風満帆な船出がではなかった。その中で岡田が活路を求めたのは「地域の人々とのつながり」。そこで大きな気づきを得たと、岡田は振り返る。


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岡田 あれは2年目だったと思うけど、夜残業していた時スタッフに「おい、今治に友達いるやついるか」と聞いたんですよ。僕らは6人でスタートして、2年間毎日その6人でどうしたらいいのか考えて、6人で飯食って、6人で酒飲んで、6人で仕事してきて…。「おい!俺ら今治の友達が一人もいねえじゃん!」と。来て下さいじゃなくて、俺らが行かなきゃいけないんじゃないかと気づいたんです。そして残業は夜8時までにして、「みんな友達5人作るぞ」と目標を設定しました。フットサルチームに入ったりして徐々に友達ができて、「お前がスタッフやっているんなら試合見に行ってやろうか」となったりね。ちょっと非効率に見えるかもしれないけど、それはひとつのきっかけでしたね。

 

岡田自ら、地域の人たちとのふれあいを大事にしてきた

 

岡田 最初は僕がビラ配ったりしても、表面上は返事をしてくれるんだけどなかなか認めていただけなかった。でもステップを踏んでちょっとずつ、徐々につながりを作って受け入れられていく実感がありました。最近は、それまでサッカーなんか知らなかったようなタクシーの運転手さんが「この前の試合は○○だったぞ」とか言ってくれますよ。うれしいですよね。

 

大越 会社経営をやって改めて気付いた、「人のつながり」ということでしょうか。

 

J3昇格を記念した神輿を市民と岡田が一緒にかついだ

 

岡田 本当に会社って「得体の知れないもの」ですね。人と人のつながり、これだけなんだと思うんですよ。もちろん社員たちの中には辞めていった人もいるけど、俺は「つながりを切らないでくれ」と言います。もっと成長したいという人は喜んで送り出す。でもつながりは切らないで、また何かあったら戻ってこいよと。うちの忘年会、辞めた人にも招待状出して来てもらうんですよ。最後はやっぱり人なんだなと。経営してたった5年ですけど、痛感しますね。

リスクをおかしても「夢」を

FC今治がJリーグを目指す上で必要不可欠だったのが、収容人数などの基準を満たしたホームスタジアムだった。まずはJFL(実質4部)への昇格のため、行政や議会との交渉と資金集めに岡田自らが奔走した。

 

 

チームが初めてJFLに臨んだ2017年、およそ4億円をかけて新設した「ありがとうサービス夢スタジアム」が完成。

スタジアムを作る上で、岡田の脳裏にあったのは初めて今治を訪れた日に見た光景だった。町の中心地は閉店したデパートの跡地が今も更地で残る。港へと続く商店街へ車を走らせても、人が誰も歩いてない。聞けば「しまなみ海道」ができたことで瀬戸内の島々と本州が橋で結ばれ、港から出ていたフェリーが減ってしまったという。さらに少子高齢化、若者の流出、人口減少。まさに疲弊した地方都市の姿がそこにある。自分たちはサッカーでこの町に何ができるのか。

 

 

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大越 地方が疲弊していると言われ、見渡すとあまりいい材料がないように思われる中でも、岡田さんはあまり目の輝きが変わらないですね。

 

岡田 まあこの歳で「こいつ何言ってんだ?」って言われるかもしれないけど、夢を信じて、リスクをおかしてチャレンジしているんですよ。だからワクワクしてやらせてもらっている。最初に議会に行って「スタジアムが無いとJFLに上がれないです」って言っても、誰も相手してくれませんでした。「ここ今治は野球のまちですから」ってね。これじゃダメだと思って「土地を無償で貸して頂いたら、こっちで建てます」と言ったら、ちょっとどよめきましたよね。「人口16万の今治じゃ5000人なんか絶対満杯にできない」って言われたけど、僕らプロジェクトチームで毎晩必死になってどうやって建てるか議論しました。そうやって踏み出したら助けて下さる方がいた。そして現実に建ったわけです。日本一安いけど我々の思いがこもったスタジアムが、3億8000万円で出来たんです。

 

 

岡田 それまでは仮設のスタジアムで2000人くらいのお客さんに来てもらっていたんですけどね、「2000人のお客さんが来ているけど、この中の何人がサッカーを見に来てると思う?」ってスタッフと話したんです。俺は多分200~300人だと思った。じゃあそれ以外の人は何のため来ているのか。今治は町に人も歩いていない。シャッターが閉まって閑散としている。ところがこのスタジアムに来たら、なんか賑わいがあってわくわくする。新しい絆ができる。だから見に来てくれるんじゃないかと思ったんです。そしたら我々はお客様の求めているものを提供しなきゃいけない。「サッカーは面白いですよ、チームも強いですよ、見に来て下さい」じゃダメで、ここにいる人たちが心震える感動、心躍るわくわく感、そして心温まる絆ができる場所。それが「夢スタジアム」なんだ。これに合致することは何でもしようと決めました。

 

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目指したのは、来た人みんなが楽しんで帰ってもらう場所。試合の日には大型の駐車場にステージを作りイベントを開催。フードコートに子どもの遊具、迷路にマルシェ。400万円の費用をかけて、ありとあらゆる楽しめるものをちりばめた。そして階段をのぼれば5000人以上収容可能なスタジアム。そこでは魅力的なサッカーを見せるという狙いだ。


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岡田 初日は何人のお客さんが来ていただけるだろう、とドキドキして涙出そうでしたよ。そしたらキックオフの3時間前からお客さんが並んで下さって、最終的に5200人が来て下さいました。スタジアムは山を切り崩して造ったので、階段を上っていかなきゃいけないんですよ。「年寄りにこんな階段上らせるのか」って言う人もいたけど、いやお寺とか神社を見てみろと。お年寄りもみんなありがたく上ってくるだろうと。上に「ありがたいもの」があれば階段を上がって下さるんですよ。夢スタジアムでもみなさん一生懸命、お年寄りの方も楽しんで上がってきて下さる。もう本当にそういう幸福感、充実感を知っちゃうとやめられないですよね。ありがたいよ本当に。

 

 

大越 その5200人の中に、かけがえのない思い出を作られた方はきっと多かったんでしょうね。

 

岡田 ファンの方との話で印象的だったことがあってね、試合の日にゴール裏で泣いているおばさんがおられたそうなんです。スタッフが声をかけたら、「3年前に岡田さんが今治に来た時、みんな否定的だった。私もそうだった。それが3年後に今治でこんな姿が見られるなんて」と、うれしくて泣いて下さっていたそうです。もうそういう話を聞くとね、僕らみんな疲れとか吹っ飛んで、またやる気が湧いてきますよ。本当に、この町でチーム経営をやらせて頂いてありがたい思いです。

目指すは「10年後にJ1優勝」

サッカーが盛んとは言えなかった人口15万人の今治市。地域に寄り添う活動を地道に続け、FC今治は昨シーズンのJFLで1試合平均3000人のサポーターを集めた。そして念願のJ3昇格、プロサッカークラブとして新たな一歩を踏み出す。


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昨シーズンJFLで上位に入り、ついにJ3昇格を決めた

 

大越 今シーズンJ3に初参戦ですが、これから上がまだまだあるわけですね。目標はどの辺りにおかれていますでしょうか。

 

岡田 もちろんJ1優勝です。最初に「10年後にJ1優勝」と言っちゃったから、今更変える訳にいかんと。「10年後俺は生きてないかもしれないけど目標は変えるな。J1優勝でいこう」と既にスタッフには言っていますから。J1に上がるためには1万5000人収容の屋根付きスタジアムが必要なんだけど、今度は40億ぐらいかかります。なんとか出資していただける、ビジネスとして投資対象になりうるスキームを考えないといけないですね。

 

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その後に起こった新型コロナウイルスのパンデミック。スポーツ界がいまだかつてない苦境にある中、Jリーグ、日本サッカー協会は一歩ずつ再開への道を歩んでいる。岡田が発表した新スタジアム計画も、現在の経済の状況では出資を募れる状況にはないと判断。着工は延期となった。

それでも、岡田の夢が変わることはない。

初めて立つ「J」の舞台へ。岡田とチームは今治の地で試合開始のホイッスルをじっと待っている。

 

 


(後編に続く)

この記事を書いた人

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大越 健介 キャスター

昭和60年NHK入局、初任地は岡山局。政治部の記者、NW9キャスターなどを経てサンデースポーツ2020キャスター。
"スポーツをこよなく愛する親父"の代表として自ら楽しみながら伝える。

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