ストーリーその他のスポーツ

創刊40年「Number」がスポーツジャーナリズムを変えた

2020-05-01 午後 05:08

日本初のスポーツ総合誌、「Sports Graphic Number」

ひとつの競技に特化した専門誌は多数存在しますが、あらゆるジャンルのスポーツを扱う総合誌として歩み続け、ことし創刊40年。号数は1000号を超えました。スポーツをいかに描き、どう味わうか。そのテーマに向かいあい続けてきた、雑誌の歴史を全2回で紐解きます。第1回で注目するのは、40年前の創刊号で示された「Number」のスポーツジャーナリズム、その原点です。

「江夏の21球」から、歴史は始まった

1980年4月に発売された「Number」創刊号。そこに掲載された、山際淳司によるノンフィクション「江夏の21球」は、スポーツジャーナリズムの金字塔とも言われています。

 

Number創刊号より 「江夏の21球」

 

前年の日本シリーズ、広島対近鉄の第7戦9回裏。広島の江夏豊の伝説的なピッチングを描いたこの作品。見開きページの冒頭に書かれていたのは、編集部の闘争宣言ともいえるメッセージでした。

「日本シリーズ第七戦の九回裏、江夏は五人の打者に対し、全部で21球を投げた。その一球ごとにきざまれたドラマを、当事者のことばで再現する!」

この創刊号に向けた編集会議の映像がNHKに今も残されていました。編集者たちが議論を交わす中で、当時の編集長・岡崎満義さんが力説する姿が記録されています。

 

初代編集長・岡崎さん(1980年撮影)

 

岡崎満義 初代編集長

「我々は、スポーツジャーナリズムが一流である、というところに乗り出したい。」

 

40年前、編集部の人たちはどのような思いで「Number」創刊号を作ったのか。今回、岡崎さんにWEB会議システムを通してインタビューすると、パソコンの画面越しに「江夏の21球」の背景にあったポリシーについて、熱く語ってくれました。

 

岡崎さん

「ひと言で言えば『愛すべき神は細部に宿る』ということ。スポーツ、あるいはアスリートの細部をいかに見つけて、それを雑誌の形にして届けるかということです。」

 

その「細部」に迫るために、雑誌には江夏が投じた21球を1球1球分析した、独自の一覧表を掲載しました。投球の背景にある駆け引きや、気持ちの動きを1球1球取材する事で、細部に隠されたドラマを浮き彫りにしようと考えたのです。スポーツジャーナリズムの世界において、今では広く行われているこの手法。当時はまだ一般的ではありませんでした。

 

岡崎さん

「新聞記者にその話をしたら『そんな小学生みたいな質問に、江夏さんが答えるわけないよ』なんて言われたんです。でもこっちは素人ですからね。『まあいいや、とにかく1球1球なぜこの球、カーブを投げたんですか?』とか、聞いていけばいいんじゃないかと。江夏さんもそういう質問を受けたことが今までなかったらしくて、実に丁寧に答えてくれましたね。」

「細部」にこだわり浮かび上がらせたもの

広島1点リードで迎えた9回裏。ヒットとフォアボールでノーアウト満塁のピンチを迎えた広島の抑え・江夏。「細部」にこだわる取材により、江夏の1球ごとの心情を、つぶさに描き出しました。

12球目、別の投手がブルペンに向かう姿を見て江夏が思ったこと――。

 

 

≪なにしとんかい!≫ 

江夏はそう思った。それにはいろいろな思いがこめられている。

≪オレはまだ完全に信頼されてるわけじゃないのかと、瞬間、そう思った。≫

 

そして15球目、チームメートの衣笠祥雄がその江夏の思いに気付きます。

≪オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな≫ 

江夏がいう。

≪あのひとことで救われたいう気持ちだったね。オレと同じように考えてくれる人がおる。≫

 

江夏が大ピンチを乗り切り広島は日本一に

 

絶体絶命のピンチの裏にあった人間ドラマを、見事に浮き彫りにした「江夏の21球」。徹底した取材で、知られざる物語を浮かび上がらせる。雑誌の幹となる姿勢が定まりました。

「Number」が紡いだ知られざる物語

「江夏の21球」が確立した原点を受け継ぎ、「Number」では独自の取材で、アスリートの知られざる物語を紡ぎ続けてきました。

ノンフィクション作家の後藤正治が描いたのは、かつて妖精と愛された体操選手コマネチとチャスラフスカの、その後の人生を追った作品、「運命。」

 

 

歳月は白い妖精にも襲いかかってとどまることを知らない。

目の前にいるのは、肉付きのいい、成熟した一人の女性だった。
コマネチもまた流転と言っていい人生を歩んできた。

沢木耕太郎が晩年のモハメド・アリのタイトルマッチを追いかけた作品。「砂漠の十字架 最後のアリ」

 

 

すべてのものが敗れていく。

まるで死ぬためにのみ生きていくかのように、あたかも敗れるためにだけ勝つように・・・。

 

「マイアミの奇跡」と呼ばれたアトランタオリンピックサッカー男子代表、その裏側で起こっていたチームの真実に金子達仁が迫った「叫び。」「断層。」

 

 

西野の怒声が飛んだ。
「みんなが頑張ってるのに、なんでお前はそういうことを言うんだ!」

要求には常に根拠を求め、根拠なき頭ごなしの要求には本能的な反発さえ覚えてしまうのが、中田という男だった。西野の怒声を浴びながら、「ああ、この人もか」と中田は思った。

「なぜこのチームはこんなことになってしまったんだ・・・・・」。
こみ上げる無念の涙をこらえてスタンドに手をあげながら、川口能活はつぶやいた。

 

創刊号から40年。スポーツを取り巻くメディアの形も大きく変わりました。しかしその中でも、岡崎さんはスポーツジャーナリズムにさらなる可能性を感じていると言います。

 

 

岡崎さん

「アスリートの人たちにも、それぞれ物語がある。それを発掘していけば材料に欠くことはないと思うんです。スポーツライティングというのは、今も可能性がいくつもあるジャンルだと思います。」

作家にとっての「Number」

「Number」誌上で数々の作品を発表してきたノンフィクション作家の後藤正治さん。作家という立場からこの雑誌と歩んだ日々を振り返ります。

 

後藤正治さん

「もう随分いろいろな仕事させていただきました。書き手にとっては『場所』がないと仕事にならないので、“Number”という『場所』を与えていたただいた。そこではかなり水準の高いものを求められますので、大いに鍛えられた。そんな気持ちが残っておりますね。」

 

後藤さんによる、チャスラフスカとコマネチ、ふたりの体操選手のルポルタージュ「運命」。東欧各国を編集者と共に巡って完成させた作品の出発点は、競技の単なる結果ではなく細部にある「人間ドラマ」に徹底してこだわった、「Number」の原点を受け継ぐものでした。

 

 

後藤さん

「チェコとルーマニアに、今考えるとぜいたくな取材に行かせていただきました。特に私が関心を持ったのはチャスラフスカでした。1968年に「プラハの春」が起こって、民主化運動を支える署名簿に彼女も署名をしたんです。ソ連軍にその運動が潰され多くの人が署名を撤回した中で、チャスラフスカは頑として撤回しなかった。そのことで非常に不遇な人生を歩むんですけれども、それでも頑張り抜いた彼女の人生とは、いったいどんなものなのだろうと。そうした問題意識で取材を始めましたね。」

スポーツシーンを見つめ続けて

創刊した1980年からの40年。日本のスポーツ界を取り巻く状況も大きく変わりました。それは「Number」の年間売り上げトップの1冊となった表紙を見てみると、当時の人気競技の変遷が見て取れます。

 

 

80年代はやはりプロ野球。巨人の江川卓や阪神の優勝、80年代後半には黄金時代を迎えていた西武ライオンズが表紙を飾りました。

90年代前半には、アイルトン・セナをはじめとしたF1ブーム。95年には、大リーグに挑戦した野茂英雄。

90年代後半から2000年代に入ると目立つのはサッカー。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会の前後に何度も表紙を飾っていたのが中田英寿。2010年代には、表紙を飾るサッカー選手は本田圭佑へ。

近年では、ラグビーワールドカップで活躍した五郎丸歩。オリンピック連覇を果たしたフィギュアスケートの羽生結弦。そして引退した浅田真央、イチロー。
40年で人気のある競技、スター選手も移り変わっていく中で、それぞれの時代のスポーツシーンを伝え続けてきたのです。そのために「Number」に欠かせなかったもの。それは印象的な写真でした。競技結果を伝える、新聞に載る写真とは一線を画す雑誌ならではの写真へのこだわり。編集部、そしてカメラマンがそこに込めているものとは…。


(第2回に続く)

 

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!