NHK sports

特集 テニス内田海智 ジュニア時代に将来を嘱望された28歳 現在地は?

テニス 2022年11月4日(金) 午後7:20

プロテニスプレーヤーの内田海智選手は10代の時、複数のジュニアの四大大会でベスト4に入り、日本のテニス界を担う逸材と期待されました。

さらなる飛躍を目指してアメリカに渡りましたが、思うような成績を残すことができませんでした。

それでも持ち味の”パワーテニス”をコツコツと磨き、28歳となった今シーズン、世界ランキングを自己最高位に上げました。

今、何を目指して戦っているのでしょうか?

28歳で国内最大の国際大会に初出場 

10月に東京で行われた男子テニスのツアー大会、ジャパンオープン。

内田選手は28歳にして初出場を果たしました。

 

ジャパンオープン1回戦での内田選手(2022年10月4日)

1回戦で世界ランキング78位のアメリカの選手と対戦してフルセットの末敗退。

それでも内田選手は大会に向けたプロセスに手ごたえを口にしました。

内田選手
なんとかチャンスをものにしたいという気持ちで、大会に向けて数週間準備してきました。考える日々がプレッシャーになっていましたが、そのプレッシャーのおかけでこの数週間いい状態で過ごせました。

ジャパンオープンは国内最大の国際大会。

新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止されていましたが、ことしは3年ぶりに開催され、期間中多い日には1万6000人以上の観客で賑わいました。

 

3年ぶり開催のジャパンオープン 会場は盛り上がった

内田選手のこれまでの歩みは決して順風満帆とは言えませんが、目標としていた大会に出場できたことで、さらに前に進む意欲が高まったのです。

ジュニア時代は錦織圭選手を上回る結果を残したが…

大阪・交野市出身の内田選手は身長1メートル80センチで体重75キロ。

右利きでプレーの持ち味は日本選手には珍しいパワーテニスです。

重い球質のフォアハンドストローク。

サーブは時速210キロを超え、スピードは海外のツアーでもトップクラスです。

 

内田選手がサーブを打つ

内田選手
(持ち味は)ジュニアの時から変わらないパワーテニスです。体はジュニアの頃と比べればたくましくなっていると思うので、その中でボールの届く範囲とか散らせる範囲とか広くなっています。

内田選手は10代の時、日本テニス界で期待の存在でした。

四大大会に数えられるウィンブルドン選手権と全米オープンのジュニア部門でベスト4。

16歳以下の国・地域別の対抗戦デビスカップで日本の初優勝に貢献するなど、錦織圭選手のジュニア時代を上回る結果を残しました。

そして18歳で単身アメリカへ。

錦織選手も汗を流したフロリダ州にあるトップアスリートを養成するアカデミーを拠点に世界のトップを目指す決意をしました。

世界中から集まった有望な若手選手と寮生活を送りながら切磋琢磨の日々。

テニスが上達するには最高だと信じて疑わなかった環境が自分を苦しめることになったのです。

内田選手
18歳で大きく環境を変えて、コミュニケーションや食事の問題、最初はなかなかうまくいかない時間が長かったです。ストレスでテニスに集中しにくい状況が長く続きました。

当時の様子を思い出しながら取材に応じる内田選手

アメリカで苦しむ内田選手の様子について、母の洋子さんは…

母の洋子さん
海智は最初英語が全然だめだったので、アメリカでの生活になじめませんでした。言葉はわからないしアメリカ人の考え方もわからないので「すごく嫌だ」から入ってしまいました。それがテニスの結果が出ないことにつながってしまいました。電話がかかってきて「テニスおもしろない」って言って。「じゃあ、やめる?」と何度も聞きましたが、決して「やめる」とは言いませんでした。

日本のテニス選手が世界に挑戦する時に、最初に突き当たる壁は「海外での転戦」と「語学力」とも言われます。

プロテニス選手は世界ランキングを上げるため、毎週のように世界各地で開催されるトーナメントに出場して賞金とランキングポイントの獲得を目指します。

トップ選手になるまでは、航空券の手配、ホテルの予約、練習場の確保、練習パートナー探しなどを自分で担わなくてはならない場面もあります。

ストレスがかかる生活を続ける心身のタフさが求められるのです。

負けが続くと世界ランキングはすぐに下がってしまうため、プレッシャーは相当なもの。

テニスの実力はもちろんですが、モチベーションの維持や費用のやりくりが難しくなり、夢をあきらめる選手も多くいるのが現実です。

内田選手
テニス選手の生活って、練習して試合終わったらホテルに帰って次の試合の準備をするだけなんです。(1回戦、2回戦で)負けると特に時間があり余ってしまいます。そういう時にものすごくストレスを感じましたし『やめたいな』と思う場面は何度もありました。でもいろんな人が自分のことを信じてくれていたので、その思いに応えていかなきゃいけない気持ちがありました。家族もそうですし、スポンサーの皆さん、周りの方々が自分のことを信じてくれている力が(自分を)プッシュする要因になりました。

ツアーは全豪、全仏、ウィンブルドン(NHKで放送)、全米の四大大会を頂点に、ATPファイナル(NHKで放送)、ATPマスターズ1000(NHKで放送)、ATP500ATP250ATPチャレンジャーITFワールドツアーと格付けされていて、出場できる選手の実力、賞金が大きく変わります。

 

 

内田選手はプロになって10年。

これまで主戦場はチャレンジャーの大会でした。

選手誰もが目標とする四大大会本戦のコートに立つことはできていません。

出場した大会で勝ち進んでも、自分よりランキング上位の選手と対戦すると、持ち味のパワーテニスや組み立てが通用しませんでした。

精神的に焦る中で違うことを試みてもうまくいかないという悪循環にも陥ったといいます。

内田選手
プロになって10年。この舞台で戦うことが想像できないくらいなかなか結果が出なくてもがいていた10年でした。腐りそうになったり諦めそうになったりした時もありましたけど、なんとかもがき続けた結果、やっとここまで来られたのでもがいて来て良かったなと思います。

内田選手がテニスを始めたのは5歳の時。

手ほどきを受けたのは、地元のテニスクラブでコーチをしている父・博也さんからでした。

博也さんの指導方針は「目先の勝利にこだわらず思い切りプレーすること」。

内田選手にはミスが多くても、力いっぱい打たせ続けました。

その結果が出始めたのは中学生になってから。

ジュニアで初めて日本一になったのが16歳の時でした。

 

父の博也さん、母の洋子さんと(家族提供)

博也さんは持ち味を消さずに指導する難しさについて振り返ります。

父の博也さん
海智は小学生の時、試合に出たら負けるという繰り返しでした。赤ん坊の時から力だけは強かったので、すごくアウトが多かったんです。それでもちっちゃなテニスにならないように、一番の良さを伸ばしていくために指導してきました。ものすごく我慢しましたけどね(笑)。

そして今、改めてエールを送ります。

プロになって10年。苦労してきたので、なんとか四大大会で勝利する喜びを味わってほしい。

世界ランキングは少しずつ上昇

プロ転向後、主要大会での実績はない内田選手。

それでも少しずつ世界ランキングを上げています。

シーズン終了時のランキング推移です。

初めて登場したのが2012年10月29日。

その時は1759位でした。

 

 

 

内田選手
僕のランキングはグッとは上がっていません。10年でちょっとずつ上がってきました。ランキングはほとんど落ちたことがないです。そうしてやっと300位、それから去年200位台。特に変えたことはなくて同じことをやり続けてきました。負けても自分のレベルより高い大会にトライすると決めて挑戦し続けた結果、いろんな経験がちょっとずつ力になってきたと思います。

2022年には日本選手のトップ3に!

28歳となった内田選手は今シーズン飛躍を遂げています。

韓国で行われたATP250の大会で、このレベルでのツアー初勝利をマーク。

そして10月3日付けの世界ランキングで自己最高の155位に順位を上げました。

日本選手では西岡良仁選手、ダニエル太郎選手に次ぐ3番目です。

 

内田選手
10年間世界を転戦していると、海外の場所で合うのか合わないのかというのがわかってきました。気候だったり会場のコートの違いだったり。球足が遅いのか早いのかボールは何を使っているか。この場所なら自分のテニスができる、良い結果が出せるということがわかってきて、ようやくベストパフォーマンスを出せる環境や準備の仕方というのがわかってきたんです。パワーテニスに加えてフットワークの余計な動きをなくして正確に動ければ、もっとスムーズにボールに入ってもっと楽にパワーを生み出せるボールを打てると思っています。

ジャパンオープンは世界ランキング78位の選手に初戦で敗れましたが、韓国の大会では当時世界8位の選手と初めて対戦し、その中で自身の成長を感じています。

内田選手
世界8位のテニスの感覚を知りました。僕の肌感覚ですけど『意外といけるな』『戦えるな』と思えました。ボールの質やラリーの力は通用すると。足りない部分はコントロール力、サービスの確率、なんとか入れようとするリターンの精度。わずかなところですがゲームではそういうところで差が出てしまうので、もう少し細かいところを練習していかないといけない。

四大大会本戦へ いつの日か

今後の目標は四大大会の本戦に出場すること。

128人の選手しか出られない狭き門です。

 

内田選手
予選に出られる位置に来ています。予選は混戦状態で誰が勝ってもおかしくないので、勝ち切って本戦にいきたいです。テニスのレベルを上げていって予選を勝ち上がって本戦に出られるテニスを作り上げていきたい。

--最も憧れる四大大会は?

内田選手
ウィンブルドンですね。ウィンブルドンジュニアでベスト4になり、いろんな人に知ってもらえるきっかけになったので。本戦に出て勝利して、またたくさんの人に知ってもらいたいです。ウィンブルドンで勝ちたいです。

この記事を書いた人

酒井 博司 アナウンサー

酒井 博司 アナウンサー

平成13年入局 愛知県出身
ウィンブルドン中継では、2010年から現地実況などを担当。
自身もテニス歴30年。

関連キーワード

関連特集記事