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特集 大相撲 巡業って何なの? ことし最後の冬巡業を前に

相撲 2022年11月9日(水) 午後1:00

大相撲の巡業は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で令和元年の冬巡業を最後に中止となりましたが、ことし8月に2年8か月ぶりに再開されました。

本場所の土俵と違って、力士と記念撮影ができるなどファンとの距離が近いのが巡業の魅力です。

感染防止対策のため、これまでの巡業と様子の違う点はありますが、改めて大相撲の巡業とは何なのか考えてみました。

”巡業” 相撲道に欠かせない存在

日本相撲協会の規則に「相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催」という言葉があります。

つまり巡業が本場所と並んで大切なことだと言っています。

 

北勝富士(右)は同じ埼玉県出身の大栄翔(左)と並んで握手会に参加(平成29年8月7日 埼玉県本庄市)

辞書には「方々を興行して回ること。巡業を行っている例として大相撲などがある」と書いてあります。

地方を回って相撲を取ることが巡業なのです。

スケジュールはファンとの交流が中心

コロナ禍で中止となった巡業。

それまでは力士たちの朝稽古のほかに、ファンとの交流を中心にスケジュールが組まれ、握手会や記念撮影が人気を集めていました。

会場ではサインをもらおうと色紙を持って列を作るファンが見られました。

日本相撲協会のホームページに巡業の1日が詳しく紹介されています。

そこには「巡業は、相撲道の普及、地域の活性化、青少年育成を目的」と書いてあります。

 

記念写真に納まる白鵬(左)と鶴竜の両横綱(当時)(令和元年10月11日 神奈川県相模原市)

世界各地で行われてきた巡業

記録では大正3年に太刀山、鳳(おおとり)一行のハワイ巡業、大正4年に梅ケ谷、西ノ海一行のアメリカ巡業があります。

当時の横綱がそろって海外に出かけていました。

最近では平成20年にモンゴルのウランバートルで、平成25年にはインドネシアのジャカルタで巡業が行われています。

また平成5年のハワイの巡業ではハワイ出身の曙、小錦、武蔵丸の3人がふるさとでくつろぐ姿も見られました。

 

(左から)ハワイ巡業での曙、小錦、武蔵丸(平成5年6月)

巡業の予定はどうなっている?

ことし8月の夏巡業は東京都立川市、千葉県船橋市、さいたま市、茨城県古河市、埼玉県春日部市の5か所で行われました。

続く10月の秋巡業では東京都青梅市、茨城県筑西市、千葉市、埼玉県久喜市、甲府市、群馬県桐生市の6か所で実施されました。

 

秋巡業で土俵入りを披露する照ノ富士(令和4年10月8日 東京都青梅市)

九州場所が終わった後の12月の冬巡業は九州、中国、近畿、東海の8か所を回ります。

3日が長崎市、4日が熊本県芦北町、6日が大分県別府市、7日が福岡県北九州市、10日が岡山県総社市、12日が大阪府枚方市、13日が京都府長岡京市、14日が三重県四日市市の予定です。

巡業を通して力士とファンの触れ合いが深まることが期待されています。

巡業秘話「友情の土俵入り」を知っていますか?

巡業の秘話として語り継がれているのが昭和46年の夏巡業での出来事です。

巡業の最大の呼び物は横綱土俵入り。

東京や大阪などの本場所の相撲を見る機会が少ない地方の相撲ファンにとって、憧れの横綱の土俵入りを目の前で見ることができるのは大きな魅力でした。

当時、巡業は北海道を回る班と本州を回る班の2班に分かれて行われていました。

北海道班は北の富士、本州班は玉の海という人気を二分した横綱が率いていましたが、玉の海は途中で虫垂炎のために巡業を休むことになりました。

すでに巡業を終えていた北の富士が急きょ玉の海の代役として秋田県八郎潟町の巡業で横綱土俵入りをファンに披露しました。

現地には玉の海のための不知火型の綱しかなく、雲龍型の土俵入りを行っていた北の富士が初めて不知火型の土俵入りを披露し、ファンから盛んな声援を送られました。

 

優勝額の前で握手する北の富士(左)と玉乃島(後の玉の海)(昭和45年1月)

その2か月後、玉の海は虫垂炎の手術を受けた後に、肺血栓で27歳の若さで急逝しました。

北の富士の不知火型の土俵入りは「北玉時代」と言われ、ともに競い合った北の富士、玉の海2人の横綱の「友情の土俵入り」として人々の記憶に残っています。

 

相撲専門雑誌「NHKG-Media大相撲中継」から

 

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