特集 錦富士 大相撲秋場所 「三役を目指す」活躍に秘めた思い

青森県出身の錦富士(26)は7月の名古屋場所で新入幕ながら10勝を挙げて初の敢闘賞を受賞しました。3つの不戦勝という運にも恵まれ、横綱土俵入りの露払いの大役も務めました。長く左ひじのけがに悩まされた錦富士に、今後の幕内の土俵にかける意気込みを元NHKアナウンサーで大阪学院大学特任教授の藤井康生さんが聞きました。
錦富士に電話でインタビューをした藤井康生さん
新入幕で敢闘賞 秋場所の結果次第で上位が見える
ーー名古屋場所を振り返ってどうですか。
伸び伸びと自分の相撲に集中して、勝ち負けにこだわらず取れたと思っています。勝った相撲は特に自分のよさが出たと思っています。もう少し緊張すると思いました。負けて当然なので、自分ができることを精いっぱいやって負けたらしょうがないと開き直った自分がいました。
ーー新入幕で敢闘賞の受賞について、どう思っていますか。
ラッキーに尽きると思っています。周りの方から「新入幕で元気な相撲を取ってわかせた相撲が何番かあって、後半戦の途中まで優勝争いもしていた」と言っていただきました。不戦勝が3つもありました。付け人と立ち合いの当たり方を練習したり、準備をしたりしていたら不戦勝が決まったので、取組で勝った相撲とは違う感じがありました。
敢闘賞を受賞した錦富士(名古屋場所千秋楽)
ーーこれから目指す相撲はどんなものですか。
もっと速く攻めて相手にまわしを引かせず、自分が十分になることです。自分から動いていく相撲で、見てくれている人を魅了する速くて的確な相撲です。それを目指してやっています。いかに自分の形になって相手の形にさせないかということです。次の秋場所が特に大事になってくるので、しっかり準備して勝ち越せば、上位も見えてくると思います。三役を目指してしっかり頑張っていきたいです。
念願の幕内力士に
ーー幕内に上がったら楽しみにしていたのが、青森県三本木農業高校で同学年だった阿武咲関との一番でしたね。
名古屋場所で負けた瞬間は相当悔しかったです。しかし風呂場に行ってみてスッキリするものがありました。押し込んでいって勝機を見いだせた瞬間があったのです。うまさでやられてしまいましたが、当たった瞬間に「勝てる!」と思ってしまったことで、一瞬のスキを突かれました。大相撲最高峰の幕内で対戦したと思うと、いろいろな感情がわき上がりました。次の日に「立ち合いのスピードがすごくて慌てたよ」と話しかけてくれました。そして「自分たちが青森で相撲をやりたい子を一緒に盛り上げていこう」と話しました。感慨深いものがありました。
阿武咲に寄り切りで敗れる(名古屋場所14日目)
ーー幕内力士となり、横綱土俵入りの露払いという大役を務めましたね。
十両時代から、横綱(照ノ富士)に「幕内に上がったら土俵入りを務めてくれ」と言われていましたが、十両上位に上がっては負け越していました。ようやく念願をかなえられたと思っています。テレビで見ていたものが、自分がそんきょをして横綱が土俵入りをしているということで不思議な感じでした。
横綱土俵入りで露払いを務める(名古屋場所13日目)
けがを乗り越え稽古に励む
ーーけがの話になりますが、左ひじの手術は3回したのですか。
そうです。今は動かさずに治療に専念すると痛みは和らぐのですが、先生と話してみて完治は現役中ないと思っています。最初は激痛でした。けがの場所は違いますが、大けがという点では横綱の照ノ富士関や安美錦関(現安治川親方)にいろいろと聞いて、ゴムのチューブや器具で柔らかい動きを出せるようにしました。稽古も工夫して右腕の使い方や当たるときの角度を考えました。そして体重を増やして立ち合いの圧力をつけました。右腕の訓練をしたら左腕も楽になって、少しは使えるようになりました。
初めて幕内土俵入りをする錦富士(名古屋場所初日)
ーー横綱もいて大勢関取衆もいる伊勢ヶ濱部屋での稽古は厳しいでしょう。
そうですね。関取になる前はいちばん多い日で120番取っていました。私と翠富士が幕下時代は最低のノルマが80番でした。関取に上がった時には自分で番数を決めてやれると考えていましたが、関取になってからも厳しいですね(笑)。ひじも痛くなりますが、途中で稽古をやめることもできないので、工夫してひじが痛くなく勝てるようにやっていました。入門したころは、こんなに番数を取って体が壊れるのではないかと思っていましたが、昇進できたのは師匠や兄弟子に言われてやってきたことが間違っていなかったからという考えにたどり着きました。
相撲専門雑誌「NHKG-Media大相撲中継」から