特集 サッカーワールドカップ出場へ ウクライナ代表「悲しみのなか 誇りをかけて」(後編)

ウクライナ代表はサッカーワールドカップ予選・プレーオフに、16年ぶり2回目の本戦出場をかけて挑みました。前編に続き、その戦いの軌跡をお伝えします。
(前編は、母国が戦火に見舞われる中で自分たちがサッカーをする意味は何なのか、迷いを抱えていた代表選手の姿をお伝えしました)
サッカーワールドカップ出場へ ウクライナ代表「悲しみのなか 誇りをかけて」(前編)はこちら
<スポーツ×ヒューマン「サッカーワールドカップ出場へ ウクライナ代表「悲しみのなか 誇りをかけて」(初回放送日: 2022年7月18日)を再構成してお伝えします>
サッカーはウクライナにとって特別なスポーツだった
1991年、ソビエト連邦から独立すると、その翌年には国内リーグが作られた。各地域のスタジアムには、人々が押し寄せ、みな試合に夢中になった。
シェフチェンコ選手(左)を擁したウクライナがワールドカップ初出場でベスト8(2006年)
そして2006年には悲願のワールドカップ初出場を果たす。「ウクライナの矢」と呼ばれたシェフチェンコを中心に、世界の強豪たちと堂々と渡り合い、初出場でベスト8。その姿は、ウクライナが国際社会の一員になったことを示し、人々に「自信」と「誇り」をもたらした。
しかし、ウクライナにとって大切なサッカーさえも、ロシア軍の攻撃の対象となった。ウクライナ北部、チェルニヒウで80年以上の歴史を持つスタジアムも、空爆で破壊された。スタジアムは町の中心にあり、子供用のグラウンドでは多くの子供たちがボールを追いかけた。住民たちにとっては、身近にある存在だった。クラブの代表は「再建には4年か5年はかかるでしょう。いまは無力感しかありません」と肩を落とした。
サッカー選手の中には、兵士となるものも相次いだ。ウクライナ国内のトップリーグに所属していた、アンドリーイ・ボグダノフ選手(32)。
兵士として戦地に赴いたアンドリーイ・ボグダノフ選手
今回、軍事施設で続く訓練の合間を縫い、私たちのリモートインタビューに応じた。15年に渡りプロ選手として活躍、ステパネンコとも何度も対戦した。かつて代表に選ばれたことは人生の誇りでもあった。それでも自らの意思で、戦地に赴くことを決めた。「ここは私の故郷です、離れたくはありません。家族や友人もいます。逃げることは出来ません」
兵士としての固い意志を私たちに伝えたボグダノフ選手。しかし、あなたは今サッカーをしたいか?と尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。
「いまでもサッカーはしたいです。それに、いつか再開できると信じています。実は昔、日本でプレーしないかと誘われたこともあります。日本は素晴らしい国だと思います。私は、いつか日本でサッカーをしたいです。しかし国を奪われてしまったら、サッカーも何も無くなってしまいます」
心の支えとなったウクライナの人たちの応援
代表合宿の開始から10日。ウクライナ代表はドイツ・イタリア・クロアチアと、ヨーロッパ各地を周り、連日、練習と強化試合を重ねた。悩みながらも、進むしか道はなかった。
合宿地に戻った選手たち。そこで彼らの気持ちを変える出来事があった。
スロベニアに避難していた子供たちが、彼らを応援しようと合宿地に集まっていたのだ。子供たちは「選手たちが大好きです。頑張ってくれている姿に感謝しています」「元気で幸せで、愛に包まれますように!」とウクライナ代表への思いを話した。
ステパネンコのもとには、ウクライナ国内からもメッセージが届いていた。兵士として前線に立つ友人からだった。「いまは勝つことに集中しましょう!幸運を!」
今サッカーをすることに迷いを抱えていたステパネンコ。顔つきが変わった。「私たちは苦しむ人や兵士たちに笑顔と希望を届けられるはずだと思いました。いまウクライナの人たちには、笑顔になる機会がほとんどありません。ワールドカップの出場権を取って、ウクライナの人たちを喜ばせたいと思います」
6月1日のプレーオフ初戦でスコットランドと対戦したステパネンコ選手(左)
そして、迎えたプレーオフ。ウクライナは初戦のスコットランド戦で勝利をつかみ取った。ステパネンコは守備の要としてスコットランドの猛攻を防ぎ、勝利に貢献した。
だが、ワールドカップ出場の夢はここで潰えた。その後のウェールズ戦で1ー0で敗れたのだ。それでも、最後まで戦った選手たちの姿は、ウクライナの人々の心に深く刻まれていた。
観客に話を聞いた。
「勇気を持って戦ったウクライナ代表を誇りに思います。彼らが大好きです」
「代表選手たちはウクライナ人の心の強さをみんなに見せてくれました。彼らは最高の英雄です」
ウクライナでは8月、国内リーグが再開されることが決まった。ウクライナ代表のステパネンコは再び走り出した。
ーステパネンコ選手のInstagramよりー
「苦しい闘いの日々にも意味があったと、いつか振り返れる日が来るはずです」
「ウクライナで、ワールドカップが開かれる日を信じて」
プレーオフから3週間後、ウクライナではまたスタジアムが破壊された。兵士になったサッカー選手たちはいまも戦地に立っている。
この記事を書いた人
齋藤 章
平成25年入局 大分局→東京スポーツ情報番組部→社会番組部
これまで夏冬のパラリンピック競技や競歩などを取材。
北京パラでウクライナ選手を取材したことから、今回の番組を企画。
好きなサッカー選手はタラス・ステパネンコ(FCシャフタール)
廣瀬 隼人
平成27年入局 高松局→東京スポーツ情報番組部→ラジオセンター
プロ野球や東京五輪・パラリンピックなどを取材。
好きなサッカー選手はオレクサンドル・ジンチェンコ(アーセナル)