ストーリーサッカー

サッカー 中島翔哉 いつも心にある言葉は

2019-06-25 午前 11:58

サッカー日本代表で10番を背負う、中島翔哉選手、24歳。

身長1メートル67センチ、体重62キロの小柄な体格ながら、ドリブルで状況を打開する積極的なプレースタイルで、去年のワールドカップロシア大会のあと日本代表に定着。3年後のカタール大会では中心選手として活躍することが期待されています。さらなる飛躍を目指す中島選手には、ずっと大切にしてきたある言葉がありました。サンデースポーツ2020では未公開だったインタビューを含めた特別版でお伝えします。

楽しむことが一番

5月、シーズンを終え帰国した中島選手。

「今どのようにサッカーと向き合っているのか」という質問に「いつもの言葉」で答えてくれました。

 

 

「いつも言っているんですけど、 やっぱり“楽しむこと”は スポーツでは一番大事なのかなと思っています。サッカーはスポーツなので、基本的には楽しむものだと思うんです。日本代表になって責任もあると思いますけど、それをわかった上で試合を楽しむ事でプレッシャーを乗り越えられる。プレーしていて楽しいという気持ちが自然と沸き起こっている時は、自分の中ですごくいいプレーができている時だと思うので。」

 

 

「楽しむ」がモットーの中島選手がサッカーを始めたきっかけもずばり「楽しむため」。小学生時代には、授業中も足元からボールを離さなかったという逸話を持つ、まさに「サッカー小僧」です。その姿は日本代表となった今も変わりません。代表合宿での囲み取材で試合への意気込みを聞かれると、ほぼ毎回のように「楽しんでプレーすること」と答えます。去年、南米の強豪ウルグアイとの強化試合では、競った展開のさなか、プレーが切れた合間にリフティングを見せ会場を沸かせました。

 

 

しかし真剣勝負に臨む姿勢として、「“楽しむ”だけでは少し甘いのではないか?」そう聞いてみると。

 

「当然その気持ちはわかります。ただ自分の場合は、結果にこだわりすぎるとプレッシャーを感じすぎたりして、自分のパフォーマンスを最大限に出せないと思ったので。どの大会でも、練習試合でも練習でもまず楽しむ。それが自分のベストパフォーマンスを一番出しやすい方法なんです。別に負けたいわけじゃないですよ。僕の場合は楽しむことを大切にすることで、日本の勝利に貢献できると思っています。」

楽しみながら成長を続ける

ワールドカップロシア大会のあと、日本代表の10番を背負った中島選手。得意のドリブルで積極的に仕掛け、隙あらばゴールを狙う。攻撃の切り札として、時に強引ともいえるプレーを、どんな大舞台でもひるむ事なく貫く。それが中島選手の言う「楽しむ」なのです。

その中島選手は2月、ポルトガルから中東カタールのクラブに移籍しました。ヨーロッパのクラブへの移籍がうわさされる中で、驚きの選択でした。

 

 

カタールは、ことしのアジアカップで日本を破り優勝。3年後のワールドカップの開催地として、急成長を遂げている国です。中島選手が新たな舞台としてこの国を選んだのも、更なる楽しみを求めてのことでした。

 

「今まで自分が思っていたサッカーの楽しさとは、また違う楽しみ方があるんだなということを学べています。カタールのレベルが低いとは全く思っていませんし、自分は成長できていると思います。そもそもヨーロッパとかアジアとか地域にこだわりはなくて、考えているのは自分がやりたいサッカーをやりたいチームでやること。意外と知られていないですけどカタールリーグの選手はスピードも速いですし、攻撃的なスタイルは自分にすごく合っている。ポジショニングの部分だったりボールを奪うことだったり、今まで自分が持っていなかったものを普通にやれている選手が多くて、自分がサッカー選手としてレベルアップする上で大事だと思ったんです。」

 

 

中島選手はカタール屈指の強豪クラブで、1年目からリーグ戦全試合に先発出場。タイトル獲得に大きく貢献しました。楽しむ事を追求し、世界へと活躍の場を広げる中島選手。しかし今この姿勢を貫けている裏には、かつて日本でその姿勢を受け入れてもらえない時期があったといいます。

 

「何かを貫いてる人、というのは周りの人から見ても魅力を感じると思います。僕の場合は、身近で支えてくれる人がいました。だから貫けた。それがなければ、やっぱりサッカーを楽しいと思える瞬間は今よりも全然少なかったと思いますし、完全に忘れていた可能性もあるので。」

無意識に失った持ち味

 

中島選手は18歳の時、J2東京ヴェルディでプロデビュー。早くから出場機会を得ますが、活躍は長くは続きませんでした。自分の好きなドリブルで仕掛けるものの、ボールを奪われることを繰り返します。独りよがりとも受け取られかねないプレー、積極的な仕掛けと表裏一体のプレーを繰り返すうち、中島選手は次第に先発を外されるようになりました。そして中島選手は自らのプレースタイルを変えます。ボールを持っても、ドリブルではなく仲間へのパスを選択することが増えていきました。

 

 

「やっぱり試合に出たいから、無意識に変わっていったんじゃないかなと思います。それぞれのチームのスタイル、監督のスタイルがあるので、自分に合う合わないということはあります。その中で自分はドリブルを少なくしたほうがいいと思った。海外だったら、そんなこと無視して自分の好きなことをやっちゃう人が多いと思うんですけど、日本人は結構ちゃんと監督の話を聞くことが多いですからね。」


自らの楽しさの追求よりも、チームの和を優先する、日本流の指導に自分も合わせてしまった。そんな中島選手の考え方を変えたのは、自らを認める人たちとの出会いでした。

「どんどん仕掛けろ」 指導者との出会い

その出会いのひとつは19歳の時、富山で巡り合った指導者でした。

この年、中島選手はJ2カターレ富山に移籍。そのチームで監督を務めていたのが安間貴義さん。安間さんは、中島選手がまだヴェルディで駆け出しだった頃のプレーぶりを見た日のことを、今でも忘れられないといいます。

 

安間貴義さん

「やたら馬鹿みたいにドリブルしてるヤツがいたんです。それが中島でした。すごい選手がいるもんだなって思いましたよ。当時はパスでつなごうとするのが日本サッカーの主流になっていたので、本当に異色というか、スタイルを貫いている選手だなって。」

 

「異色のドリブラー・中島」が自らが指揮するチームにやってくる。楽しみに待っていた安間さんでしたが、富山にやってきた中島選手のプレーは、かつてのイメージとは程遠いものになっていました。

安間さん

「富山に来た中島は、ボールを受けたらすぐ横を見たりすぐパスしたり、僕が思っていたイメージと全然違ってたんですよ。彼のストロングポイントである、ドリブルで人をはがすプレーに全然トライしていなかった。彼の良さは自然と消えていましたね。だから彼の良さを出すことが必要だと。ストロングポイントをもう一回思い出させて、積極的にプレーすることを要求しました。」

 

安間さんは中島選手に、自分の持ち味であるドリブルで仕掛けるよう繰り返し指導。たとえチームの結果が出なくても、試合に起用し続けました。中島選手は次第に、サッカーを“楽しい”と感じる心を取り戻していきました。

 

「安間さんは『どんどん仕掛けろ、横パスじゃなくて縦に仕掛けろ、縦パスを出せ』と、ずっと言ってくれました。やっぱりドリブルで仕掛ける攻撃的なプレーは、小さいころからこだわって来たプレーだったので、そう言ってくれる人がチームの監督としていてくれたのはすごく大きなことでした。」

妻からの言葉

そしてもう一人、中島選手に楽しさを思い出させた人が。それは、16歳の時から中島選手のプレーを一番近くで見てきた存在でした。

 

 

「楽しむ気持ちを忘れかけたときに、当時付き合っていた彼女、今の奥さんがアドバイスをくれたんです。『楽しんでいる時の方がいいプレーしてる』って。彼女は全然サッカーもスポーツもやってなかったんですけど、そういう目線だから言えることってあるんですよね。奥さんがいるからこそ今の自分がある。本当に出会えてよかった。」

「サッカーはやっぱり楽しいものだ」。
その気持ちを取り戻した中島選手は、その後23歳で日本代表入り。日本代表が招待された「コパ・アメリカ」でも、東京五輪世代の若手主体のチームの中、事実上の“オーバーエイジ”として攻撃をけん引。チリ、ウルグアイといった強豪を相手にドリブルで勝負を挑み続けました。

 

たとえ相手に跳ね返されピッチに倒されても、そこには“楽しそうな”笑顔を浮かべる中島選手の姿がありました。

中島翔哉の最終進化形は

楽しむ事で成長を続ける、中島翔哉選手。その最終進化形とは。

 

「楽しみ続ける選手ですね。本当の意味でサッカーを楽しむ。サッカーをやめるまで楽しみ続ける。1試合通して常に楽しみ続ける選手になれれば、自分の理想とするプレーができるんじゃないかなと思っています。」

 

 


中島選手はその後、ポルトガルの強豪チーム、ポルトに移籍。激しいポジション争いが続きますが、常に楽しみ続けながら、ボールを追いかけます。

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