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特集 「松坂世代」それぞれの思い 松坂大輔投手の最後の雄姿を見て 

野球 2021年10月27日(水) 午後0:30

2021年10月19日、平成の怪物 松坂大輔(41)が選手生活に別れを告げた。

 

松坂は甲子園での春夏連覇など、プロ入り前からスター街道を歩み続けた。「松坂世代」と呼ばれた同学年の選手や関係者は最後の雄姿を見て、何を感じたのか。

“打倒松坂”から“頑張れ松坂”

「松坂世代、甲子園の決勝は僕の名刺代わりですね」

 

1998年夏の甲子園 決勝 1回に松坂投手と対戦した澤井さん

 

澤井芳信は京都成章高校のキャプテンとして、平成10年に行われた夏の甲子園決勝に1番・ショートで先発出場し、松坂を擁する横浜高校に挑んだ。

 

京都成章高校のキャプテンだった澤井芳信さん

澤井さん

まさか僕たちが甲子園の決勝で松坂と戦えると思っていなかったです。打席でマウンドに立つ松坂を見た時に、テレビを見ているような楽しさやわくわくした気持ち、打ってやろうとかいろんな思いがありました。あの時のインパクトは今でも覚えています。当時、誰もが『打倒松坂』だったと思いますが、対戦してみて同世代でこんなすごいピッチャーがいるんだと思いました。

 

澤井は第1打席で松坂のストレートを捉えてサードへ強烈な当たりを打ったが、ヒットにならなかった。このあと3度の対戦では徐々にギアが上がった松坂に歯がたたず、チームも59年ぶりとなる決勝でのノーヒットノーランを達成された。

 

1998年夏の甲子園 松坂投手が決勝でノーヒットノーランを達成

澤井さん

僕たちは甲子園1勝が目標だったので、負けてもちろん悔しかったですが笑えました。準優勝になって、松坂の活躍を見たからこそ、もっとやらないといけないということを学びました。

 

澤井は高校卒業後、大学、社会人とプロを目指し野球を続けた。しかし夢はかなわず、社会人4年目に現役引退。

 

 

さらに会社を辞めてスポーツ選手のマネージメントの世界に入った。日米で活躍した上原浩治さんと出会い、マネージャーとしてアメリカに渡った。そして現地で松坂と再会を果たした。今は社長として多くのアスリートを支える立場になった。

 

澤井さん

甲子園に出たメンバーもそうじゃないメンバーも含めて同世代と話をした時に、松坂世代ってプロ野球選手だけじゃなくて、いろんなところで活躍する松坂世代がいてもいいんじゃないかと。彼が象徴となって松坂世代という1つの共通言語になっています。野球をやっていなくても、自己紹介で松坂世代と言った同級生はいっぱいいると思うし、松坂世代はそれほど知れ渡っていると思います。彼の功績に貢献してませんが、そんな彼には感謝しかないですね。

 

澤井は球場で松坂の引退登板を見届けた。

 

2021年10月19日 引退試合のマウンドに向かう松坂投手

 

18番の背番号を見た時に思わず「マツ、頑張れ」と言ったという。

 

“打倒松坂”から“頑張れ松坂”に。ボロボロになるまで戦い続けた姿を見て、澤井は改めて感謝の思いを語った。

 

澤井さん

僕らが勝手に思いを抱いていただけだと思いますが、最後にワインドアップで投げる姿を見て、ほんとに松坂世代でよかったと思いましたし、見せてくれてありがとうと。松坂世代のそれぞれの道はこれからも続きますし、まだまだ終わらない。このつながりを大切に切磋琢磨して、頑張りたいです。

エースの背中を追って~プロの世界でもチームメートになった男~

「高校時代に1回シート打撃で真剣勝負したことがあって、その時に全球まっすぐでいくと松坂が言ってやったんですが、1球も当たらなかったです。それくらい衝撃のピッチャーでしたね」

 

1998年春のセンバツ高校野球でホームランを放った後藤さん

 

横浜高校で松坂とチームメートだった後藤武敏。高校卒業後に進んだ法政大ではリーグ三冠王に輝いた。そして松坂を追うように西武に入団した。

 

楽天2軍打撃コーチの後藤武敏さん

後藤  楽天2軍打撃コーチ

松坂はバッティングもすごいので、刺激になっていました。やっぱり負けられないという気持ちで僕も毎日必死で練習していました。大学に行っても松坂の投げている姿を見て、負けられないっていう気持ちが強くあって、常に意識していました。

 

後藤はルーキーイヤーの開幕戦でいきなり4番を任された。開幕投手は松坂だった。

 

2003年 日本ハムとの開幕戦に先発した松坂投手

後藤 コーチ

開幕戦で投げていた松坂は、高校時代より背中が大きくなっていました。楽しんで投げている雰囲気で、それでも簡単にバッターを抑えちゃって、守っていてもすごく心強いなと感じましたね。

 

この後、西武からトレードでDeNAに移籍し、松坂世代の1人としてプレーしてきたが、3年前に現役を引退。セレモニーでは「松坂世代の一員としていられたことに感謝」と述べた。

 

後藤 コーチ

松坂世代ということばにすごく助けられましたね。それで会話も盛り上がるし。そんな松坂に追いつき追い越せでここまでやってきましたが、松坂がいてくれたからこそやっぱり、今の自分があります。高校時代から海を渡ってもそれは変わることがありませんでした。テレビで松坂が出ればやっぱり、頑張らなきゃと、すごく奮い立たせてくれる大きな存在なんです。

 

追い続けてきた松坂の背中。後藤はその人柄も自分たちを引きつけたという。

 

後藤 コーチ

高校時代の話ですが、夏の甲子園準々決勝のPL学園との試合で松坂が250球投げました。その試合で僕は7タコにエラー暴投と、けっこうやらかして、人生最悪のゲームだったんです。そんな中でぼろぼろになっている松坂からホテルに帰るとすぐに電話がかかってきました。『ごっちゃん、全然気にしなくていいからね。でもごっちゃんの力が次の試合で絶対必要だから頑張ってね』って。疲れた体でもそうやって周りに気を使える、その言葉が本当にうれしくて頑張ろうと思いました。周りを思う彼の姿は今も変わらないんです。ここまで僕らが計り知れないもの背負ってきていたと思うので、最後は楽しさに変えてほしいですね。

海を渡った18番に球団職員が教わったものとは

「世代が一緒だろうが一緒じゃなかろうが、松坂投手は何かみんなの思いを背負ってくれてるような頑張りをしていました」

 

 

大リーグに戦いの舞台を移した松坂。レッドソックスの1年目に15勝をマーク。その年のワールドシリーズでは日本のピッチャーとして初めて勝利投手になるなど、ワールドシリーズ制覇に貢献した。

 

 

レッドソックスの吉村幹生も同世代。松坂渡米2年目から広報担当となり、その姿を間近で見てきた。

吉村さん

当時何も知らないまま入ってきて、松坂投手にはおんぶにだっこでした。本当は広報がいろんなさばきをすれば、本人の負担が少ない状態でメディア対応できたんだと思うんですけど、松坂投手にそれをやってもらっちゃったというところがありました。それでもうまく対応されて、キャラクターが変わるということは全然なかったですね。

 

吉村が広報担当になった2年目の松坂は18勝をあげた。しかしシーズン中に右肩を痛め、それ以降の成績は下降線をたどった。右肩の痛みが出にくいフォームを模索する中で、右ひじのじん帯を修復する手術も受けた。

 

2011年10月 右ひじ手術後初の練習を終え会見に応じる松坂投手

 

苦悩を抱えながらも、そのそぶりを見せず取材を受ける松坂。吉村はそこにプロの姿を感じ取っていた。

吉村さん

選手の体を触る立場ではないので、どこが痛いとか痛くないという話をするわけではありません。見ていたという意味では、本当に気付けない点だったと思います。ただ取材の中で『違和感』ということばを使った時がありました。その表現って難しいですが、プロとしてマウンドに上がるために大変なところを感じましたし、見えないところで一生懸命努力をしていたんだと思います。

 

吉村は海外スポーツの世界で仕事を続けている。

 

吉村さん

松坂投手と仕事を一緒にさせてもらい、本当にいろんな経験や関係を持たせてもらいました。彼が頑張ってきてくれたおかげで僕がこういった仕事ができている。これを少しでも日本のみならず、スポーツの力というもので返していきたいです。

“松坂は同世代の灯台” ~同じ道を歩んだ名リリーバーの思い~

「同期で同じ高卒ドラフト1位。よく比べられたけど、楽しかった」

 

 

平成10年に行われたドラフト会議で、藤川球児は松坂とともに高校卒業のピッチャーとして1位指名された。“火の玉ストレート”を持ち味にプロ22年間で日米通算245セーブをあげた。

 

藤川は去年の引退会見で、松坂にエールを送っていた。

 

藤川さん

僕は自分自身に勝ったので『絶対、へこたれるな』と言いたい。松坂はけがで苦しい中、戦っている最中なので、精いっぱい応援してあげてほしい。

 

藤川は2度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で松坂と一緒に日の丸を背負った。松坂の存在についてこう話す。

 

藤川さん

松坂世代で良かったなと思いますね。松坂大輔という選手に一歩でも近づいたり、あとから入ってきた杉内とか和田とか村田とか、他にもたくさん選手がいましたけど、やっぱり追いつこう、負けたくないはありました。お互いが切磋琢磨していて、これって野球に限らず、人生においてもそうだと思います。僕にとっては灯台みたいな存在でしたね。松坂だけが同期で高卒ドラフト1位だったのでまぁよく比べられました。今考えると楽しかったですね。WBCでも一緒だったが、いつでも彼は中心だった。成績が出ようが出まいがその姿というのはどこに行っても一番なんですよ。常にまぶしい。どこにいても輝く。やはりそれを追いかけたくなりますよね。

松坂世代の思いを受け継ぐ ~世代最後の現役選手~

 

松坂世代最後の現役選手となったのがソフトバンクの和田毅。和田は松坂からのバトンを受け取り、世代の代表として最後まで戦い抜くことを誓った。

和田 投手

憧れの同級生と過ごすことができた日々は自分にとってかけがえのない宝物です。大輔から引退の報告を受けた時は、寂しい気持ちと同時に、引退の決断をしないといけないほど体の状態が悪くなってしまったんだなと感じていました。でもきょうの大輔の姿には、23年間その時々のチームを背負って投げ抜いてきた彼の美学を感じましたし、やはり背番号18が似合うなと思って見ていました。大輔から受けたバトンは本当に重たいですが、松坂世代みんなの思いが詰まっていると思うので、託されたものに恥じない姿でいられるよう、燃え尽きるまで頑張りたいと思っています。

松坂大輔にとって松坂世代とは

松坂は1時間におよぶ引退会見の中で、松坂世代ついて問われ、こう述べた。

 

松坂 投手

本当にいい仲間に恵まれた世代だったなと思いますね。本当にみんな仲良かったですし。ことばに出さなくてもわかり合えるところはありました。自分は松坂世代って言われることはあまり好きではなかったんですけど。僕の周りの同世代のみんなが嫌がらなかったおかげで、ついてきてくれたと言ったらおこがましいかもしれないですけど、みんながいたから、先頭走ってくることができたっていうんですかね。同時に自分の名前がつく以上、その世代のトップでなければならないって思ってやってきて、それがあったからこそ、ここまで諦めずにくることができたと思います。最後の1人になった毅には、僕の前に辞めていった選手たちが、残った僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も、毅には投げ続けていってほしいなと思います。できるだけ長くやってほしいなって思います。本当に同世代の仲間に感謝しています。

松坂世代を取材して

今回、松坂世代を取材して感じたのは私が想像していた以上に深い絆の存在だった。松坂世代とひとくくりにして呼ばれることに、複雑な心情を持っていた時期もあったと思うが、それが今では自身を成長させる礎のような存在だったと振り返っていた。

 

 

輪の中心にいた松坂投手は「ありのままを出し切る」と痛みをこらえて最後のマウンドで腕を振った。栄光と挫折を経験したその生き方は松坂世代のみならず、多くの人の心に残るものだと思う。

この記事を書いた人

持井 俊哉 記者

持井 俊哉 記者

平成26年NHK入局

北九州局を経て、スポーツニュース部。小1から剣道をはじめ、現在、5段。「打って反省、打たれて感謝」をモットーに何事にも謙虚に誠実にチャレンジすることを目指す。

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