特集 新横綱 照ノ富士 ボッチャ代表に重なったその日一番限りの覚悟 大相撲秋場所

“一番に全力”貫いた不動心
その日の一番に全力をかけ、一生懸命やっている姿を見せればいいと思っていました。
新横綱で迎えた秋場所を5回目の優勝という結果で締めくくった照ノ富士は、優勝インタビューでいつものように淡々と答えた。
照ノ富士はけがと病気による休場から復帰して以降、取材に多くを語らない。
ただ表現は違えど「その日の一番に全力を尽くすだけ」と繰り返してきた。その言葉にあるアスリートたちを思い出した。東京パラリンピックの舞台で戦ったボッチャ日本代表「火ノ玉ジャパン」だ。
横綱に重なったパラアスリートたち
私はこの夏、東京パラリンピックでボッチャの選手たちを取材した。脳性まひや難病などで重い障害がある人のために考案された、この競技はボールを転がしてどれだけ的玉に近づけられるかを競う。
選手によっては手だけでなく足で蹴ったり器具を使ったりと方法はさまざまだが、そのコントロールは非常に精密でそれぞれが持っている能力を最大限に発揮するためにどれだけ練習を重ねてきたのかを想像させた。
中には、病気のために肺の機能が弱まり、空気を吸入しながらプレーして金メダルを獲得した選手もいて、それぞれの人生そのものをボールに乗せているような迫力に圧倒された。
日本代表「火ノ玉ジャパン」は「すべての試合で見てよかったと思える試合をしよう」と臨んだという。1回戦なのか、決勝なのかは関係ない。1試合、1試合、1球、1球に思いを込め見ている人の心に届く試合をすることが目標だった。合計3個のメダル獲得という結果以上に、その戦いぶりは多くの人の心に届いていた。
新横綱1つのことをやり続けた15日間
照ノ富士も秋場所の前、東京パラリンピックをテレビで見ていた。
肉体にハンディがあってもあそこまでのプレーができるんだと。自分はちょっとしたけがで腐ってる時があって、何をやってたんだ、という気持ちになった。
両ひざのけがを繰り返し、万全ではない状態で毎日の土俵に上がっている照ノ富士だからこそ、パラアスリートの覚悟が理解できたのかもしれない。
迎えた秋場所、決して楽な15日間ではなかった。前半は万全の相撲を続けて中日まで8連勝だったが後半は持ち前の圧力が相手に伝わりきらずに手こずる場面が目立つようになった。
9日目の大栄翔戦や12日目の明生戦で黒星を喫したときには明らかに腰が高く、両ひざの状態が思わしくないように見えた。だが、照ノ富士は、ひと言も言い訳をすることはなく淡々と土俵に上がり続けた。
いろいろなことができる体ではない。1つのことを一生懸命やっているだけ。
あす、土俵に上がれなくなるかもしれないから、何よりもきょうの一番を大事にする。その覚悟が「火ノ玉ジャパン」の選手たちに重なるように私には思えた。
千秋楽、照ノ富士を星の差1つで追っていた妙義龍が敗れ、取組前に優勝が決まったが、その姿勢は変わらなかった。大関・正代を相手に右四つの万全の形を作って寄り切る横綱相撲。これまでと同じ、一番にすべてをかけた照ノ富士の相撲を15日間貫き通した。
“いつ何が来るかわからないから”
優勝を決めたあと、次の九州場所への意気込みを聞かれ、照ノ富士は表情を変えずにこう答えた。
土俵の人生はいつ何がくるかわからないので全力を出して、精一杯やっていきたいと思います。
もう1人の横綱・白鵬は千秋楽の翌日に引退の意向が明らかになった。
照ノ富士自身も、相撲が取れなくなる日はいつか来る。それがあすであっても後悔しないように、きょうに全力を尽くすのが照ノ富士が考える横綱の姿だ。今を懸命に生きる美しさをボッチャ日本代表と新横綱がそれぞれ違った形で教えてくれた。
この記事を書いた人

清水 瑶平 記者
平成20年 NHK入局。熊本局、社会部などを経て、平成28年からスポーツニュース部で格闘技を担当。学生時代はボクシングに打ち込む。