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東京パラリンピック 車いすバスケットボール 藤本怜央「集大成の銀メダル」

2021-09-09 午前 09:51

8月、東京オリンピック女子バスケットボール決勝戦の舞台で戦ったのが日本とアメリカ。東京パラリンピックでも同様のカードとは、デジャブかと思ってしまう。でも、現実だ。男子車いすバスケットボール決勝戦「日本対アメリカ」が、大会最終日の9月5日に有明アリーナで行われた。

 

 

リバウンドをとろうとする藤本(背番号13)

 

日本代表が、パラリンピックで決勝進出するのは初めてのことだ。対するアメリカは前回リオ大会の覇者で、2018年の世界選手権でも準優勝している。日本は前半から互角の戦いを演じ、1点、1ゴールを追いかけ合う展開の末、64ー60でアメリカが逃げ切った。堂々たる死闘の結果、日本は初の銀メダル獲得を成し遂げた。

 

 

2018年にドイツで開催された世界選手権では、日本は9位。ディフェンスから組み立てる速いトランジションバスケを標ぼうしてきたが、わずか3年前には世界のトップに歯が立たないという状況だった。当時優勝したイギリス、準優勝のアメリカは、ハイポインターによるシュートに頼るのではなく、ミドルポインターを攻撃の起点として速い展開でオフェンスを組み立てていく連携プレーで、ともに決勝の舞台で戦った。それは、当時の日本が求めるプレースタイルの一つの理想形だった。

 

2019年にアメリカに遠征して練習試合を行った際にも、日本はダブルスコア以上の点差をつけられて、3戦全敗している。「プリティ・イージー(超、楽勝)」。それが、直近のアメリカの日本評だったことは事実だ。

2020年、世界的なコロナの感染拡大により、東京パラリンピックは1年延期に。国際大会もできず練習さえも制限されていた。にもかかわらず、日本は、急成長を遂げ理想とする「ディフェンスで世界に勝つ」というコンセプトを体現した。

 

 

決勝戦は、藤本怜央の3ポイントシュートで日本が先制。シュート力の高いアメリカの攻撃を阻止しながら、鳥海連志、赤石竜我ら若手選手の活躍で8−0とリードを広げた。その後は、アメリカのキャプテン、スティーブ・セリオの猛攻で第1クオーターを18ー18と同点に追いつかれた。

 

鳥海連志(左)、赤石竜我(右)

 

 

そこから激しいシーソーゲームが展開される。第2クオーターではアメリカのシュート力が日本に勝り27ー32と5点差で前半を終了したが、後半に入ると、再び日本が躍動。途中出場の藤澤潔も得点しチームに貢献し、第3クオーター終了時点で46ー45。

 

 

ディフェンスが機能したことはもちろんだが、日本のシュートも爆発した。アメリカのロン・ライキンスHC(ヘッドコーチ・写真)は日本の今大会の特徴として最初に「シュート力の高さ」をあげているほどだ。オフェンスでもディフェンスでもリバウンドを取り、ペイントエリアを囲むようにして相手選手を翻弄しながらパスを回す。挙句の果てに、空いた選手が確実にシュートを決めていく。決勝戦の厳しい戦いの中、アメリカのフィールドゴール決定率は43%。これに対して日本は49%。負けたにもかかわらず高い得点率を叩き出した。

 

 

最終クオーター、日本は途中3点差までリードしたが、終盤ファウルゲームでセリオのフリースローがきっちり決まる。60ー64で試合終了のブザーが鳴った。

 

「残り5分。そこからの勝ち方を、アメリカは知っていた。エースのスティーブが、こういう場面でのメダルの勝ち取り方を示したことが勝敗の分かれ目だった」

 

2004年アテネパラリンピックに初出場し、5大会目で初の銀メダルを手にした藤本が、語った。

「まるで、代表に入ったばかりのルーキーのように、決勝戦、ワクワクが止まらなかった。日本人らしいディフェンスで緻密に勝ち上がるスタイルを表現できたこと、若手に頼られる存在になれたことは、何よりも幸せな時間だった」

 

銀メダルを手にする藤本(右)と、香西宏昭(左)

 

 

藤本怜央、36歳。高校まで義足を装着して一般のバスケットボールで活躍していたが、高校3年の時に車いすバスケの存在を知った。立ってするバスケより車いすに乗っている選手たちの自由な動きに魅了され、転向した。宮城MAXというチームに所属するために東北福祉大に進学。なれない車いす操作をはじめゼロから車いすバスケをマスターしてきた。

 

藤本が所属する宮城マックスのHC岩佐義明氏は、2008年北京大会で女子日本代表を4位にした。その後、2012年のロンドン大会では男子HCに。当時AC(アシスタントコーチ)を務めていたのが4年後リオ大会でHCとなる及川晋平氏。さらに及川のACをしながらU23の世界選手権大会で指揮をとった京谷和幸氏が2020年にHCに就任し、今大会で日本を銀メダルに導いた。

 

 

宮城MAXから続く「走るバスケ」「ディフェンスから始まる展開の速いバスケ」というコンセプトが、藤本の車いすバスケ人生の年数分だけ重なって、昇華された形になる。

 

「及川さんが岩佐さんのACになって、日本が2010年中国・広州のアジアパラ大会で優勝した時、日本が勝つということはまさにこれ(現在に続くトランジションバスケ)なんだということを示してくれた瞬間が、今日につながっている。岩佐さん、及川さん、京谷さんとHCは変わったけれども、底に流れる方向性、僕らが目指すものはずっと同じだった。だからこそ、迷うことなく東京の舞台を迎えられたんです」

 

パラリンピック5大会連続出場してきた藤本自身、集大成と決めて臨んだ今大会での銀メダル。

「区切りにはなりました。次のステージに進むのか、世界一が指にかかったことで、もう一度世界一を目指すのか。そこは、今はわからないが、このスポーツが大好きだし、もう一度この東京パラリンピックを振り返って、これから自分の向かう道を見つめたい」

 

 

藤本とともにドイツのブンデスリーガでプレーした香西宏昭は、スーパープレーを発揮する手腕とは別に、どんな時にも笑顔でチームメイトを鼓舞する姿が印象的だ。その香西が、銀メダルを決めた最後の瞬間に涙を流した。

 

「アメリカに負けて悔しいという気持ちもあったが、それ以上にこの大会で代表を最後にすると決めている選手がいた。その選手たちと、もう一緒にバスケができないのかと思うと、最後に勝って終わりたかったという気持ちが込み上げてきました」と、語る。

 

 

リオ大会後に代表チーム主将としてチームをけん引してきた豊島英は、今大会を最後と決めていた1人だ。試合終了後、涙を流して選手1人ひとりに声をかけた。

 

「特に若い世代には、次こそ頑張れ、と。リオの後、まさに一からチームを作ってきた。体づくり、走り込みから始めて。メダルは遠い存在だった。毎年、そして今大会に入って、1試合ごとに成長を実感してこられた。それが、最後、銀メダルにつながりました」

 

中央:京谷和幸ヘッドコーチ(写真は準々決勝時)

 

京谷HCは、第4クオーター終盤、若手選手中心のラインナップをコートに送り出した。香西3.5、豊島2.0、鳥海2.5、古澤拓也3.0、赤石2.5。持ち点14.0以内で行う車いすバスケ、5人の合計は13.5だ。

「アメリカとの勝負は、このラインナップと決めていた。このメンバー12人の中で最もスピードがある」

 

アメリカを最後にかき回したが、力尽きた。

「コロナ禍で試合もままならない状況の中、代表の12人のメンバープラス、大会には出られなかった5人の強化指定選手が“12人”を後押ししてくれた。その5人の合計は15.5。彼らが海外チームと同様の強度で練習に付き合ってくれたからこそ、東京本番で12人は力を発揮できたんです」

 

 

世界一のイギリスを準決勝で下し、リオチャンピオンのアメリカを追い詰めた日本。東京パラリンピックでの8試合は、車いすバスケを心から愛する選手たち全員が作り上げてきた結晶だ。銀メダルは、その長い道のりの上に輝きを放っている。

 

 

朝からそぼ降っていた雨は、試合終了時間に合わせるように上り、雲の切れ間から秋の日差しがのぞいた。13日間の東京パラリンピック。男子車いすバスケットボール日本チームの銀メダルで、全ての競技を締めくくった。

 

 

【関連記事】

東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味 ~藤本怜央(車いすバスケットボール)(2020年6月11日)

(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/20200611-miyazaki/)

 

 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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