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東京パラリンピック 車いすテニス 国枝慎吾「重圧に打ち勝って」

2021-09-08 午後 02:57

東京パラリンピック、9月4日。車いすテニス最終日、男子シングルス決勝が行われた。王者復活を果たした国枝慎吾と、オランダのトム・エフベリンクが決勝戦で対決。セットカウント2-0で、国枝がロンドン大会以来2大会ぶり3度目のシングルス金メダルを獲得した。

 

決勝の相手エフベリンクは、28歳。シングルス世界ランキング8位で、東京大会直前のウインブルドンでは1回戦でステファン・ウーデ(フランス)に敗れている。時速170kmを超える強烈なサーブを武器に、東京パラリンピックの準決勝でアルフィー・ヒューウェット(イギリス)を下して決勝の舞台に駒を進めた。率直に言えば、パラリンピック決勝のダークホースである。

 

 

決勝戦は、国枝のサーブで始まった。国枝は序盤から積極的に前にでて、ネット側のショットを決める。エフベリンクは豪快なウィナーを放ち第1ゲームのブレイクに成功した。そこから国枝は、反撃を開始。強烈なサーブに対し、ミスのないリターンを展開。持ち前のトップスピンをかけたバックハンド、積極的なネットプレーで6ゲームを連取した。

 

 

続く2セット目も、国枝は手を緩めることなく前へ、前へと畳みかける。ダブルフォルトを重ねるエフベリンクに対し、ミスを誘うサービスで翻弄する。フォアハンドの強打でエフベリンクをコートの外へと追い出し、返すだけになった球をドロップショットで決めるなど、終始冷静にプレーを重ねた。

 

5−2で迎えた最終ゲームはデュースにもつれ込んでいた。国枝の鋭いフォアハンドのストレートがエフベリンクのコートに突き刺さり、アドバンテージを得る。ゴールドメダルポイント。エフベリンクの甘いフォアハンドショットがネットに引っかかった。国枝の金メダルが決まった。

 

「正直、マッチポイントの瞬間も全然、覚えていません。思い出せるのは、日本陣営、岩見(亮)コーチ、北嶋(一紀)トレーナーの顔。最後の瞬間は全く記憶にないほど興奮していました」

 

 

ネット越しではなく直接エフベリンクとハグを交わし、主審とグータッチすると、両手で顔を覆った。涙がとめどなくあふれていた。

「とても大きな“重圧”がかかっていました。だからこそ、勝利の瞬間、涙が出た。最後はパラリンピック特有のメンタル勝負になると、経験上わかっていました。そのメンタル勝負に勝ち切った。枯れるほど、涙が出てきたと思います」

 

 

国枝は、初出場した2004年アテネ大会の男子ダブルスで金メダルを獲得した時から、同じように「重圧」を口にしていた。アテネ大会では、フルセットになったオーストラリアとの長い準決勝で、初めての重圧に脅えていた。3セット目に入る前、国枝はプレッシャーからトイレでおう吐を繰り返した。最終セットで3ゲーム先取されたところから逆転。勝って泣いたのは、その試合が初めてで、その後に行われた決勝戦で勝った時には笑顔だった。

 

2008年9月 北京パラリンピック 車いすテニス 男子シングルス 表彰式

 

2006年には初めて世界ランキング1位となり、08年の北京大会で初めてのシングルス金メダル。09年にプロフェッショナルへ転向し、右ひじの故障を抱えながらもロンドン大会で2連覇と、王者街道をまっしぐらに進んできた印象がある。

 

前回リオ大会では、再び痛みがぶり返した右ひじに悩まされ準々決勝敗退。テニス人生を終わらせることも頭をよぎったという。

 

2018年10月 アジアパラ大会 車いすテニス 男子シングルス 決勝

 

リオ大会以降、ひじに負担がかからないフォームを研究し、グリップからテイクバック、フォロースルーに至るまで再構築に挑んだ。対戦相手に時間的余裕を与えない攻撃力を身につけて、2018年に再び、世界ランキング1位に返り咲く。そうして、東京パラリンピックに臨んだのだった。

 

王者としての圧倒的な強さを見せつけて優勝した国枝に、どのような重圧がかかっていたのか。

 

「今年3月から、パラリンピックが目の前に迫り、グランドスラムよりもパラリンピックの方が頭を占領していました。東京パラ本番を目前に、全豪、全仏、ウインブルドンで敗れて、めちゃくちゃ焦っていたんです。直前にもかかわらず、テクニックを変えた」

 

眠れない日々を過ごしながら、東京大会直前まで自分のプレーを見直した。時には、練習中に岩見コーチと声を荒げる場面もあったという。

 

「グランドスラムで負けるたびに、見直す。それがかえって迷いにつながってしまったところがあった。去年絶好調だった時の全豪、全米オープンのフォームに戻そうと急ピッチで進めましたが、4か月間ほど新しいフォームで練習していたことがすでに身に付いてしまい、なかなか自分の思うようなプレーができない。本当に難しく、自分を疑っていました」

 

 

東京パラ本番1週間前に、ようやくバックハンドで自分の思う形が定まった。

「最後の最後まであがきまくったからこそ、今日のこの瞬間があった」

と、語る。自分のプレーを疑い、そこから這い上がってくる苦しさこそ、重圧の原因だった。

 

 

プレッシャーをコントロールできたのは、06年から指導を受けるメンタルトレーナー、アン・クイン氏の力によるところが大きい。

「彼女には、パラリンピック期間中毎日連絡をとっていました」

 

もともと、国枝は「オレは最強だ!」という不屈のキーワードを持っている。白いテープにその言葉を書き、ラケットのブリッジに貼っている。

「今回はそれプラス、“I can do it!(おれはできる)”“I know what to do!(やるべきことはわかっている)”という3つのキーワードを、毎日鏡の中の自分に言い聞かせて、この決勝戦に臨みました」

 

 

グランドスラムは1年に4回チャレンジできる。パラリンピックは4年に1度しか勝つチャンスはない。リオで挫折を味わい、もう一度金メダルを獲得して“最強”を証明したいと思っていた。

「リオ大会で敗退した時には、今の自分は99.99%想像できなかった。人生の中で一番幸せな瞬間でした」

 

 

連日、東京パラリンピックはテレビで中継された。

 

左:ゴードン・リード、右:アルフィー・ヒューウェット(ともにイギリス)

 

「車いすテニスのファンを増やすことは、この競技を始めたころからの大きなテーマでした。報道陣の数も、中継の時間も、僕のSNSのフォロワーの数も圧倒的に増えた。僕のファンも増えてほしいが、一般のテニスで日本人がフェデラーのファンになるように、車いすテニスの海外選手ファンも増えてほしい。イギリスのゴードン(・リード)なんかイケメンだし、東京パラリンピックがきっかけで、たくさんのファンができたのではないか。それは、金メダル以上の価値かなと思う」

 

 

写真:エフベリンク選手(左)とリード選手(右)とともに

 

自身のプレーで世界を魅了すること。金メダルの活躍で車いすテニスファンを増やすこと。スポーツとしての車いすテニスの魅力を、自身のプレーで発信する。東京パラリンピックの舞台で、国枝の思いは、金メダルとともに世界へと拡大していった。

 

 

【関連記事】

【リオアーカイブス】何よりも得難い銅メダル~国枝慎吾~(2016/9/16)

(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/265620/)

 

第17回 国枝慎吾(車いすテニス)「見つめる先にあるもの」(2018/3/18)

(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/292072/)

 

 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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