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東京パラリンピック 車いすテニス 大谷桃子「上地の背中を追いかけて」

2021-09-07 午前 07:38

9月4日、車いすテニス会場の有明テニスの森は霧雨で、近隣の高層ビルが霞んで見えた。車いすテニス競技最終日、センターコートで女子ダブルス3位決定戦が行われ、日本の上地結衣・大谷桃子が出場。中国の朱 珍珍・王 紫瑩ペアと対戦し、セットカウント2-0で銅メダルを獲得した。

 

 

前日、上地は女子シングルス決勝戦に臨み、オランダのディーデ・デ フロートとの激戦に敗れ、銀メダルに。試合が終了したのは、午後11時30分を過ぎていた。報道陣の取材に対応し、宿泊棟に戻り、たくさんのお祝いメッセージ一つひとつに目を通しながら自分のプレーを振り返る。ベッドに入ったのは午前3時ごろだった。

 

翌朝8時に朝食をとり、再び競技会場に入ると、静かな力が沸き上がってきた。

「次の日に3位決定戦が残っていることで、むしろ集中力を切らさずにいられたのかな、と思います」

 

一方、ペアを組む大谷は、上地の決勝戦を最後まで見届けると1人宿泊棟に戻った。

「上地選手のプレーを見て思うところがたくさんあり、私もなかなか寝付けませんでした」

 

 

3位決定戦は、午後12時44分に中国のサービスでスタート。序盤から長いラリーが続き、粘り強いストロークで中国のミスを誘う。大谷が積極的に前に出て左からフォアハンドのウイナーを放ち、第1ゲームのブレイクに成功した。

 

 

中国の朱(写真左)は、シングルス世界ランキング7位でグランドスラムにも出場するトップ選手。一方の王(写真奥)は23歳の若手で、パワーのあるショットが武器だが、若さゆえプレーにはムラがある。強烈なサーブで日本は苦しめられるが、長いラリーではミスも犯しやすい。我慢強くラリーを続けながら、いかに中国ペアのミスを引き出すか。それが、この勝負のカギになる。

 

日本は8ゲーム、上地がドロップショットに素早く反応してウイナーを放ち、セットポイントを握ると、最後は王のショットミスでキープに成功。6−2で第1セットを終えた。

 

 

第2セットも序盤から日本が3−0とリード。しかし、そこから中国の反撃が始まる。ミスショットを連発するなどプレーに精彩を欠き、4-5と逆転を許す。さらに一進一退の攻防が続き6−6、ついにタイブレークへと突入した。

 

3ポイント連取されて中国にリードを許すが、その後連続ポイントで4−3に。中国ペアのショットミスが続き、そのまま日本が7ポイント先取。2時間29分に及ぶ長いラリー戦を、6−2、7−6で勝ち取った。

 

 

「最初は、中国の狙いどころが定まらなかったのですが、大谷選手に狙いを定めたことで落ち着きを取り戻してからの徹底ぶりはすごかったです。そんな中、大谷選手は本当に粘り強く頑張ってくれた。最後に取り切れたのは、大谷選手の精神力でした」(上地)

 

 

「2セット目に相手のミスが少なくなったタイミングで、自分のミスが増えてしまった。とにかくミスを減らして粘り強くラリーを続ける中で、チャンスボールを作っていかないといけない。上地選手が中に、中に入ってきてくれて、決め切ってくれたことで、気持ち的にとても助かりました」(大谷)

 

 

 

上地は2012年ロンドン大会から3度目のパラリンピック。一方、大谷は、去年グランドスラムデビューを果たし、初めてのパラリンピック出場となった。

 

 

大谷をはじめ今回初出場の田中愛美(写真右)、高室冴綺(写真左)は、ともに上地と同世代。上地の背中を追いかけるように、リオパラリンピックを境に急成長してきた。中でも2016年に競技を始めた大谷の躍進は目覚ましい。

 

1995年栃木県出身の大谷桃子は、小学3年で硬式テニスを始め中学3年の時に関東ジュニアで活躍。スポーツ推薦で作新学院に進学、インターハイのダブルスに出場した経験がある。高校卒業後、病気の影響で、下半身だけでなく上肢にもまひが残った。

 

車いすテニスを始めたのは、2016年。福岡県内で開催されたジャパンオープンに出かけ、躍動する選手の姿を見て触発された。とはいえ、なれない車いすでテニスをすることも覚束なく、指導者も練習できるコートを見つけることも困難だった。

 

「当時は、リオパラリンピックのことも知りませんでした。パラリンピックの動画を見せてもらう機会があって、そこで国枝(慎吾)選手や上地選手のプレーする姿を見て、やっぱり始めようと強く決心したんです」

 

知り合いからテニスの指導者を紹介してもらい、市民コートを予約して練習する日々。それでも、再びテニスができる喜びは大きかった。

 

そこから、わずか4年。大谷は、2020年コロナ禍で開催されたテニスのグランドスラムである全米オープン、全仏オープンに出場。全仏では、今大会女子シングルス金メダリストとなったデフロートと対戦し、初めての勝利をあげ準優勝している。現在、シングルス世界ランキング5位。本格的なテニス経験を武器に急成長を遂げ、東京パラリンピックの初舞台に臨んだ。

 

 

 

大谷は、ラケットを握る右手の握力がわずか4kgしかない。手の指をテーピングで握る形に固定して、ラケットを支えるように持つ。体温調整も難しく、長いラリーが続いて体温が上昇すれば命の危険さえある。

 

車いすテニスには男女のカテゴリーの他に三肢以上に障害がある人が対象のクアードクラスがあり、大谷の障がいの状態、程度でいえば、クアードで出場できる。それでも女子のカテゴリーで戦うことを決めたのは、国枝慎吾、上地結衣の存在があるからだ。すぐ身近に世界のトップアスリートがいる。その背中を追いかけていくことができる。

 

初出場の東京パラリンピックは、世界的なコロナの影響で厳しい感染対策が講じられた。大谷が車いすテニスを始めた時から指導する古賀雅博コーチは、大谷とともに選手村に入ることができなかった。コーチ不在で初めての大舞台に挑みながらも、シングルス5位、ダブルスで銅メダルという成績を残した。

 

「本当に多くのことを学んだパラリンピックでした」

全ての試合が終了して、大谷は清々しい笑顔を見せた。

 

 

「“パラリンピックは過酷“と、誰かから聞かされましたが、実際、その通りでした。でも、パラリンピックで戦う国枝選手と上地選手のシングルス決勝を観戦して、グランドスラムとも違う感動がありました。2人からは決して諦めない姿勢、いくつもの勇気づけられるプレーを受け取った。感謝しか、ありません」

 

 

力不足を実感したと語るが、視線はすでに前をひたと見つめている。銅メダルを手にして「目指すところは、これじゃない」と、ぎゅっと握りしめた。

 

「3年後のパリパラリンピックではもっといい色のメダルを目指す。そうこの東京で覚悟ができました。できれば、国枝選手、上地選手に続いて、しっかり3人で日本の車いすテニスを引っ張っていけるように。それが、改めて見えた目標です」

 

 

大谷と上地の決勝が、近い将来実現する。そんな夢が垣間見えた、東京パラリンピックだった。

 

 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

 

 

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