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東京パラリンピック 車いすラグビー 島川慎一「まさかの銅メダルから続く道」

2021-09-01 午前 11:30

2021年8月29日 東京パラリンピック 車いすラグビー 3位決定戦 島川慎一

 

リオパラリンピックで銅メダルを獲得し、今大会金メダルを目指してきた車いすラグビー日本代表は、28日の準決勝でイギリスに敗れ、29日、3位決定戦に出場した。ロンドン、リオ2連覇のオーストラリアと対戦し60-52で勝利。リオ大会に続く銅メダルを獲得した。

 

「ケビン(・オアー ヘッドコーチ)が、常々口にしている“オフェンスもディフェンスも攻撃的に”というコンセプトを、今日はしっかり実践できた。それが、メダルにつながった」

 

2004年、車いすラグビー日本チームが初めてパラリンピックに出場したアテネ大会から東京まで5大会連続で出場し、エースとしてチームの先頭を突っ走ってきたベテラン島川慎一は、3位決定戦の試合後にこう語った。

 

 

前日、49-55でイギリスに敗退した直後、日本の選手は、誰もが魂をすっぽりと落としてしまったかのようだった。しかし、最も感情の崩壊を見せたのは、リオ大会以降日本を率いてきたオアーHC(ヘッドコーチ)だ。最後にミックスゾーンで報道陣の取材を受けたオアー氏は、記者から「明日の3位決定戦までに選手のメンタルを立て直すのは難しそうに思われるが…」と問われると、手を胸に当てて、嗚咽(おえつ)を漏らした。どんな時にも快活で、的確なコメントを発信するオアー氏の、そんな姿を見るのは初めてだった。

 

準決勝で敗れ、うつむく池崎大輔(右)に声をかけるケビン・オアーHC(2021年8月28日)

 

 

時間が、止まった。

 

「銅メダルは敗戦を経てからの戦いだから、メンタルを立て直すのは難しい。自分たちのラグビーを、明日の3位決定戦で出すだけだ」

そう、言葉を絞り出した。

 

 

3位決定戦は開始早々、オーストラリアのエース、ライリー・バット(左)のペナルティーからスタート。日本の主将、池透暢が先制点をあげると、バットが取り返す。オアーHCはどんどん選手を交代して、コートにフレッシュな戦力を送り込んだ。池がバットのパスをスティールして、池崎大輔にゴールを決めさせるなど得点を重ね、第1ピリオドを17-14とリードした。

 

 

池、池崎、そして島川。リオ大会でも活躍した主軸のハイポインターは、スピードあるチェアワークとロングパスでトライを量産する。一方、今大会パラリンピック初出場の5人も、コートで躍動した。

 

 

タックルの場面で若手選手を引っ張っていたのが、島川だ。20年以上前、まだ車いすラグビーが日本に紹介されたばかりの頃、車いす同士をぶつけ合う姿に魅了されて、島川は車いすラグビーを始めた。世界のどんな屈強な選手をも吹っ飛ばす当たりの強さこそ、島川の代名詞だ。この3位決定戦でも、キーエリアで若手のローポインターと息を合わせてバットの行く手を遮り、勢い余って大転倒させる場面が見られた。

 

「シン(島川)さんのタックル、絶対に自分は受けたくないっす。向かってくるときのシンさんの顔!鳥肌が立ちます」

今大会日本チーム最年少の橋本勝也は、島川のタックルは世界屈指だとリスペクトしている。

 

試合は、前半終了時に30-25。日本の勢いは止まらず、前回覇者のオーストラリアを60-53の大差で下して完勝した。

 

2004年9月 アテネ大会の島川(右)

 

現在46歳の島川が日本代表選手として国際大会にデビューしたのが2001年。初出場したアテネ大会では、日本は最下位の8位ながら、島川は大会最多得点を挙げた。その活躍から、当時、オアー氏がHCを務めていたアメリカ選手に声をかけられ、単身渡米する。本場の車いすラグビーに没頭し、外国人初のアスリート・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。滞在中、オアー氏のいるアラバマのチームとも対戦し、親交を深めてきた。

 

当時から、島川は、選手の特性を生かしながらアグレッシブに展開させるオアー氏の手腕に惚れ込んでいた。「日本に来て、日本チームの監督になってもらえませんか」。08年北京パラリンピックで再会したオアー氏に、自分の思いをぶつけたこともある。

 

「だから、ケビンが日本のHCになることが決まった時には、ものすごく嬉しかったんですよ」

 

オアーHC(中央)と島川(右)

 

準決勝敗退が決まった夜、オアー氏は、チーム全員に「最後までハードワークして、オフェンスでもディフェンスでアグレッシブにプレーする。そういうラグビーを、日本チームを、私は愛している」というメッセージを送信した。

 

「20年以上日本代表として車いすラグビーをやってきたけれど、今の日本チームは最高です。ケビンだから2018年の世界選手権でも優勝できたし、僕らは真っ直ぐに金メダルだけを見て、ここまでやってこられた」

島川は改めてオアー氏とともにまい進してきた5年間に思いを馳せた。

 

 

選手村に戻ると、池と相談して、選手だけのミーティングをした。失意のままぼう然とする選手たちを前に島川は言った。「負けた試合は戻らない。今日は泣きたいだけ泣いていいし、わめいてもいい。でも朝起きて体育館に入る時には、しっかり切り替えよう」。

 

背中で引っ張ってきた“兄貴”の言葉に、チームがうなずく。

「いや、本当は自分が一番、こういうミーティングをやりたくなかったんですよ。悔しい、本当に悔しいって思ってたから」

 

 

銅メダルが決まった瞬間、喜びに沸くチームメイトを離れて、1人ケビンに近づき、島川はがっちりとオアーHCとハグを交わした。

「ケビンが日本にきて、僕もすごく成長できた。自分の強み、スピードとタックル。それを一番わかってくれているのがケビン。ケビンが望むラグビーと、僕のプレースタイルは近いんです」

 

2人に、涙はない。

 

 

「この5年、ケビンこそプレッシャーは大きかったはずですよ。コロナ禍でアメリカと日本の往復も待機期間があって大変だったけど、合宿のためにその都度、来日してくれた。何より日本チームをここまで強くしてくれたんです。感謝しかありません」

 

日本チームに金メダルを。それは、オアー氏にとっても、なんとしてもつかみたいタイトルであり、ミッションだった。

 

東京パラリンピックの車いすラグビーは、幕を閉じる。ここからまた、3年後のパリ大会への道のりが始まる。

 

 

オアー氏の続投は決まっているという。オアー氏には、まだまだ日本でやりたいことがたくさんある。

 

 

今大会、日本チーム12名の選手のうち半数近くが初出場のルーキーだった。

 

左より、橋本勝也、小川仁士、中町俊耶、長谷川勇基、倉橋香衣

 

「コロナ禍で難しい状況ではあるが、東京パラリンピック終了後すぐに育成合宿の予定がある。東京パラリンピックをテレビで見た障がいのある子どもたちが、1人でも多く車いすラグビーをやりたい、パラリンピックを目指したいと思ってくれたのではないか。私自身、1984年ロサンゼルスオリンピックの時に、エキシビションで行われた陸上の車いすレースを見て、陸上を始めたという経験がある。そういう新しい人材を、日本の小さな町から探し出すところから、もう一度スタートさせたい。橋本勝也はそのロールモデルだ」

 

 

出場5大会を数える島川にとっての、東京パラリンピック。

「引退する気、さらさらないんで。ケビンに“お前はいらない”と落とされるまでは続けていくつもりです。また、前に進んでいきます」

 

車いすラグビー日本チームの、金メダルへの新しい道が、東京から始まる。

 

 

 

【関連記事】

東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味 ~島川慎一(車いすラグビー)(2020年7月9日)

(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/20200709-miyazaki/)

 

パラアスリートの流儀 第34回 島川慎一「大成功のロンドンを超えて」(2019年10月9日)

(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/20191009-miyazaki/)

 

パラアスリートの流儀 第26回 ケビン・オアー(車いすラグビーヘッドコーチ)「世界一へのプロジェクト」(2018年12月12日)
(https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/310964/) 
 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。
 
 

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