ストーリーパラスポーツ

難民キャンプからパラリンピックの舞台へ ハキジマナ選手

2021-09-02 午後 09:15

2020東京パラリンピックでは、リオデジャネイロ大会に続き、難民選手団が結成されました。

そこに、初めて難民キャンプから参加した選手がいます。
テコンドー男子 K44(上肢障害)61キロ級に出場したパルフェ・ハキジマナ選手です。

 

2日に行われた初戦でブラジルの選手に敗れ、敗者復活戦に臨む予定でしたが、怪我のため棄権しました。

 

難民キャンプからパラリンピックの舞台へ。

どのような思いがあったのでしょう。

母親の死 銃弾で左腕を・・・

ハキジマナ選手の故郷 ブルンジの子どもたち

 

ハキジマナ選手は、アフリカ東部に位置するブルンジ出身です。
ブルンジでは、民族間の抗争や内戦が続いていました。ハキジマナ選手は8歳のとき、戦火を避け逃げていた場所で攻撃にあいました。

そこで母親を亡くし、自身は銃撃で左腕の自由を失いました。

絶望のふちで出会ったテコンドー 

リハビリのために、さまざなスポーツに取り組んだハキジマナ選手。16歳のときにテコンドーに出会い、夢中になりました。

ハキジマナ選手

「テコンドーが本当に好きでした。テコンドーをしているときは、心が軽くなりました。」

 

ハキジマナ選手が20歳になったころ、さらなる苦難が襲いかかります。父親が、交通事故で亡くなったのです。絶望のなかでハキジマナ選手はテコンドーを続け、2010年にはテコンドーの道場を開きます。ところが、軍のクーデター未遂事件をきっかけに治安が悪化。2015年、ハキジマナ選手は多くの人々と共に国外へと逃れました。

ハキジマナ選手

「ブルンジに残って母のように撃たれるのがとても怖かった。だから国を出ることにしました。」

新たな故郷と家族 マハマ難民キャンプ

マハマ難民キャンプ 

 

現在は隣国ルワンダのマハマ難民キャンプで暮らしています。当初は飲み水を得るのも大変でした。しかし、ここでもハキジマナ選手はテコンドーに取り組み続けました。1年後にはキャンプの中で道場を開き、今では150人にテコンドーを教えています。ハキジマナ選手は、道場に通う人たちを家族のように思っています。

希望を繋ぐ パラリンピック出場

 

マハマ難民キャンプに暮らすひとたちは、ハキジマナ選手のパラリンピック出場を、我がことのように喜んでいるといいます。

少しずつ状況は良くなっているとはいえ、マハマ難民キャンプでは未だに食べることや医療を受けることがままなりません。こうしたなかでパラリンピックに出場したハキジマナ選手は、すでにマハマ難民キャンプの希望なのかもしれません。

ハキジマナ選手

「難民たちはほとんど何も持っていません。でも、スポーツは悩みを忘れる助けになるんです。」

 

 

 

東京2020パラリンピックテコンドーの最新情報は特設サイトで!

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!