ストーリーパラスポーツ

パラリンピック競技『スポーツ翻訳』 伊藤亜紗さん「ブラインドサッカー=空間認知と連携」

2021-08-27 午後 07:32

実験中の伊藤亜紗さん(中)と葭原滋男さん(左)

 

「スポーツの本質や醍醐味をその競技をやったことのない人にも“翻訳”し、簡単なゲームとして伝える。」そんな難しいことにチャレンジしてきた人がいる。

東京工業大学で、様々な人の身体と知覚を研究している伊藤亜紗教授だ。

伊藤さんが今回“翻訳”に取り組むのは。パラリンピックの種目、ゴールボールとブラインドサッカー。両者とも視覚に障がいのある人を対象とした競技だ。

これまで野球や体操など10競技の“翻訳”を行ってきた伊藤さんは、パラスポーツをどのように“翻訳”したのか、その取り組みを通じて、パラスポーツの魅力と楽しみ方を2回に渡って伝える。

第2回は、ブラインドサッカー選手として日本代表チームでの活動経験がある葭原滋男(よしはら・しげお)さんをアドバイザーに迎え、自由にプレーする“ブラサカ”の極意に迫る。

 

<見えないスポーツ図鑑とは>

 

『見えないスポーツ図鑑』は、伊藤さんを中心にNTTの研究所で人間の知覚や認識を研究している渡邊淳司さん林阿希子さんの3人で取り組み、視覚障がい者のためにスポーツの臨場感をどう伝えるか、ということに端を発した研究だ。進めるうちに“スポーツの本質を体感すること”に行き着いたという。実際にプレーするのとは違う形で、スポーツの感触を体験する。つまりスポーツを「翻訳する」のである。

 

伊藤さんは「視覚だけで捉えきれない、選手がスポーツをしている時の実感を、別の形で翻訳することで、スポーツを理解できるのではないか。それが、この研究のテーマなのです」

と、語る。

■ブラインドサッカーとは

 

5人制サッカーは、4人の視覚障がいフィールドプレーヤーと、目が見えるゴールキーパーの5人で戦うサッカー。フィールドプレーヤーは全員アイマスクを着用し視覚を完全に遮断した状態でプレーする。転がすとシャカシャカと音がするボールを使い、ゴールキーパー、相手ゴール裏に待機するガイド、監督の3人がボールや選手の位置、動き、状況などについて声による指示を出す。

 

 

 

選手同士の衝突を防ぐため、ボールを保持する選手に近づく際は「ボイ」というかけ声をかけることがルール。また、ピッチ両サイドには高さ約1mのフェンスが設置されており、ボールがサイドラインを割ることなくプレーが続行、選手はフェンスによって自分の向き、位置などを把握することができる。

 

葭原さんの視力は「光が感じられる程度」。中学高校時代に一般のサッカー経験があるため、アイマスクを着用してプレーするブラサカでも、視覚以外の情報を、頭の中で映像化させ、それを“見て”プレーしているという。

 

 

「サッカーの時の見え方というのは、どんな感じですか」(伊藤)

「目の高さで見ています。時々、ふかん的に全体を見渡すこともありますが、基本は主観的な見え方です。仲間の動きとか、相手選手の足首の向きも、見えていますよ」(葭原)

「足首の向きですか! それは体の向きということでしょうか」(伊藤)

「うーん、選手の重心の高さ、という感じかな」(葭原)

 

ドリブルしている音、踏み込む足、蹴る音から選手の動きをイメージすると、重心の動きや高さが“見える”。そうすることで、相手選手をかわしたり、抜いたりする。マッチアップはブラサカの一つの魅力だと、葭原さんは語った。

 

葭原さんが参考資料にと用意した、国際大会の動画を再生した。6月に東京で行われたワールドグランプリ、世界ランキング1位のアルゼンチンと日本との決勝戦の模様だ。日本の守備では、フィールドプレーヤーの4人がどこからでもすぐに戻ってダイヤモンドの陣形を形成する。

「このフォーメーションは日本の特徴で、常にシステムとして動いています」

 

このやりとりから伊藤さんが感じたのは、「音には、健常者には感じられないほどの情報量がある」ということだ。

「とはいえ、どこから手をつけていいのやら…」と、翻訳作業を前に、伊藤さんはしばし、途方に暮れた。

 

■音で頭の中に地図を描く

 

 

伊藤さんがまず着手したのは、選手同士のマッチアップを表現できないかという実験。しかし、なかなかゲーム形式に至らず、翻訳にたどり着かなかった。何度も音が鳴るものを手にとっては、考えを巡らす。

 

そんな中、伊藤さんが澄んだ音が出るベルを「チリン」と鳴らすと、葭原さんがつぶやく。「きれいな音ですね。際立っている」そう言って、ベルの方を向いた。

 

 

「3つの違う音を作って、その中央に入るというのはどうですか」と、葭原さんが提案した。伊藤さんと林さんが、ベル、中におはじきを入れたコップ、バナナ型のマラカスのオモチャの3つを別々に鳴らしながら、床に置く。葭原さんは、3つの音を聞いた後、置いてあるものを直線で結んだ三角形の中心位置にピタリと入った。

 

 

「おお〜っ!」思わず、見ている伊藤さん、共同研究者の林さんから感嘆の声があがる。

「あ、近い、ブラサカの動きに近い」葭原さんの声に、伊藤さんが尋ねた。「どのあたりがブラサカに近いですか」「空間認知です。それぞれの音を仲間と相手選手として、その位置関係を確認している感じが近いですね」葭原さんが答える。

 

リモートで参加している共同研究者の渡邊さんが、「いつもどちらか向きを決めておくといいかもしれません。そうすると、敵と味方が明確になりますよね」と、さらなるヒントを加える。

「目立つベルの音を敵と考えて、そちらを向くようにしますか」(葭原)

 

 

葭原さんが再び実験すると、何度でもベルの方を向いてピタリと三角形の中央に入る。スピードも早い。続いて、伊藤さんがアイマスクをして挑戦した。林さんが音を鳴らしながら三角形を作る。恐る恐る足を運ぶが、三角形の中に入った。その後、林さんが別の場所に三角形を作って、伊藤さんが連続して動く。「音が動いていくと、やっぱり難易度が上がる気がしますね」(伊藤)

 

林さんも挑戦する。「ベルの音がクリアなせいか、背を向けてはいけない感じがして、敵っぽい(笑)」(林)

 

何度か連続すると、位置関係が混乱して動けなくなった。「いったんわからなくなると、もう怖くて動けなくなりますね」(林)

「それはまさにブラサカ初心者が最初に空間認知のトレーニングをしている時と同じ状況ですね。このゲームを実際にトレーニングに取り入れてもいいかもしれない」(葭原)

 

ベルの音に正対して、他の音2つを背後にした状態で三角形の中央に入る。

「うん。音を聞いて頭の中で地図を描く感じが空間認知そのものです。それに、ベルの音に正対することで、他の音を味方の守備と感じられる。まさにフォーメーションを作っている感じがしますね」(葭原)

 

ついに、ブラサカの翻訳が完成した。

 

■ブラインドサッカー =空間認知と連携のスポーツ(葭原)

「最初は、相手とのマッチアップでどう抜いていくか、みたいなところが表現できたらと思っていたけれど、結果的に空間認知を体験することになりましたね」

実験を終えた葭原さんが、思いがけない翻訳結果に驚いていた。

 

ブラサカほど空間認知の能力を必要とする視覚障がい者のスポーツって、他にないと思うんです。真っ直ぐに走るとか、ある程度位置を固定した中でプレーすることが多いので」

40m x 20mのピッチの中で、選手は自由に動き回れることが、ブラサカの大きな特徴だ。

 

自由に走りながら自分の位置、仲間の位置、そして相手との距離感などを常に測っています。それが、この翻訳で体感できたのではないかと思いますね」

ブラサカを体験すると、空間認知の感覚が養われ、音の情報から必要な要素を聞き分けることにつながるという。

 

「だから、視覚障がい者がブラサカに取り組むようになると、空間認知と情報処理能力がそのまま日常生活に生かせるようになるんですよ」

葭原さんは、ブラサカを始めてから、歩き慣れないところでも予測能力が生き、自由に動けるようになったと語る。

 

■人間の引き出された能力が見られるパラリンピック

 

 

5人制サッカーの翻訳では、空間認知と、仲間との連携が表現された。

ブラサカで大事な音と空間、仲間感が表現できたのはうれしかったですね。これまでの翻訳では、どうしても1対1という構図になりがちでしたが、仲間との連携というチームスポーツのあり方が翻訳できました」(伊藤)

 

ゴールボール、ブラサカという視覚障がいのスポーツ翻訳に取り組んだことで、どちらもボールの行方だけにとらわれることなく、ゲーム全体の魅力が体感できたと、伊藤さんは語る。トップ選手がトレーニングを積み重ねて実践している戦術やプレーを、スポーツ経験がない人でも体感できるのが、スポーツ「翻訳」の醍醐味だ。

 

「守備には、攻撃の起点としての要素が確実にありますよね。ゴールボールの実験でもその駆け引きが体感できましたし、ブラサカでは背後にいる仲間との距離感や存在を感じることができました」

先を見通す、後ろが見える。それは「目の見えない人」の世界の特徴であると、伊藤さんは考察する。

 

伊藤さんが引きつけられるのは、人間の潜在能力の深さだけでなく、それをいかに引き出すかという個人の軌跡、ストーリーだ。

「ヨッシー(葭原)さんの行動を見ると、人間の秘められた力をすごく感じます。私の身体と、一見するとそれほど違いはないけれども、障がいを負ったことで何十年もかけて、奥底にある能力を引っ張り出している。全然違う世界を生きていることに圧倒されます」

 

人間の持つクリエイティビティ、発想の力。それを見せてくれるのがパラリンピックである。

「時間の蓄積としての選手のあり方を、東京パラリンピックでじっくり見たいですし、中継のスタジオコメントでも、そういう部分に着目しながら発信したいと思います」

 

■違いを感じる疑問からスタート

 

 

伊藤さんは、もともと生物学を研究していたが、障がいを通して人間の身体のあり方を研究する方向へとシフトした。その背景にあるのは、幼少期に昆虫観察が好きだったことだという。

 

「私たちは、今ある身体を引き受けて生きています。違う身体だったら、どんな風に感じるのだろう、という疑問がスタートです。昆虫は人間とは全く違う身体で生きていますから」

人間の研究として始めに視覚障がいをテーマにしたのは、自身が視覚の情報偏重であることを自覚したからだ。

 

「そもそも、人間は、誰もが自分の身体に100%満足しているわけではありませんよね。そんな自分の身体と、どう折り合いをつけて工夫しているのか。それが、視覚障がい者の場合、非常に工夫が見られる。思い通りにはならない“ままならなさ”を抱える中で、個別に行っている工夫に非常に引きつけられます」

それは、スポーツに直結する共通点でもある。障がい者が行うパラスポーツなら、なおさらだ。

 

「極論すれば、スポーツはすごいフィクションの上に成り立っています。“全く同じ条件で競い合う”というフィクションです。実際にはそんなことはないわけで、みんな違う身体を持ちながら、競い合っています。それが、パラリンピックではより際立ってくる。ヨーイ、ドンで走り始めた選手が、みんな違う走り方をしている。人が走るということはなんなのか、という定義を見ているような気がします

 

■ままならないことを許容する社会へ

 

 

「感覚や実感を翻訳するのは、スポーツに限りません」

例えば、ダンスなどの身体芸術も、翻訳を通じて、トップダンサーの感覚を体感できるだろう。

 

人の身体は、とても興味深い。どんな人もままならないことと向き合っています。パラリンピックは、自分とは異なる他人の身体を集中して見ていい(笑)。特別な時間だと思いますね

 

障がいのある人もない人も、“ままならなさ”はそれぞれ感じているものではないだろうか。

「もう少し、“ままならなさ”を許容したら、“こうあるべき”という感覚から自由になれるのではないか。そういう自由を、特に、障がいのある人との研究を続ける中で学んできたという実感があります」

 

影響を受けて変化することを許容する社会、人としての懐の深さは、今の日本に備わっているのか。

「思い通りにならないことと付き合う知恵を、障がいのある人の研究を通して言語化する。研究を続ける過程で、もっと寛容な社会のあり方を考えていきたいと思っています」

 

 

【関連記事】パラリンピック競技『スポーツ翻訳』 伊藤亜紗さん「ゴールボール=音と駆け引き」

https://www3.nhk.or.jp/sports/story/21536/index.html

 

 

 

伊藤亜紗(いとう・あさ)

美学者。東京工業大学科学技術創成研究院・未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。生物学者を目指すも、大学3年次に文系に転向。2010年東京大学大学院人文社会系研究科の博士課程を単位取得の上、退学。同年、同大学にて博士課程(文学)を取得。2013年より東京工業大学に着任、2016年より現職。2019年マサチューセッツ工科大学客員研究員。『目の見えない人は世界をどうみているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』ほか著書多数。東京パラリンピックではスタジオゲストを務める。

 

 

葭原滋男(よしはら・しげお)

1962年東京都生まれ。中学・高校時代は一般のサッカー選手として活躍。中学時代から視力が落ち、22歳で視覚障がいに。大好きなスポーツを続け、陸上競技の走高跳では1992年バルセロナパラリンピックに初出場、96年アトランタ大会で銅メダルを獲得。その後自転車競技に転向し、2000年シドニー大会で金メダル、04年アテネ大会で銀メダル。2002年にブラインドサッカーに出会い、アテネパラリンピック以降はブラサカで活躍。日本代表選手として国際大会に出場。15年に日本代表としては引退し、クラブチーム<乃木坂ナイツ>の代表兼選手として活動を継続する。

 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

 

 

 

 

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