ストーリーパラスポーツ

パラリンピック競技『スポーツ翻訳』 伊藤亜紗さん「ゴールボール=音と駆け引き」

2021-08-27 午後 03:13

実験結果をチェックする伊藤亜紗さん(左)と、安達阿記子さん(右)

 

「スポーツの本質や醍醐味をその競技をやったことのない人にも“翻訳”し、簡単なゲームとして伝える」そんな難しいことにチャレンジしてきた人がいる。

東京工業大学で、様々な人の身体と知覚を研究している伊藤亜紗教授だ。

伊藤さんが今回“翻訳”に取り組むのは。パラリンピックの種目、ゴールボールとブラインドサッカー。両者とも視覚に障がいのある人を対象とした競技だ。

これまで野球や体操など10競技の“翻訳”を行ってきた伊藤さんは、パラスポーツをどのように翻訳したのか、その取り組みを通じて、パラスポーツの魅力と楽しみ方を2回に渡って伝える。

 

 

<見えないスポーツ図鑑とは>

 

『見えないスポーツ図鑑』は、伊藤さんを中心にNTTの研究所で人間の知覚や認識を研究している渡邊淳司さん林阿希子さんの3人で取り組み、視覚障がい者のためにスポーツの臨場感をどう伝えるか、ということに端を発した研究だ。進めるうちに“スポーツの本質を体感すること”に行き着いたという。実際にプレーするのとは違う形で、スポーツの感触を体験する。つまりスポーツを「翻訳する」のである。

 

「視覚だけで捉えきれない、選手がスポーツをしている時の実感を、別の形で翻訳することで、スポーツを理解できるのではないか。それが、この研究のテーマなのです」と、伊藤さんは語る。

■まずは元選手との対話からヒントを探る

第1回目はゴールボール。伊藤さんの共同研究者の渡邊さん、林さんはリモートで参加した。アドバイザーは、2012年ロンドンパラリンピック金メダリストの安達阿記子さんだ。

 

 

ゴールボールは、1チーム3人の選手が対戦する競技。鈴の入ったボールを交互に転がし、コートエンドにあるゴールにボールを入れれば得点となる。選手はアイシェードを着用し、視覚を完全に遮断した状態でプレーする。1人がボールを投げて攻撃する、相手チームの3人が体を横たえ壁を作って守り、ボールを受けたら投げる、ということが繰り返される。

 

 

 

視覚的要素で表現するなら、「ボールが投げられました、止められました、次に○○選手がボールを投げました…」という感じになるだろう。

 

「ボールが行ったり来たりしているだけ、というふうに思いますよね。でも、実際にプレーしてみたら、すごくギャップがあるんですよ」と、開口一番安達さんが言う。「それが、面白い!どんなギャップなのか。そこにヒントがあるかも!」伊藤さんが食いつく。

 

「ゴールボールを始めた当初は、アイシェードをして真っ暗な中、もうどこに何があるのか、方向も自分の位置もわからない。ボールが床に落ちた“ドスン”という音は聞こえるけれど、どこに落ちたかがわからなかったんです」(安達)

「どのようにして、それを把握するようになったのですか」(伊藤)

「音を“正面でとる”ようにしたことで、位置や距離感を把握するようになりました」(安達)

 

音を“正面でとる”。体を音の聞こえる方向にとにかくまっすぐ向ける。まずは聞こえる“音”を、自分の体でそれこそボールを受けるようにつかむことが大切なのだという。
 

■キーワードは音と駆け引き

 

 

「技術が上達していくと、今度は音はしないけれども、人が動いているような“気配”を感じることに、警戒するようになります」(安達)

 

攻撃の際に、選手同士がポジションをスイッチしたり、他の選手が床や手を叩いて音を立てている間に移動するなど、ボールを投げ出す場所をわかりにくくする戦術がある。反対にシーンと音がしなくても、ボールを持ったままそっと動くことで投げ出す位置を変えることもある。

 

「聴覚を研ぎ澄ます訓練をしてきたからこそ、音と音との間にある静寂に緊張感が生まれるのですね。それは非常にゴールボールの重要な部分なのかもしれません」(伊藤)

 

 

音と、駆け引き。ゴールボールのキーワードは、この2つ。

伊藤さんの翻訳作業が始まった。

 

■“音”にこだわってみたが・・・

 

翻訳作業では、100円均一の店で手に入るような日常的な道具を活用する。研究室の大きなテーブルの上にズラリと並べられた雑貨の中から、伊藤さんは音が鳴りそうなもの、音を作れるものを次々と手にしていく。バナナの形をしたマラカスのオモチャ。ベル。プラスチックのコップにビー玉を入れて振ると、カラカラと氷のような音が出る。これならいくつも同じものが作ることができる。

 

「似たような音を並べて1つだけ違う音が聞こえたら、机に置いた紙皿をパンと叩く、というようなゲームはどうだろう?」

 

3つのコップに大きさの違うビー玉やピンポンの球を入れて音を変え、アイマスクをした人が音を頼りにスリッパでその音の前に置かれている紙皿を叩く。モグラ叩きの様相だが、実験してみると「すぐに音の違いがわかってしまって、単純すぎる」ということに。

 

もう少し、駆け引きの部分を表現して互角に戦えるゲームにできないか。

再び、試行錯誤が始まった。

 

■音とロープで心理戦を再現

 

試行錯誤を2時間ほど行い、たどり着いた“翻訳”はこうだ。2人が対面して両手に1本ずつのロープを持つ。1人が、左右どちらかのロープを引っ張り、もう1人は取られないようにグッと握る。引っ張る方が攻撃で、抜けないように握る方が守備。こうすることで、ゲームになる。

 

 

 

「ここに、音を加えたい」。そこで考えついたアイデアが、攻撃側の人の両手首に、小さなプラスチックケースにビー玉を入れたものを手ぬぐいで巻いて固定し、動かすと音が出る仕組みだ。両手を振ることで音を出し、相手をかく乱する。守備側はアイマスクを着用して音を聞きながら、どちらのロープが引っ張られても握れるように準備する。

 

 

 

伊藤さんと安達さんが対戦実験した。安達さんが守備側で、伊藤さんが攻撃側。伊藤さんが両手につけたマラカス状の音を鳴らして安達さんを撹乱し、ロープを引っ張る。

伊藤さんが右手の音を立てながら様子を伺う。安達さんはじっと待つ。続いて左手の音を立てて、シュッとロープを引っ張った。安達さんはすかさずロープをつかんだので、安達さんの勝利。

 

 

 

「あ、これは面白い! 伊藤さんが右手でずっと音を立てていたから、逆に左を警戒しました。駆け引きの緊張感、すごくありますね!」(安達)

「そうか、実際、音に意味があるんですね」(伊藤)

「せっかくなので、ゴールボールと同じように攻撃側は制限時間の10秒以内にロープを引っ張るというルールにしてはどうでしょう」(安達)

 

ゲーム再開。リモートで参加している林さんが10秒をカウントする。伊藤さんがジャラジャラと両手の音を鳴らす。引っ張る。またしても安達さんの勝ち。

 

「かなりゴールボールっぽいです。来るかな、来るかなと待っている感じと、来たら止めるという守備の感じがすごく共通しています」(安達)

「手元のロープが長いと、引っ張りきれないから、長い場合は、50cmとかロープの範囲を決めてそれを超えたら負け、超えなければ勝ちというように工夫してもいいかもしれないですね」(伊藤)

「机の上でロープを動かしていると、振動が手に伝わってきて、それも駆け引きの判断材料になりますね」(安達)

 

 

 

守備を、安達さんから伊藤さんの研究室の学生に交代してトライする。今度は、攻撃側の伊藤さんが勝利した。

 

「10秒をカウントする声と手首の音の両方を意識しなくてはいけないから難しいです」と、学生が感想を口にすると、「あ、それもゴールボールっぽいですね。実際の試合中もカウントの声が聞こえたりして、いろんな要素を意識しながらボールを聞き分けることをやっていますから」(安達)

 

2人とも手首に音の鳴るものを装着すれば、攻守を交互に行うことができる。さらに、3番勝負でどちらかが2勝すれば勝ちというルールを設定した。

 

「負けると、すごく悔しい。そこは本当の競技っぽい!」
ほんのり頬を上気させて、伊藤さんが語った。

「音にこだわった探るという点では、ビー玉コップのモグラ叩きよりも、ロープのゲームはいつ来るんだろうという心理に働く感じがゴールボールに似ています。手首につけた音は、どちらかというと選手の助走に近いですね。来るかも、あ、違った、こっちから来た、みたいな」

 

音で意識をかき乱されながら、相手の攻撃を読む。複雑なゴールボールの競技が再現されているという。

「ゴールボールは心理戦の要素がすごく大きいのですね。それが、この翻訳で表現できたのかな、と思います」

 

3時間に及んだ翻訳作業を、伊藤さんが締めくくった。

 

■ゴールボール =投球前後の音や駆け引きが見どころ(安達)

 

「ゴールボールは確かに一見しただけでは、単にボールが行ったり来たりしているだけという印象があるかと思います。実際には、選手はその攻防で毎回駆け引きをしている。選手のドキドキ感とか、じっと音を探りながら相手の出方に瞬時に反応している感じが、2本のロープと手作りのマラカス(笑)で再現できるなんて、驚きです」

 

翻訳作業に参加した安達さんの、率直な感想だ。安達さんは、東京パラリンピックでは、ゴールボールの競技解説を担う。

 

「駆け引きの醍醐味を、テレビで競技を見ている人にも伝えていきたいです。ボールを投げる攻撃側は、ピンポイントに狙った場所に投げていますが、守備側の選手が3人一斉にボールの方に動いて守備をしたりする。ストレートに投げ続けていて、次にクロスに投げたらゴールが決まったとか。音への反応、選手の動きに注目してもらえると、ゴールボールの駆け引きの面白さが見えてくるのではないかと思いますね」

 

2016年リオパラリンピックで金メダルを獲得したトルコの女子チームは、ゴールボールの競技レベルを大きく変えた。そのダイナミックで緻密なプレーは、今大会でも見どころになる、と安達さんは言う。また、初出場となるロシアがどんな戦い方をするのかということも、注目ポイントになりそうだ。

 

「そんな中、日本チームはやはり鉄壁の守備とチーム力が持ち味。しっかり守って、そこから駆け引きを駆使して得点に結びつける。体格の大きな海外勢に、チームワークでどう立ち向かうか。そこをぜひ、見てほしいですね」。

 

■ゴールボール =守ることも駆け引きの一つ(伊藤)

 

一方、ゴールボールを“ロープのゲーム”として翻訳した伊藤さんは、ゴールボールの印象がまた一つ変わったと語る。

 

「以前、実際のゴールボールを体験した時には、ボールが硬い、痛いというのが衝撃的だったんです。一度体験したくらいで、競技の面白さをすぐに理解できるわけではありませんよね。今回感覚と心理戦の両方を翻訳することができました。駆け引きが理解できると、選手の目線でゲームが楽しめます

 

ロープのゲームでは、引っ張られるロープを瞬時に握る方が守備ではあるが、同時に守備が勝利につながることを体感できると、伊藤さんは言う。

 

「ゴールボールでは、守備の3人は体を横にして壁を作ってボールを受けるので、なんとなく受け身に見えますよね。でも、実はそこに攻めとしてのポイントがある。どこを守ることで駆け引きに勝つのか。その視点で、ゴールボールという競技を観戦すると、新しい見方ができます。それは今回の翻訳で得た、新たな発見でした」

 

 

我々観戦者は、そのスポーツのトップ選手と同じようにプレーできるわけではない。でも、選手がプレー中に行っていること、考えていることに共感してみたい。

 

「それが『見えないスポーツ図鑑』の、そもそものモチベーションでもあります。ゴールボールでも、目の見えない選手と同様の感覚を実感することができました」

 

できないから“わからない、理解できない”のではなく、方法を探って理解を深めたい。伊藤さんの思いは、人々の社会を見つめる視線に変化をもたらす可能性を秘めている。

 

次回は、ブラインドサッカーの“翻訳”です。

 

 

 

伊藤亜紗(いとう・あさ)

美学者。東京工業大学科学技術創成研究院・未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。生物学者を目指すも、大学3年次に文系に転向。2010年東京大学大学院人文社会系研究科の博士課程を単位取得の上、退学。同年、同大学にて博士課程(文学)を取得。2013年より東京工業大学に着任、2016年より現職。2019年マサチューセッツ工科大学客員研究員。『目の見えない人は世界をどうみているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』ほか著書多数。東京パラリンピックではスタジオゲストを務める。

 

 

安達阿記子(あだち・あきこ)

1983年、福岡県生まれ。14歳の時右目に黄斑変性症を発症し、20歳で左目も発症して視覚障がいに。2006年福岡視力障害センターに入所しゴールボールに出会う。07年より日本代表選手として国際大会に出場、08年北京パラリンピックに初出場。12年2度目となるロンドン大会で金メダルを獲得。16年リオ大会以降は、講演会や体験会などの講師としても活躍。東京パラリンピックではゴールボールの競技解説を務める。

 

 

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。
 
 

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!