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パラ陸上の鉄人・伊藤智也はあきらめない!クラス変更でもベストを尽くす

2021-08-27 午後 04:25

東京パラリンピック、陸上・車いすのクラスの伊藤智也選手、58歳。進行性の病を抱えながら、北京とロンドンで5つのメダルを獲得した、車いす陸上の「鉄人」です。

大会直前に、より障がいの軽いクラスへの変更により、メダル有力とされた種目に出場できなくなりました。

なぜ直前の変更となってしまったのか。

その困難な状況でも「ベストを尽くす」と語る、伊藤選手の不屈の精神はどこから来るのか。

伊藤選手の波乱万丈の競技人生のエピソードをまとめました。

直前のクラス変更はなぜ

8月25日、記者会見に臨んだ伊藤選手の表情には、無念の思いがにじんでいました。前日に、伊藤選手の出場する種目のクラスが、従来よりも障がいの軽いクラスに変更されると発表されたのです。

 

伊藤智也選手

「正直、ショックだった。自分のメインの400メートルを走れないのは、無念」

 

パラリンピックでは、さまざまな障がいを持った選手が公平に競い合うために障がいの程度に応じて、「クラス分け」を受けることが義務付けられています。選手たちは、運動機能がどの程度残されているか、専門の資格を持つ医師の判定を受けなければなりません。障がいの種類によっては進行したり回復したりする可能性があるため、このクラス分けには有効期限があり、伊藤選手のクラス分けの期限は、去年12月31日に切れていました。

 

 

再度クラス分けを受けるためには、国際大会に出場しなければなりませんが、免疫に異常が生じる難病「多発性硬化症」を抱える伊藤選手にとって、新型コロナへの感染は命の危険にもつながるため、2月に予定されていた中東・ドバイ遠征を断念していました。

伊藤選手のような、コロナ禍のためにクラス分けが受けられない選手は世界中にいると見られたため、特例として東京大会直前にクラス分けを実施。その結果、伊藤選手はこれまでより障がいが軽いクラスと判定されたのです。

失われたチャンス それでもあきらめない

伊藤選手は、代表内定を決めたおととしの世界選手権で、1500メートル、400メートル、100メートルの3種目でメダルを獲得。今大会でも、日本の佐藤友祈選手や、アメリカのレイモンド・マーティン選手らとメダルを争う有力選手と目されてきました。

 

 

しかし、障がいの程度が比較的軽い選手と競う新たなクラスでは、メダルの獲得は難しい見通しです。

それでも、自分はあきらめていない。会見で伊藤選手は力強く語りました。新たなクラスで出場する、29日の400メートルのレースは、「再度のクラス判定」の意味も持ちます。このレースの結果によっては、元のクラスでライバルたちと100メートルや1500メートルを走れる可能性があるのです。

伊藤選手

「ショックだったが、今は新たなスタートラインに立てることを喜んでいる。自分は諦めの悪い人間なのでね。元のクラスに戻る可能性を信じ、最後まで絶対に諦めない。新たなクラスで走るのも400メートル。自分のタイムに期待して走りたいですね」

 

 

逆境にも、決してあきらめない伊藤選手。自身が「山あり谷あり」と言う、これまでの人生は、あきらめないという決断の繰り返しでした。

突然の病とパラ陸上挑戦

伊藤選手が難病「多発性硬化症」に倒れたのは、34歳の時。当時伊藤さんは従業員200人を超える人材派遣企業を経営していましたが、治療のため2年に及ぶ入院。会社も手放すことになりました。

伊藤選手

「最初は本当に重症で、目も両方見えない。手も動かないし口も聞けない。というところからのスタートでした。でも日に日に目も見えてくる。手も動く。言葉もしゃべれるというようになった。だから、実は落ち込んだという経験はあまりないんです」

 

アテネ大会で初出場

 

伊藤さんは、病気の発症から2年後、36歳の時には新しいチャレンジをはじめました。車いす陸上への挑戦です。両親のサポートを受けながら猛特訓を重ね、41歳で初めてアテネパラリンピックに出場。この大会ではメダルに手が届かなかったものの、42歳でプロ選手になりました。

伊藤選手

 

「当時は何を求めて走っていたのか、もうあまり記憶にないんですけどね(笑)。ただ、僕が元気に走っていると、両親が喜んでくれる。その笑顔がうれしかった」

 

北京大会では金メダルを獲得

 

そして、45歳で迎えた北京大会は2種目で金メダル。4年後のロンドンでは3種目で銀メダルを獲得。しかし病気の進行などにより、この大会をもって現役を退く決断をします。

 

引退を決意して臨んだロンドン大会

 

「悔しさはないね。もうホントに精いっぱい走ったし」

 

病に倒れてから15年。あきらめず走り続けてきた日々を経て、伊藤さんは「一度は」パラリンピックの舞台から去りました。

54歳で驚きの競技復帰

引退後は飲食店の経営などをしていた伊藤さんですが、54歳になって現役に復帰するという驚きの決断を下しました。きっかけは、前年に競技用車いす「レーサー」の開発ドライバーを頼まれたことでした。自分の身体やフォームにあった車いすを、若者たちと一から開発していく中で、若い頃よりもタイムがどんどん速くなっていたのです。若い開発者たちの後押しもあり、東京パラリンピックを目指す決断をしたのです。

 

伊藤選手

自分の中では怖い気持ちもありました。競技に復帰するなら、覚悟を決めなければならないですが、自分も年を取って、人間が素直になったんですかね。チームの若い頭脳たちが、『やれるからやりなよ』と言ってくれる。ならその言葉を信じてみようかと。だから、覚悟は決めやすかった。

 

そして、おととし出場した世界選手権で、東京パラリンピックの代表に内定したのです。

「パラリンピックの目標は?」

 続く病気との闘い、年齢を重ねることで衰える体力。様々な壁に常にぶつかりながら、あきらめず目指してきた東京パラリンピック。コロナ禍で大会の延期決定後は、感染を避けるための徹底した在宅トレーニングで自らを鍛えました。

 

コロナ禍では在宅でトレーニング

 

ことし5月に1年半ぶりに出場したレースでは、パラリンピック金メダル候補の佐藤友祈選手に肉薄するなど、実力を見せていました。それが本番直前になって、レースを走るチャンスが失われてしまう。クラス分けはパラリンピックの競技を公平に成立させるために不可欠な要素とはいえ、会見で伊藤選手が語った「無念」の言葉は偽らざる思いでしょう。

 

 

それでも、新たなクラスでのレースを走り切ると決意を述べた伊藤選手。かつてNHKの取材で、「パラリンピックの目標は?」と問われたとき、次のように答えていました。

伊藤選手

「(パラリンピックは)たくさんの方と一緒に立つスタートライン。今を丁寧に生きて、しっかりパラリンピックを走りきる。何着になりたいとか言うのもおこがましいのでね。ひたすら一生懸命にやり切りたい」

 

伊藤智也は、あきらめない。その姿を見せるレースは、29日(日)に予選と決勝が行われます。

 

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