ストーリーパラスポーツ

東京で6回目のパラ出場となる成田真由美。なぜ、過酷な競技人生を送りつづけたのか?

2021-08-16 午前 0:00

アトランタ、シドニー、アテネ、北京、リオ、そして東京。

東京パラリンピック出場を、ことし5月の国内大会で決めた競泳の成田真由美選手。

成田選手は、「競技者としてずっと体を酷使し続けてきた。この大会が競技者としては、最後になるだろう」と話します。

成田選手の競技人生は、東京を含め6大会出場で26年間にもおよびます。こんなにも長い間、競技者として競泳と向き合い、体を酷使し続けることが出来たのはなぜなのでしょうか。

 

成田選手のこれまでを、写真を通してご紹介していきます。

 

 

2000年シドニーパラリンピック。5つの世界記録と6つの金メダルを獲得しました。

 

写真は、1996年アトランタ大会からライバルとして競い合ったドイツのカイ・エスベンハイン選手とゴール後に抱き合った瞬間です。カイ選手から「おめでとう素晴らしいタイムね」と言われ、目標としてきたライバルの言葉に、成田選手は声をあげて涙しました。当時、成田選手は「カイ選手に勝つためにという動機があったからこそ過酷を極めるトレーニングも行うことができた」と、話してくれました。

 

2004年9月 女子100メートル自由形 決勝より

 

 

2004年のアテネパラリンピックでは、金メダル7個、銅メダル1個を獲得しました。

 

アテネ大会の2年前、ライバルのカイ選手は病気で他界。成田選手は、カイ選手への思いをひめながら、アテネ大会と4年後の北京大会は、記録という、内なる標的に照準を合わせ、自分自身と対峙する競技人生を送ったと感じました。

 

 

アテネ大会で獲得した、たくさんのメダルを首にぶら下げ重そうだけど、うれしそう。

 

 

2008年北京パラリンピックは大会直前に、これまでのS4クラスから、より障害の軽いS5クラスへ変更になりました。

 

当時、クラス変更された明確な理由はいくら関係者に聞いてもわかりませんでした。個人情報の関係上、クラス分けの基準がわかりやすく公表されていないこともあるのですが、残念です。

 

こういった突然のクラス変更は、成田選手に限った出来事ではありません。

成田選手のクラス変更の理由はいまだにわかりませんが、選手は、試合に勝つためにモチベーションを持って一生懸命トレーニングすることで、結果的に機能回復に繋がり、クラスが変わってしまったということもあるかもしれません。しかし、選手自身も納得できないような、突然のクラス変更は、とても受け入れられないと感じます。頂点を目指す上では、クラス変更は、大きなハンデを意味します。

 

大会中、モチベーションの維持に苦しんだはずの成田選手ですが、最後の種目までしっかり泳ぎ切りました。結果は、メダル獲得ならず。最終出場種目の女子50m自由形決勝(S5クラス)を泳ぎ終わった後、プールサイドにあがるその時まで、じっと電光掲示板のタイムをじっと凝視し続けていたことが忘れられません。

 

 

北京大会後、成田選手は、一度は、競技から離れます。

 

2013年、東京パラリンピック開催が決まったときに、次世代の選手が育っていないことに気づき「このまま東京大会を迎えたくない」と思ったそうです。

 

「私が泳ぐことで“自分もやってみよう”と思う人が出てくるかもしれない」と、2大会ぶりに2016年リオデジャネイロパラリンピックを目指し、想像を絶する過酷なトレーニングを積み重ねて出場権を得ました。

 

 

アテネと北京は、内なる標的に照準を合わせ、“自分自身と対峙する競技人生”でしたが、リオと1か月後に迫る東京を目指す成田選手は、“次世代への伝承を胸に抱いた競技人生”なのかもしれません。

 

2016年9月 女子50メートル自由形 決勝より

 

そんなリオ大会で、自身のベストタイムを更新するアジア記録を出した成田選手の言葉が強く印象に残っています。「苦しい戦いを自分に課して乗り越える、毎日毎日その繰り返しでした。苦しい練習があったからこそ、この記録を出せたと思うので、この記録は当然だと思います」。成田選手が発した言葉で僕が最も好きな言葉です。

 

 

ここで少し、過酷なトレーニングとは?どんな状況で泳いでいるのかなど、紹介していきます。

まず、成田選手は、下半身にまひがあり、脚の機能が使えないため、手の力だけで泳ぎます。写真でも見ていただけるように、腕の力がすごいんです。

 

 

体温調整が困難なため、激しい練習を続けるとホースからの冷水で身体を冷やすことが必要となります。時には、泳いでいる最中でも顔に水をかけ続けます。撮影していて、圧倒されます。

 

 

練習メニューはコーチが作りますが、練習中ずっとコーチがそばにいるわけではありません。濃密で厳しいトレーニングを、一人で時計を見ながら淡々と練習メニューをこなしていきます。自分自身で鼓舞し、きつい練習をこなしていくのはそう簡単なことではありません。

 

 

写真は、東京の選考会も兼ねて行われた5月に開催されたジャパンパラ大会。日本パラ水泳連盟が設定する参加記録には及びませんでしたが、気迫の自由形の泳ぎで、リレーメンバーに選出され、日本代表となりました。

 

東京パラリンピックでは、「私の大きな泳ぎを見てもらいたい。五輪と違ってパラの場合は、残された能力をフルに活用して泳ぐ姿が魅力。見る人には、ただ、泳ぎを見てもらって、いろんな感情を持ってもらえれば嬉しい」と話してくれた成田選手。

 

成田選手が人生の半分を費やした過酷な競技人生、その最後の舞台となる東京パラリンピックまで1か月を切りました。この成田選手の泳ぎは、3年後のパリ、さらに未来の選手たちに継承されていくはずです。

 

(写真・文 越智貴雄カメラマン)

 

(初出、2021年7月31日、NHK 東京2020パラリンピックサイト内「越智貴雄/感じるパラリンピックGallery」)

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