特集 人気デザイナーに聞いてみた! 衣装から見たフィギュアの魅力

※この記事は2018年2月に公開した記事を一部修正して再掲載しています。
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羽生結弦選手や宮原知子選手など、トップスケーターの衣装をシーズン50着も手がけるという伊藤聡美さんに話を聞きました。
フィギュアスケーターが身にまとう、色鮮やかな衣装。選手の表現力を高め、観客の印象をも左右します。
ピョンチャンオリンピック日本代表の羽生結弦選手、宮原知子選手をはじめ、多くのトップ選手の衣装を手がけるデザイナー・伊藤聡美さん(32)にお話を伺いました。
一通のメールからはじまる
選手は4〜5月ごろ、演技の構成や使用する楽曲を決め、そのあと私に衣装製作の依頼がきます。
衣装の色や形のイメージが固まっている選手は、ファッション雑誌の切り抜きなど参考資料を合わせて送ってくることもありますね。イメージ作りからおまかせという選手には、私からたたき台のデザイン画を3〜4枚ほど送って、選んでもらいます。
伊藤さんが描いたデザイン画
中には、色や形はもちろん、素材まで自分で決める選手もいますよ。選手がデザイナーを兼ねるケースで、その場合、私は“アシスタント”として細かい部分の確認作業を行います。手の動きがポイントになる選手には、手袋もデザインすることがあります。
このように、選手によって制作の進め方も変わってくるんです。デザインが決まったら、仮縫い。ここで選手に直接お会いして、コーチや振付師の方も一緒に確認してもらいます。
今シーズン手がけた衣装は50着!
私は自分1人で製作していますが、今季は選手30人ほどの衣装を作りました。なかでも(本田)真凜ちゃんは、かなりの数を作りました。
パターンと縫製、グラデーションを染める作業は工場にお願いしますが、納期が極端に短いときや緊急時には自分でやることもあります。最後の飾り付けはすべて自分でやりますね。刺繍やビーズ、ストーンだけでも何十色とそろえています。この装飾部分は、デザイン画では細かく種類や数を指定しているわけではないので、作業を進めながらイメージを膨らまして形にしていきます。
一度で完璧はない
とくに女子は、試合に向けて体が細く絞られていくので、サイズそのものが変わることもよくあります。また、試合の緊張感の中で、いつもよりナーバスになると、仮縫いのときや練習では気にならなかったところが、試合本番で滑ってみて気になったりすることもあるみたいです。
納品した衣装は必ず直しの作業が入りますね。ちなみに選手側から指摘がない場合でも、氷上の演技をみて私の方から「直させてください」とお願いすることもあります。
耐久性という面では、シフォンのスカートは薄くて、ピッと引っ掛けただけですぐに切れてしまう。ショートで2分40秒、フリーで4分もてばいいとはいえ、何かあったら選手に呼ばれるかも、と試合会場には必ず針や糸を持って行きます。今まで一度も呼ばれたことはないですけれど(笑)。
ジャンプや回転を邪魔しないデザイン
最近は、伸縮性があって軽い素材が増えました。素材の進化によって、とくに男子選手の衣装デザインも変わったといえます。ストレッチサテンなど伸びる素材がなかったころは、選手が動きやすいように袖口を大きく広げた衣装が多かったので、正直あまりシルエットがきれいじゃなかった。今は細くても十分動けますし、耐久性もあります。
ただ、男子はルールでズボンを着用しなければならないので、衣装は全体で800gほどに。重くならないよう計算していますし、1kgは絶対に超えないようにしています。
一方で、女子は300gくらいですね。スピンが得意な選手が多いので、体を回転させたときに、スカートがきれいに広がるようにデザインしています。横から見たときにスカート丈が一番短くなるようにしていますが、これはスケート界において「最も足が長く見える形」とされているからです。
スカートのサイドを短くし足を長く見せる
また、選手は衣装がアシンメトリーだと気にします。左右のデザインが異なると体の軸が変わるようで、とくにジャンプをするときに一番感じるそうです。空中で体を回転させたときの空気抵抗のこともあると思います。
より飛びやすくするための装飾、というのはとくにありませんが、逆に、「袖部分には装飾しないで」「衣装の下部分の装飾は避けて」と選手に言われることがあります。
繊細な選手からは「ファスナーを使わないで」とも。ファスナー部分は素材が伸びないので突っ張った感があるから、という理由ですね。その場合は、肩部分のスナップで衣装を開けられるようにします。選手によって気になるポイントは全然違いますよ。
サイドにファスナーを使用した衣装
テレビとリンクでは衣装の見え方が違う
衣装のデザインは、氷上で演技をしたときにもっとも映えるように心がけています。そのため、明るく染めて、なるべく色味が濃く出るように意識します。照明やリンクの壁の広告、観客席のカラフルなシートなどの影響で、試合会場では衣装がワントーン暗く見えてしまうからです。
私はフィギュアの試合を会場で見ることが多いので、写真やテレビの映像で見ると「こんなに明るく映るんだ!」と思うほどです。
もちろん、映像で見てもらうことも大事ですが、実際に演技をジャッジするのは現場の審判員。試合会場の氷の上で一番美しく見えるように心がけています。
銀盤に描かれる絵画の世界
昨年から(白岩)優奈ちゃんの衣装を作らせていただいていますが、ショートプログラムで使用する楽曲を伝えられたときに、私の中でもう、デザインの迷いはありませんでした。
彼女の雰囲気や可憐で優しさに満ちた演技が素晴らしいうえに、曲はクロード・ドビュッシー作の「亜麻色の髪の乙女」。私の大好きな曲でした。「プログラムの雰囲気に合ったものを」というオーダーがあっただけで、細かい配色や装飾は任せてもらえました。
このショートプログラムの衣装について、提示したデザイン画はたった1枚だけ。絶対にこれがいい!というものを提案しました。優奈ちゃん本人にも気に入ってもらえたのでとても嬉しかったですね。
亜麻色の髪の乙女が流れる中、一瞬の光をとらえ、その光の経過が描かれた印象派の絵画が浮かび上がる。印象派画家クロード・モネの「日傘の女」のような、温かみがあって抽象的なイメージをなるべく出したくて、衣装に反映しました。まるで、優奈ちゃんが、草原に立っているかのように。衣装のカラーを黄緑色にしたものそのイメージからなんです。
背面は、額縁のようなデザインに。バッククロスで滑るフィギュアでは、背中は大事なポイントになります。製作期間は約3カ月。ギリギリまで時間をいただきました。装飾ひとつひとつの工程に時間をかけたかったので。とても想い入れがある作品ですね。
額縁のような背面のデザイン
宮原知子選手が初めて手がけたデザイン
宮原選手が自分で描いたデザイン画
知子ちゃんは雑誌などを参考にし、かなり細かくデザインのイメージを持っていました。例えばデザイン画には生地や装飾のグラデーション、ラインストーンのカラーなど細かいイメージがたくさん。今回の一番のこだわりは他の選手は嫌がりがちなアシンメトリーデザインへの挑戦と豪華な装飾です。
ただ、衣装の構造的な部分や石付けなどの飾りの作業は、任せてもらいました。例えば飾りが付けられるとその部分の生地が伸びにくくなるので、少しだけ隙間を設けて伸縮性を保てるようにしたりとか。私は知子ちゃんのデザイン画を実際に衣装として具現化するお手伝いをした形です。
選手が自分で衣装をデザインすると、私とは違った視点でいいものができると思います。実際に着て演技をするわけですし、選手の気持ちも分かるはずですから。将来的に、知子ちゃんのように衣装も自分でデザインして製作に携われるような選手が出てきてもいいのかな、と思いますね。
演技、楽曲、衣装 そのすべてがフィギュア
時間をかけて大事に作った衣装が注目されるのはうれしいことです。でも、衣装は決して、主役ではありません。プログラム全体を感じ、選手がどういう思いや意図で表現しているのかのお手伝いができているとうれしいですね。ぜひ、演技全体を楽しみに見ていただきたいです。
【プロフィール】
伊藤聡美 1988年5月31日生まれ
専門学校で服飾を学び、卒業後イギリスに留学。帰国後、服飾会社勤務を経て独立。 日本のトップスケーターの衣装を手がける人気デザイナー。