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特集 元祖天才スケート少女「伊藤みどり」世界初のトリプルアクセル成功の舞台裏

フィギュアスケート 2018年2月15日(木) 午後0:00

 

浅田真央さんでおなじみの「トリプルアクセル」。ピョンチャンオリンピックでは、アメリカの長洲未来選手が成功を収めたことでも話題なりましたね。

このトリプルアクセルは難易度の高いジャンプの一つです。そしてトリプルアクセルを世界で初めて成功させたのが、伊藤みどりさんです。

フィギュアの新時代を、開いた元フィギュアスケート選手・伊藤みどりさんのトリプルアクセル誕生の舞台裏に迫ります。

スケートに出会い、夢中になったジュニア時代

 

伊藤さんがスケートを始めたのは、3歳の頃。家族でリンクに遊びにいったのがきっかけでした。

「スケートって歩くのより速くて簡単かも」と思ったそうです。

 

 

伊藤さんの才能をいち早く見抜いたのが、山田満知子コーチ。現在も宇野昌磨選手などを指導している名コーチです。

 

伊藤さんは練習量を増やすために、彼女の家に住み込んで指導を受けるなど、山田コーチとまさに二人三脚の選手生活を送ります。

 

 

山田コーチのもとで練習を重ねた伊藤さんは、みるみる頭角を現していきます。

1980年小学4年生で、全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝。さらに本来年齢制限で出場できないNHK杯に特別招待されました。

 

 

そして、1985年中学3年生で全日本選手権で初優勝、以後8連覇!18歳でオリンピック初出場を決めました。

初めてのオリンピックで見えた課題

18歳の冬、カルガリー大会で初めてのオリンピックに臨んだ伊藤さん。

得意の3回転ジャンプを7回も組み込み、ミスなく演技を終えガッツポーズまで飛び出しました。

 

 

メダルも期待されていましたが、結果は5位。

この大会で優勝したのは妖艶な演技で高い芸術点を獲得した東ドイツのカタリナ・ビット選手でした。

カタリナ選手はわずか4回の3回転ジャンプで世界の頂点に立ったのです。

 

この結果を受けて「自分にしか跳べないジャンプで勝負するしかない」そう決意しました。

 

伊藤さんはまだ誰も成功していなかったトリプルアクセルに挑戦することを決めたのです。

 

伊藤みどりさん

自分の良さは跳んでいくこと。みんなにないものを見せていく。

 

「アクセル」ジャンプは6種類あるジャンプの中で唯一、前向きで踏切るジャンプです。

おなじ「トリプル」でも半回転多く回らなくてはならないため、難易度が高く得点も高いジャンプです。

 

 

1953年に初めてダブルアクセル(2回転半)が跳ばれて以降、3回転ジャンプは次々と成功を収められてきましたが、まだトリプルアクセルを跳べた選手はいませんでした。

 

 

最高難度のトリプルアクセルを成功させるには練習あるのみ。ひたすら跳び続けました。

そして1年の特訓を重ねた伊藤さんは1989年の世界選手権で、女子フィギュアスケート史上初めて成功させ、日本人として初優勝を飾ったのです。

期待を背負ってのオリンピック再挑戦

日本中の期待を集めた2度目のアルベールビルオリンピック。

しかし、伊藤さんの体は厳しいジャンプの練習で、悲鳴をあげていました。

そのためショートプログラムでは代名詞となったトリプルアクセルをやむなく封印。

 

 

トリプルルッツに変更し安全策をとりましたが、転倒して失敗。4位と出遅れてしまいます。

 

あとがなくなったフリー。前半にアクセルを跳びますが失敗してしまいます。

しかし、それでも後半に急きょ、トリプルアクセルを組み込むことを滑りながら決意した伊藤さんには、こんな思いがありました。

 

伊藤みどりさん

オリンピックでは、やっぱりトリプルアクセルを跳びたい、成功しても失敗してもやりたい。

 

伊藤さんの強い思いが通じ、トリプルアクセルは見事成功!その時のジャンプがこちらです。

 

 

このトリプルアクセルの成功によって銀メダルを獲得したのです。

 

 

伊藤さん以降、トリプルアクセルに挑戦する女子選手は増えましたが、現在でも浅田真央さんなど、世界でもごくわずかな選手しか成功していない大技です。



スケート界全体のレベルが年々上がってきている中、日本勢が健闘を続けている背景には、伊藤さんが切り開いた努力があることは間違いありません。

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