ストーリーパラスポーツ

”自分の夢も叶えるために” パラアスリートのガイドが語る、活動の舞台裏

2021-08-19 午後 05:03

パラアスリートの祭典・パラリンピック。そこには、パラアスリートを支える「ガイド」と呼ばれる人々の存在が欠かせません。

 

ガイドの皆さんは何をきっかけに、どのような活動をしているのでしょうか。パラアスリートを支える3名のガイドの方に、普段あまり語られることのない舞台裏について伺いました。

パラ走り幅跳びのガイド・大森盛一さん

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大森盛一さん

陸上400mの選手として1992年のバルセロナ、96年のアトランタと2大会連続でオリンピックに出場。アトランタオリンピックの1600mリレーではアンカーとして5位入賞の立役者となる。2008年に陸上競技のクラブを設立。東京パラリンピック・走り幅跳びの日本代表である高田千明選手のガイドを務めている。

 

■大森さんが高田選手のガイドを始められたきっかけを教えてください。

 

私は2000年に陸上競技から引退して以来、全く違う仕事に就いていたのですが、2006年頃、知人に頼まれて地域の陸上競技のクラブのコーチを始めました。そのクラブには、手や足に障害のある方も練習に参加していたんですが、そこにやってきたのが高田千明選手でした。

 

高田千明選手(左)と練習する大森さん(右)

 

彼女は元々走ることが好きで、東京都が実施している障害者のスポーツ大会に参加した際にパラリンピックのことを知り、「自分もパラリンピックに出たい、本格的にトレーニングをしたい」とクラブに入ってきました。そして、2年後の北京パラリンピック出場を目指し、私が彼女のコーチをすることになったんです。高田選手は今は私のクラブに所属していますが、最初の出会いは本当に偶然で、それがなかったら私もガイドの仕事をしていなかったかもしれません。

 

■高田選手に初めて会った時の印象はいかがでしたか? また、どのように指導を進めたのでしょうか。

 

実は彼女はそれまでアスリートとしてのトレーニングを受けたことがなかったんです。学校の体育の授業くらいしか経験がなくて、歩き方や普段の立ち振る舞い含めて陸上の選手としての基本ができていませんでした。だから、まずそこから始めました。

 

走り幅跳びの「踏切」のイメージを教えてもらっている高田選手(左)

 

とは言え、私も全盲の選手のコーチをするのは初めてだったので、指導の方法は試行錯誤の繰り返しでした…。例えば、歩き方一つをとっても、その手本を見せることができないわけです。だから実際に手や足に触れて、手の角度はこれ、足の動かし方はこう、と手取り足取り一つずつ教えたり、私の足に触れて、動かし方をイメージしてもらうという方法で進めていきました。

 

これは、ロンドンオリンピックの後、走り幅跳びを始めたときも同様です。そもそも彼女は実際の走り幅跳びを見たことがないので、跳んでいる様子がどのようなものかわからず、しっかり形になるまでかなり時間がかかりましたね。

 

指導当初を振り返り、「試行錯誤の日々でした」と大森さん

 

このように、こちらの意図をしっかり伝えるために、コミュニケーションの方法はいろいろ考えましたが、これは私が陸上引退後、アミューズメントパークで一時働いていた経験が生きているように思います。

 

私は船のアトラクションを担当していましたが、乗り降りする場所が水で濡れてしまうんですね。だからお客さまが船を降りるときに注意喚起をするのですが、そのときに「危険ですから足元に気をつけてください」と言ってはいけないんです。なぜなら、アミューズメントパークを「危険な場所」としてお客さまに認知してもらいたくないからです。ではどう言うかというと、「船と船着場の間が離れているので、足元に気をつけてください」なんです。

 

「危険」という表現をせずに、どう気をつけてほしいかを伝える。制約がある中でこちらの意図を的確に伝えるためにはどうしたらいいのか考えるという、このときの経験が高田選手とやり取りをする際に生きていると思います。「この方法で伝わらないなら、こっちのやり方でやってみよう」と、臨機応変な考え方になっていたのは非常に良かったですね。

 

そのようなコミュニケーションの方法が健常者と違うだけで、基本的な練習メニューは健常者と同じ。もちろん、トラックを走るときには私が伴走します。

 

■その伴走ですが、なぜ紐で腕をつなぎながらあんなには速く走れるんだろうと不思議に感じます。よほど慣れていないと難しいのではないでしょうか?

 

高田選手に伴走する大森さん

 

実は、そんなことはないんです。走っている時間は10数秒間ですが、私からするとこの時間は案外ゆっくり流れています。これは、アスリートとして陸上で活動した経験があれば、特別なことではないと思います。前を見ているだけでなく、他の選手のペースや高田選手の様子を確認するなど、常に周囲に気を配っています。

 

ガイドとして伴走するときに大切なのは、何より選手にストレスを与えないこと。例えば腕を振るのが逆方向になってしまってはダメです。ストライド(歩幅)も高田選手と私とではかなり違いますが、そこもガイドである私が合わせるんです。短いストライドで回転を速くするのは、慣れないとなかなか大変ですが(笑)、どこまで選手とシンクロして走れるかがポイントです。

 

走り幅跳びのスタート前の様子

 

ちなみに全盲の方は、視覚の代わりに触覚や聴覚で状況を感知するんですが、その能力は健常者が想像できないくらい優れているように感じます。それが関係しているかどうかはわかりませんが、伴走なしでもとんでもない方向へ走っていくということはまずありません。
健常者が目隠しをして真っ直ぐに走るのはほぼ無理だと思いますが、高田選手の場合、私がゴールから声を出していると、8コースあるトラックの場合、最大でずれても1コース分くらいです。

 

■ところで、大森さんはガイドとしての活動にかなりの時間を費やしているようですが、報酬はあるのでしょうか?

 

パラ選手に関わるスタッフには、選手の生活のサポートをする「生活ガイド」、競技のサポートをする「競技ガイド」、指導をする「コーチ」などがいますが、基本的に生活ガイド以外は公的機関からは報酬は出ません。競技ガイドやコーチには、選手が所属するチームや企業から、選手が練習に通うための交通費や謝金が払われる場合もありますが、ケースバイケースです。極端な言い方をすれば、競技ガイドやコーチはいくばくかのお金をいただいて選手を支える、ほぼボランティアなんです。

 

最近ではパラリンピックの注目度合いも高くなっていますが、その舞台裏はかなり厳しい事情です。多くの人の善意で支えられているというのがパラスポーツの現状です。このままではいずれガイドをやる人がいなくなってしまうのではないかと危惧しています。

 

■それでも大森さんがガイドを続けるモチベーションはどこにあるのでしょうか?

 

正直に言えば、私自身がもう一度トラックに立ちたいという思いですね(笑)。コーチはスタンドから見ているだけで選手と一緒に走ることはできません。でもガイドなら、選手と一緒にトラックを走ることができます。そのためにコーチ兼ガイドとして、パラリンピアンを育てるということが私の原動力ですね。もちろん、高田選手には走り幅跳びでメダルを取ってほしいですし、そのための努力は惜しみません。私がガイドを続けているのは、高田選手の思いを叶えるためであり、自分の夢も実現させるため、かもしれませんね。

パラトライアスロンのガイド・脇真由美さん

210713-para-guide_07_wm脇真由美さん

国立大学の職員としてフルタイムで勤務しながら、パラトライアスロンのガイドを務める。これまで、リオパラリンピックに出場した山田敦子選手、同じくリオ大会のパラサイクルで銀メダルを獲得後パラトライアスロンに挑戦した鹿沼由理恵選手、日本唯一の盲ろうパラトライアスリートの中田鈴子選手などのガイドを務めた。

 

■トライアスロンは健常者が挑戦するのも難しい、ハードルの高いスポーツだと思います。脇さんがガイドを始めようと思ったきっかけを教えてください。

 

私自身がトライアスロンを始めたのは1997年頃で、オーストラリアの旅行会社で現地係員をしていました。
その時、たまたまゴールドコーストで開催されていたトライアスロンの大会を見に行ったのですが、そこで健常者に混じって視覚障害の方が普通にレースに参加していたんです。
一体どうやって泳ぎ、漕ぎ、走っているのかと思ったのですが、よく見るとガイドがいて、コースや距離を的確に教え、選手はそれを聞いて進んでいるのだということに気づきました。
そのとき私は、「あぁ、このガイドという役割はすごい、自分もいずれガイドになれるような選手になりたい」と思ったんです。

 

2016年リオパラリンピック パラトライアスロンPTVI女子に出場した山田敦子選手

 

そして2012年に日本に帰国した際、ガイドが必要なチームや選手はいないだろうかと思っていた時に、「TRI6 West(トライシックスウェスト)」という関西のパラトライアスロンチームの監督と出会い、ガイドを始める機会に恵まれました。その時出会ったのが山田敦子選手で、「2016年のリオパラリンピックの出場を目指しているので、次のアジア選手権のガイドをして欲しい」ということでした。

 

■ガイドの経験がないにも関わらず、突然パラリンピックに向けた依頼があったということですか?

 

そうですね(笑)。実は私はオーストラリアにいた頃にエイジグループという年代別カテゴリーのトライアスロンやアクアスロンで何度か世界選手権出場経験がありましたし、日本人のエリート選手が合宿に来た時には自宅に宿泊させたりという経緯があり、日本のトライアスリートの中には、私の名前を知っている人が少なからずいたので、「海外レースに慣れているこの人なら任せられる」と思われたのかもしれません。

 

2021年横浜トライアスロン 中田鈴子選手(左)と脇さん(右)

 

最初は夜行バスで大阪に行って、到着後すぐに、パラトライアスロンのバイクパートで使うタンデムバイク(二人乗り自転車)に初めて乗車し、その日のうちに山田選手と実走練習。そして今思えば決して十分に練習したとはいえない状態でアジア選手権に臨み、優勝しました。

 

■ご自身でトライアスロンの経験があるとはいえ、いきなりぶっつけ本番でガイドができるものなのでしょうか。

 

オーストラリアでは、障害のある方が健常者と同じ大会に出るというのは普通のことなので、ガイドと選手が一緒に走っている様子を何回も見たことがあったんです。だからイメージはできていましたし、特に、「怖い」「失敗したらどうしよう」ということは感じなかったですね。
もちろん選手と「どのようにガイドをしてほしいか」「こういう時にはこうする」といったような事前の確認はします。ガイドが選手に合わせられないと息は合わないし、思うようにレースが進みませんから。

 

2021年横浜トライアスロン 中田鈴子選手(左)と脇さん(右)

 

例えばランのときはストライドや腕振りを揃えなくてはいけないし、スイムのときは息継ぎのタイミングで、進む方向や距離を教えるので、息継ぎの瞬間をよく見る必要があります。また太ももをゴム紐でつないでいますが、水中で取れてしまうこともあります。そういうときは、私が選手に合わせてキックだけで進みながら紐を結びなおします。

 

タンデムバイクは、2人で一緒にベダルを回転させるので、タイミングが少しでもずれるとスピードが上がりません。しかも、乗車時・降車時はバランスを崩しやすく、非常に緊張する瞬間です。

 

だから、確かに自分ひとりの場合と比べてガイドとしてレースをするのは難しいなと思いましたが、それもすぐに慣れました。相手の動きがわかれば、あとはこちらが合わせるだけ。実際、山田選手の後も何人かの選手のガイドをしましたが、お互いに一人でできる練習はしてきているので、基本的にレースの前日くらいに初めて会って、あとはぶっつけ本番というパターンがほとんどです。

 

 

2021年横浜トライアスロン 脇さん(左)と中田鈴子選手(右)

 

■それはすごいですね…。

 

特殊な才能だと褒められたこともありますが(笑)、基本的にトライアスロンは自然を相手にするスポーツです。波のうねりや風向きなどは刻一刻と変化するため、臨機応変に状況に合わせなければいけません。何か変わった事が起きても、予定通りにいかないのがトライアスロンの面白いところだと気楽に構えているほうがいいと思います。ガイドというのも、それと通じるものがあると思います。だから私は選手のガイドをそれほど苦労に感じたことはありません。

 

■では、脇さんがガイドをされていて大変だと思うのはどのようなところでしょう。

 

パラアスリートや私のようなガイドにとって、一般の方との間にある「温度差」が苦労する点であり、また残念なところです。

 

繰り返しになってしまいますが、オーストラリアでは健常者と障害者が一緒にスポーツを楽しむのは当たり前のことですし、そのための環境も整備されています。ところが日本では、パラスポーツへの理解は進みつつありますが、まだ十分に浸透しているとは言えません。

 

公道脇など限られた場所で練習する様子(一番左が脇さん)

 

例えばプールの場合、視覚障害の選手と一緒に練習するには、横に並んで泳がなければいけないんですが、障害者用のプール施設であっても、貸し切りにしない限りは”危ない”ため、横に並んで泳ぐことはできません。また、一人で行動することも泳ぐこともできる弱視の選手が、一部の公共プールでは「視覚障害者は必ず介助者が同伴しなくてはならない」という規則によって入場を断られたこともあります。また、タンデムバイクも公道走行が可能な地域は限られており、たとえ許可されている地域でも、晴眼者(視覚に障害のない人)にとっては奇異なものですから、理解しようにもしにくいし、浸透していないのが現状です。

 

そのような状態なので、満足な練習をする環境が整っていません。パラトライアスロンは特別なものではないのですが、日本では健常者と同じ環境の中で普通に練習ができない、この距離感が一番苦労するところです。

 

■パラトライアスロンを取り巻く状況は、なかなか厳しいですね。脇さんは今後、どのような活動を続けていこうと思っていますか?

 

障害者がパラトライアスロンに挑戦してみようと思うのは、健常者がトライアスロンに挑戦してみようと思うのと何ら変わりはありませんから、特別扱いされない社会にしていきたいという事がひとつあります。実際に、オーストラリアは30年くらい前からそういう環境で、それを見て育った子供達が大人になり、現在はそれが当たり前の社会になっています。日本をそういう垣根のない社会にしていきたいと思っています。

 

「少しずつでもパラスポーツの環境を変えていきたい」と語る脇さん

 

その1つとして、女性のガイドをもっと増やしたいです。視覚障害(PTVI)カテゴリーでは必ずガイドをつけなくてはいけないんですが、国際ルールで、ガイドは同性と決められています。

 

でも、日本では女子ガイドが十分だとはいえません。私はガイドの依頼があれば可能な限り応えていますが、私のようにどの選手でも対応可能な女子ガイドは、日本ではごくわずかではないでしょうか。

 

レースに出たい、チャレンジしたいというパラアスリートの気持ちは、健常者のトライアスリートのそれと同じですから私にはよくわかります。
だから、その気持に応えたいし、一緒にやっていける人を増やしていきたい。そして日本の状況を少しでも変えていきたい。そう思って活動しています。

パラノルディックスキーのガイド・藤田佑平さん

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藤田佑平さん

中学、高校でクロスカントリースキーに取り組む。早稲田大学大学院在学中にガイドスキーヤーとしての活動を始め、ピョンチャンパラリンピックでパラノルディックスキー日本代表・高村和人選手のガイドを務める。現在、2022年北京パラリンピック出場に向けて活動中。

 

■藤田さんは、中学・高校とクロスカントリースキーで優秀な成績を残しています。現在、パラノルディックスキーのガイドをされているきっかけは何ですか?

 

実は私はクロスカントリーでさらなる高みを目指そうと思って、早稲田大学スポーツ科学部に入学したのですが、そこでは望んだ結果が残せなくて、大学卒業と同時にスキーは引退したんです。それで、元々やりたかったコーチングの勉強をしようと大学院に進学したところ、そのタイミングで日本障害者スキー連盟からガイドをやってみないかと声をかけられたんですね。

 

引退したとはいうものの、やはりまだ頭のどこかではスキーをやりたいという気持ちがありましたし、またガイドとして世界をめぐる経験もできそうだったので、二つ返事で受けることにしました。

 

ガイドになったきっかけを話す藤田さん

 

そうしたら「1ヶ月後にニュージーランドに来るように」と言われたので現地に行ったところ、「今日からこの選手のガイドを頼む」と言われて紹介されたのが、全盲のパラノルディックスキー選手、高村和人選手だったんです。そして「高村選手のピョンチャンパラリンピックの出場権をとって一緒に走ってほしい」と言われ、この道に入ったわけです。

 

2019ワールドパラノルディックスキージャパンカップ札幌大会に出場した高村和人選手(左)と藤田さん(右)

 

承諾はしたものの、それまで全盲の方をガイドする経験など全くなかったので、どうしたら良いのかわかりませんでした。それでまずは、どのようにガイドをしたらいいのか、またどのようにしたら滑りやすいかなど、高村選手と事細かに話をするところから始めていきました。

 

■自然の中を走るノルディックスキーは危険と隣り合わせのような印象がありますが、ガイドとして具体的にどのようなことをするのでしょうか。

 

私が一番気をつけているのが「安全」です。目の見えない選手にとって何が怖いかといったら、転倒だと思います。どういう状況なのかわからずに転んでしまったら恐怖心が増してしまい、それまでと同じように滑るのが難しくなってしまうかもしれない。そう思うので、まずは安全にガイドをするということを肝に銘じています。

 

試合では、常に声を出しながら選手を先導していきます。選手はその声を頼りに、ガイドの後ろを滑ります。例えば1秒間に1回「はいっ!」と言ったり、「50m先、右曲がって登ります」と伝えたり。車のナビをイメージするとわかりやすいかもしれません。それを常に、人間がやり続けるんです。そこへ他の選手が来たら、よけたり抜かしたりしなくてはいけないし、あるいは戦術・戦略を組み立てて、「ここでスピードを上げましょう」とか「こういうフォームでこういう風に走りましょう」と、ひたすら司令塔のような役割をしながら、20kmなら20kmを一緒に滑ります。


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2021ワールドパラノルディックスキージャパンカップ札幌大会での有安諒平選手(左)と藤田さん(右)

 

コースには注意しなければ危険なポイントがあるので、非常に気を使います。自分ひとりで滑るのであれば前だけを見ていればいいですが、ガイドとなるとそうはいきません。

 

後ろを見ながら滑っていても自分のフォームが崩れないようにしなければならないし、「右90度曲がります」と伝えた後で、選手がどのように曲がってくるのかを想像して、少し左に寄り気味に自分のラインを取らなくてはいけません。意識しなくてもそのようなことができるよう、普段の練習でもその点に注意しています。

 

■選手とガイドが紐でつながっているわけではないので、2人に信頼関係があって息が合っていることが不可欠なんですね。

 

その通りです。私は2015年の8月に高村選手のガイドを始めたのですが、その時点でピョンチャンパラリンピックの出場権獲得までは2年もありませんでした。とにかく急いで2人の関係を作り、しかも能力も向上させなくてはいけないという状況でした。そのために合宿やトレーニングを何回も繰り返し、なんとか形になってきたかなというのが、2017年3月の最後のワールドカップでしたね。こうやったら転ばずに滑れた、速く滑れた、など成功体験を実感するためには、やはり1年半くらいかかったということです。そしてそこからスピードを上げていきました。

 

2017IPCノルディックスキーW杯 バイアスロン男子視覚障害 藤田さん(左)と高村選手(右)

 

何でもそうだと思いますが、信頼関係は一朝一夕では築けません。寝食を共にしながら、高村選手のいろいろなことに対する好き嫌いを知り、生活リズムを合わせて、「高村和人とはどういう人なのか」を知っていかなければ、信頼関係は築けません。そして同時に、僕のことを高村選手に知ってもらうことも必要です。パラノルディックスキーのガイドを務めるためには、やはりそれだけのことは必要になると思います。

 

■ガイドは選手と一体ですね。

 

そうですね。表彰台に立てばメダルももらえるし、選手でもあります。IPC(国際パラリンピック委員会)の規定でもそうなっています。

 

■ありがとうございます。藤田さんの今後の目標を教えてください。

 

高村選手は第一線を退いたので、今は有安諒平選手のガイドをしています。実は有安選手は東京パラリンピックでもボートの代表に選ばれていて、スキーは初めてなんです。ただ、すごい勢いで成長していて「えっ?もうこんなに速くなったの?」と私が驚くほどで…。有安選手に負けないように私もトレーニングしなければといけませんね(笑)。

 

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2021WPNSフィンランドワールドカップ 藤田さん(左)と有安諒平選手(右)

 

今の目標は、パラリンピックで金メダルを取って、選手と一緒に表彰台に登ることです。自分自身、オリンピック出場の夢がかなわず、一度は引退した身ではありますが、パラリンピックでメダル獲得の目標を実現したいんです。

 

先ほど、ガイドは選手でもあるということをお話しましたが、実際にはパラ選手がいなかったらガイドは存在できません。その意味で、有安選手と私は一心同体でもあります。私の中では2030年までは絶対にがんばるという思いがあって、有安選手と目標を設定しています。そこまでにメダルを取って、パラスキーの認知を広げ、障害者の方がどんどんスキーを楽しめる環境を作っていければと思います。

 

実は、日本にはガイドスキーヤーが少ないのが現状です。世界の第一線で戦うことができるガイドスキーヤーはさらに少なくなります。なので、私が諦めてしまうと世界に大きく遅れをとってしまうんです(笑)。その分プレッシャーもありますが、夢の実現に向けて、楽しみながら活動を続けていきたいですね。

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以上、パラアスリートを支えることへの熱い思いを披露していただいた、3人のガイドの方々。パラ競技のさらなる発展を願うことはもちろん、選手と共に世界の舞台に立つ、メダルを獲るという夢が大きなモチベーションになっていることがわかりました。

 

東京パラリンピックは8月24日(火)から開催。ぜひ選手とガイドの見事な一体感に注目し、応援してください。

 

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