ストーリー野球

プロ野球 巨人の松原聖弥は新たな育成の星 「報われない努力はない」

2021-07-06 午後 08:00

5年前に行われたプロ野球ドラフト会議。育成選手の指名に入ったが自分の名前がなかなか呼ばれない。「もうないんじゃないか」という重い空気が、大学が用意した会見場に広がる中、5巡目でようやく指名された。

 

恩師からは「何位でも一緒だ。とにかく入ることが前提だから焦ることはない。それより入ってからが大変なんだから」と励まされた。そのことばどおり、厳しい1軍の競争の中で結果を出して先発出場の座を得ている。新たな育成の星に思いを聞いた。

セ・リーグ3連覇を目指すチームのリードオフマン

 

松原の持ち味は巧みなバットコントロールと俊足。去年7月に1軍デビューを果たし、ことしは主に1番バッターとして、規定打席には達していないが、打率2割7分6厘、盗塁8個、ホームラン8本をマークしている。(成績は7月5日現在)

 

走攻守のバランスがいい26歳は、セ・リーグ3連覇を目指すチームで欠かせない存在になってきている。

 

松原 聖弥 選手

最高ではないが、納得はできる1年だと思います。今こうして1軍でプレーできているのは順調に来ているからだと思います。

高校と大学では無名の選手

 

松原の野球人生は決して順風満帆とは言えない。大阪出身の松原は、高校進学の際に、地元を離れ、強豪の仙台育英に進学。1学年下にはソフトバンクの上林誠知や阪神の馬場皐輔がいた。

 

全国から能力の高い選手が集まる中、レギュラーになれなかった。3年生の時は、甲子園のグラウンドに立てず、アルプススタンドからチームメートに声援を送った。

 

「悔しい気持ちはもちろんあった」と振り返ると同時に「野球は続けられるところまで続けたい」と明星大学のセレクションを受けて合格した。当時、明星大学は首都大学野球2部に所属し、プロ入りした選手は1人もいなかった。

大学で飛躍のきっかけをつかむ

大学でも野球を続けたことで松原の人生は好転した。当時、野球部監督を務めていた浜井澒丈名誉監督は、松原との出会いを懐かしみながら、こう振り返る。

 

浜井 澒丈 名誉監督

足も速く、かなり器用で、性格もいい。意外性のある選手かなという感覚だった。

 

松原は入部早々に行われた練習試合で、いきなり6番・セカンドで先発メンバーに抜てきされた。しかし、シートノックで思うように送球ができず、試合開始直前に、急きょ、指名打者に変更されたという。この出来事がきっかけで、松原は外野にコンバートされることになったのだが、浜井には明確な狙いがあったという。

浜井 澒丈 名誉監督

とんでもないことになりまして、スタメンに選んだが、緊張してボールが全然手につかない。とんでもないところに投げるものですから、相手チームの監督さんからおしかりを受けて、DHに変更したと今も記憶に残っていますね。どこかで1回、起用しておかないと本人の目的意識が作れないものですから、起用してやろうとは思っていました。

 

その後、松原は1年春のリーグ戦の開幕戦に4番・指名打者で先発出場した。ここで4打席連続三振を喫し、試合後にみずから「次の試合は外してください」と浜井に願い出た。浜井はもう1試合、先発で起用した後、あえて控えに回した。

 

それ以降、松原は基礎練習に明け暮れる日々を送った。体力作りやキャッチボールで正確に投げることなど、浜井から与えられた課題に意欲的に取り組んだ。

 

浜井 澒丈 名誉監督

経験を積ませて自分の弱点を知ったときに、その方向へ努力すると思って、1年間は様子を見ました。チームの中で1番よく練習をしたと思います。練習に一番先に出てきたり、グラウンドの整備をしたり。

 

地道な努力は2年春から結果としてあらわれた。5シーズン連続でリーグのベストナインに選出されるなど、プロ野球のスカウトにリストアップされる存在にまで成長した。「練習は結構やる方だった」という4年間を振り返ってこう話した。

 

松原 聖弥 選手

やっぱり1年生からずっと試合に出してもらって、経験をいろいろ積むことができました。もともと内野として入学したのに、外野にコンバートしてというのを考えると、大学4年間があったから今があると思います。

プロでも厳しい立ち位置からのスタート

2016年の新入団選手たち(松原選手は後列右から2人目)

 

育成ドラフト5位でプロの世界に飛び込んだ松原。最初から1軍で活躍する展望が開けていたわけではない。

 

1年目は3軍の試合で打てても、2軍の試合ではボールが前に飛ばなかった。それでも持ち前の努力を重ね、2年目はイースタン・リーグで最多安打のタイトルを獲得。支配下登録につなげた。

 

2018年 支配下契約を結び笑顔を見せる松原選手

松原 聖弥 選手

(1年目は)くやしかったんですけど、気持ちが折れたりはしなかったですね。練習すれば、絶対に打てるようになると信じていました。3軍で1年やって、2軍で2年目に最多安打、支配下登録され自信になりました。

 

2020年7月25日 ヤクルト戦  プロ初打席で二塁打

 

4年目の去年7月25日のヤクルト戦でようやく1軍デビュー。初打席は代打でいきなりヒット。その後の試合の守備ではライトゴロを記録し、一気に首脳陣の信頼を攻守で勝ち取った。

 

松原は浜井から言われ続けた「常に全力プレー、全力疾走」のことばを忘れず、体現してきた結果だと考えている。

松原 聖弥 選手

それは大学の1年目から本当にずっと続けていること。自分の持ち味だと思うので、ずっと続けていきたいと思っています。

チャンスは逃さない 目標は日本一

 

今シーズンは、序盤、新戦力の加入もあって、先発出場の機会に恵まれなかった。それでもライバルのけがなどで巡ってきたチャンスを逃さなかった。

松原 聖弥 選手

今までやってきたことが無駄にならなくてよかったし、自分でつかんだというより、運がよくてここまで来れたというのもあります。何が運につながるかわからないですけど、どんどん引き寄せられるように、と思います。

 

松原は謙遜して「運」ということばを使ったが、努力を続けないとつかめる「運」もたぐりよせることはできない。

 

バッティング練習では、その日の自分の状態を踏まえて、打撃フォームを微調整している。また、試合の打席で追い込まれると、すり足気味にタイミングの取り方を変えるなど、成績アップには理由があるのだ。

 

松原 聖弥 選手

毎日、毎日、同じものを求めるのではなくて、臨機応変に対応するようにしている。去年と比べると引き出しが増えていて、試行錯誤しているおかげで、大きく崩れることがないと思います。

 

こうした工夫に指揮官も目を細める。

 

4月15日 中日戦で先頭打者本塁打の松原選手を迎える原監督

原 辰徳 監督

このところしつこさが出てきたし、非常に長打力というかね、意外性は以前からあったが、そこに本当にしつこさが出てきた点で成長の跡。あるいは打率が上がってきた理由はそこにあるのではないかと思いますね。

 

鳴り物入りの入団でなくても、松原はひたむきな努力を重ねることで、チームに欠かせないピースに成長した。謙虚な姿勢を胸に秘め、プロの世界で生き残っていく。

 

松原 聖弥 選手

与えられたポジションでチームの勝利に貢献できれば一番だと思うので、欲を出さずに与えられた仕事をしっかりこなしたいです。ここからずっとシーズン終わりまで、リーグ優勝まで、スタメンでレギュラーとして出て、日本一になれるようにというのを目標にやっていきたいです。

この記事を書いた人

画像alt入ります

川本 聖 記者

平成22年NHK入局。さいたま局、宮崎局、松山局を経てスポーツニュース部。

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!