特集 幕内復帰の宇良 初めての三賞に挑戦へ 大相撲名古屋場所

夏場所12勝3敗の好成績で十両優勝を果たした宇良。“業師”の存在感を土俵で見せつけて、4年ぶりに幕内の土俵に戻ってきます。
元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん
元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんが相撲を始めたころのエピソードを聞き出し、初の三賞を目指す宇良の思いを明らかにしました。
もう少し早く戻れたら… 十両優勝は考えていなかった
十両優勝の賞状を手に笑顔の宇良
ーー十両優勝と幕内復帰おめでとうございます。夏場所を振り返って内容はどうでしたか。
いいところも悪いところもあったと思います。ふだんと特別変わったこともなかったのですが、運がついていたなと思っています。
ーー去年11月に16場所ぶりに十両に戻りましたね。そこからまず9番勝って、10番、10番と続けて勝っての夏場所です。体調、相撲内容は毎場所上がってきていましたか。
夏場所千秋楽 武将山を寄り切りで破った宇良
そうですね。膝に関しては稽古していて、動きについてこないことがときどきありました。それでも何とか15日間耐えきれるだけの膝はできあがってきたかなと思います。
ーー夏場所に臨む前は、これで幕内に戻るぞという強い気持ちがあったのではないですか。
決めたいところはありました。これまではコロナ禍の影響があって番付が据え置きになっている人がいたりして、勝っても番付がなかなか上がらないなと思っていました。もう少し早く戻れたらなという気持ちがありましたね。
ーー12日目の千代の海関との一番は、気持ちが入った取組でしたね。
夏場所12日目 宇良(右)が押し出しで千代の海を破る
得意な相手ではなかったです。再十両に上がった場所でも2日目に対戦して持っていかれています。後頭部から落ちて記憶がなくなった。初めての経験でした。それくらい飛ばされたというイメージがあるので、ここは落とすのではないかと思いながら戦いました。
ーーなるほど。これは強い相手だから落としても仕方ないと思ったのですね。
そうですね。もちろん勝ちたい気持ちではあるのですが、十両優勝のことは、このときは全く考えていなかったです。
「やりのように当たる」 小学生の時が一番鋭い立ち合いだった
ーー相撲を始めたのは4歳で、お姉さんがやっていたのですね。
姉が体が大きくて「わんぱく相撲」に出ていて、ついでに私も出たのです。「お姉さんが出るなら僕も出る」と。単純に大会に出るのが楽しかったです。
ーー高校は京都の鳥羽高校ですね。高校で本格的に相撲をやったのですね。
小学校のときには、すごい稽古をしていました。厳しかったです。あの時が一番しんどかったのではないですか。
ーー相撲のスタイルはどうだったのですか。
小学校のときが、多分いちばん鋭い立ち合いをしていたと思います。
ーー一気に押して出る感じですか。
頭からぶつかっていく立ち合いは、その地域で定評がありました。「やりのように当たる」と言われていたくらいです(笑)。それしかないような感じでしたね。
ーー「やりの宇良」として有名だったのですね。
頭からガンと当たって何度も押していく北播磨関のような相撲を取っていました。
ーーそのすごい立ち合いを一度見せておくといいですよ。みんなが立ち合いに警戒しますよ。ここぞというときに出すのです。
1日くらいできることはできますが、後が怖いですよ(笑)。
大学2年で予選敗退、本気でやって終わると決意
全日本選手権に出場した大学時代の宇良
ーーそういう相撲が高校に入って変わったのですか。
中学校、高校と相撲なんか取れる感じではなかったです。高校に入学したときでも身長が1メートル52センチで、体重も50キロでした。高校のクラスの女子も含めていちばん小さかったです。当時は練習するどころか、ほとんど練習に加われなかったです。土曜日、日曜日に小学生が稽古に来るのですが、その小学生と稽古していました。強い子がたまたまいて、勝てなかったです。それくらい弱かったです。
ーー関西学院大学に進学してからも相撲をやっていこうと思ったのですか。
勉強しに行こうと思っていました(笑)。大学は勉強をしに行くところで相撲をしに行くところではないと思っていました。
ーー勉強したいことがあったのですか。
教育学部に行って、小学校と中学校の教員免許を取りました。大学を出たら教員の資格を生かしたいと思っていました。欲が出て幼稚園教員の免許も取りました。相撲を真剣にやろうと思ったのは大学2年生の後半です。
ーー本気で相撲に取り組もうと思ったきっかけがあったのですか。
ありました。そのときは体重65キロ未満級で試合に出場していました。1年のときは全国大会で優勝できて4連覇しようという目標ができました。2年のとき、西日本の予選で、相撲をやって3か月の選手に大差で負けました(笑)。65キロで、1回戦で負けるのは、いちばん弱いと感じました。4歳から相撲をやってきて、大学を卒業して相撲をやめるなら最後は本気でやりたいと思ったのがきっかけです。
大学3年で勝つ喜びを味わい、まだ伸びるとプロ入り決意
2015年3月 新序一番出世披露で土俵に上がった宇良
ーーそれでプロになろうと思ったのはいつですか。
大学3年の終わりごろです。初めて相撲で勝つ喜びを味わえたのが、そのときだったのです。この1年半で相撲を終わらせるのはもったいないと思いました。
ーー序ノ口優勝して、序二段も7戦全勝でしたね。順調に出世したなと見ていましたが、ご自身としてはどうでしたか。
当時は技が珍しいというだけで、実力ではない目立ち方をしたと思います。それが私の中ではつらかったです。
ーーそれでも幕下に上がって、3場所で幕下を通過。入門から1年余りで関取になりましたね。
2016年3月 新十両昇進を決めてポーズをとる宇良
もう1回やれと言われてもできないです。それくらい神がかった出世だったと思います。実力以上の結果を出せたと思います。
ーーその後に大けが、右膝のじん帯の損傷でしたね。どうでしたか。
じん帯が切れたということは分かります。経験はなかったのですが感覚的に分かりました。手術をすると決めたときは出直しかなと思いました。
ーー1度復帰して、もう1回、けがをしますね。このときはどうでしたか。
そのときはもう笑うしかないという感じでした。
ーーけがをする前と、けがから復活したときは、相撲の感覚は変わってきましたか。
変わりましたね。けがをして出場できなかったり巡業に参加することもなかったりしたので、体作りを集中してできたと思います。感覚的には新弟子で上がってきたときよりも、本当に自分に力がついたという自信を持ったうえで番付を上げることができたと思います。
ーー前の幕内のときの関取と今回の関取は違うのですね。
違うと思います。やはりパワーが上がるとスピードが落ちるなどいろいろあります。それでも考えた動きとかうまさは確実についたと思います。マイナスの部分は何とか補うことができていると思います。
2020年11月場所 宇良(右)が居反りで旭秀鵬を破る
ーー幕内で思い切り暴れてください。去年の11月場所では十両で居反りも決めました。反り技を幕内で見られるのではないかとみんな期待していますよ(笑)。
期待に応えられるように頑張ります(笑)。
結婚は現役中にはない 目標は30場所関取を務める
宇良の十両優勝を安治川親方が祝う(夏場所千秋楽)
ーー関取は趣味としてラップをやっているのですか。
はい。ラップは好きです。ラップを聴くのではなく、お互いに歌い合うラップバトルを見るのが好きです。技術が詰まっていて面白いです。バトルが好きです。
ーーほかに趣味、凝っているものはありますか。
趣味はいっぱいあります。すぐにやって、ある程度のレベルに到達したらやめることが多いです。ルービックキューブ、これも1分でできるようになってからはしなくなりました。将棋、ウクレレもやりました。伝筆【つてふで】(筆ペンを使って筆文字をデザインする独特の書き方)に凝ったりしました。
ーーまだ結婚はしていませんでしたね。
結婚はしていないです。
ーー考えないですか。
現役中にはないですね。私は、けがが多いですし、相撲で安定して食べていけるとは思っていないです。
ーー目標はどのように設定するのですか。
いちばんに挙げるのは30場所の関取です。年寄名跡が自分は手に入るとは思っていないですが、年寄の資格を得ることができる関取30場所が目標です。今は15場所ではないかと思います。
ーー今の倍は関取として務めたいということですね。
あと3年くらいは関取としてやりたいですね。
三役よりも三賞、入門当初は技能賞が夢だった
夏場所9日目 「技」の化粧まわしで十両土俵入り
ーー番付上の目標は、あまり設定していませんか。三役はあるのではないですか。
三役というより三賞ですね、30場所の次の目標としては。
ーー最初にもらうとうれしいものですよ。平成29年名古屋場所で初金星を挙げたとき、勝ち越していれば多分三賞を取っていますよ。
いやどうですか。その前の夏場所で11勝しても三賞がもらえなかったですよ。
ーー名古屋場所で三賞を目指してください。
はい。目指して頑張りたいと思います。今は体重が増えて特に意識しませんが、入門当初は技能賞をもらうのが夢でした。名古屋場所しっかり頑張ります。
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