ストーリーサッカー

"サッカーの聖地" 7年ぶりに復活!

2018-08-02 午前 0:00

サッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」が再開しました。サッカー日本代表が毎年のように合宿していたこの施設は、福島第一原子力発電所の事故のあと、廃炉作業の拠点となっていましたが、7年4か月ぶりに子どもたちの声が戻ってきました。

 

 

東日本大震災が発生した時刻の午後2時46分でとまっていたスタジアムの時計。

 

 

キックオフとともに針が再び動き出し、7年4か月ぶりにJヴィレッジが再開。
地元の中学生たちによるエキシビションマッチが行われました。

 

 

この日を特別な思いで迎えた人がいます。Jヴィレッジの運営会社の社員、鷺(さぎ)周作さんです。

鷺周作さん

今回スタジアムの時計が動き出して、僕の中でもサッカーの時間が動き出した。

 

鷺周作さん (小学生時代)

 

福島県出身の鷺さんは、小中学生のころ、Jヴィレッジに作られた地元の子どもたちによるチームでサッカーに打ち込んできました。

Jヴィレッジは「サッカーの聖地」

Jヴィレッジ で行われたサッカー日本代表合宿 (2006年)

 

鷺さんの練習拠点だったJヴィレッジは、「サッカーの聖地」として知られています。数々の日本代表の選手たちが練習で使っていました。鷺さんは、日本代表と同じ場所で練習できることに誇りを感じていたといいます。

鷺周作さん

週5、6回もこのグラウンドに来てみんなで仲間と一緒に汗を流した。サッカー選手として、人間として成長させていただいた場所。

原発事故で大きく変わってしまった

福島第一原発事故の前線基地となったJヴィレッジ (2011年)

 

その思い出の場所は、原発事故をきっかけに大きく変わりました。

 

 

福島第一原発から20キロほどのところにあるJヴィレッジ。ピッチには、車がとめられ。物資や、廃棄物が山積みに。観客席の目の前には、プレハブの宿舎が建てられ、廃炉作業の拠点となったのです。

鷺周作さん

ピッチにも鉄板がしかれていまして、思い出がすべて壊れていた。思い出に残っているJヴィレッジはないのかなあと思っていた。

震災から5年 Jヴィレッジで働く決意

 

そんな鷺さんに震災から5年がたとうとしていたころ、中学時代のサッカーチームの恩師からJヴィレッジの復活のため、力を貸してほしいと声がかかります。

 

大学院の卒業を半年後に控えていた鷺さんは、他の企業の内定を辞退。Jヴィレッジで働く決意をしたといいます。

不安もあったが、絶対にこのJヴィレッジをまた緑のピッチに戻していくんだと、その力になっていきたいなという思いは強く持っている。

 

 

事故から7年余りがたち、Jヴィレッジは再開しましたが、放射線を懸念する声がまだ根強くあります。そこで、鷺さんは、ホームページに放射線量のデータを公開して、他の県と数値は変わらないと懸念の払拭に努めています。

復興する福島の姿を発信する施設に

 

苦難を乗り越えて、ようやく再開したJヴィレッジ。鷺さんは、地域の復興のためにも、Jヴィレッジに少しでも多く、子どもたちの声を取り戻していきたいと願っています。

 

サッカーをプレーしているのを見るだけでも力をもらうことができるので、そういうのが復興につながればいいと思う。きょうがスタートだからこれから時間が進むように努力したい。

 

Jヴィレッジではラグビーワールドカップのアルゼンチン代表や、東京オリンピックのサッカー日本代表の合宿が行われる予定です。地元の人たちだけでなく、世界の人たちに復興する福島の姿を発信する施設になることが期待されています。

立石顕 記者

福島放送局いわき支局 
平成26年入局 甲府局を経て福島局いわき支局へ
主に原発事故の被災地取材を担当。学生時代は剣道部に所属

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