ストーリー野球

プロ野球 ソフトバンク 川島慶三「母に贈ったサヨナラヒット」

2021-06-08 午前 11:25

「親孝行していますか?」この問いに胸を張って、うなずける人がどれほどいるだろうか。

 

この日、ヒーローインタビューを受けた37歳は「親孝行息子です!」と声をあげた。

 

 

ソフトバンクの16年目、川島慶三。母が見守る中で打った、レギュラーシーズンでは、プロ初のサヨナラヒット。それは、球場での最後の親孝行だった。

プロ初のサヨナラヒット

3月28日 ロッテ戦 川島選手がサヨナラヒットを打つ

 

ソフトバンクの開幕カードは昨シーズン、唯一負け越したロッテとの対戦だった。2連勝で迎えた3戦目。

 

前日にサヨナラ勝ちした打線は、この日も1点を追う9回ウラに抑えの益田を攻めた。ワンアウトから代打・長谷川がヒットで出塁。1番・周東は倒れ、2番・今宮のツーベースで、二塁、三塁。前打席ヒットの柳田は申告敬遠。

 

ーー「ツーアウト満塁」。最高のチャンスを作り出した。

 

開幕から出番のなかった川島はその日、いつもより早く代打の準備を始めていたという。

 

川島 慶三 選手

あの日はとにかく最高のパフォーマンスがしたかった。自分にとってのオープニングゲームだったので。

 

9回ウラ、舞台は整った。小久保裕紀ヘッドコーチに自分の名を呼ばれた。観客が大きな拍手を送る中、川島は打席に立った。しかし、益田も強気のピッチングを崩さない。3球で追い込まれた。4球目は見逃し、ボール。そして5球目、アウトコースのストレートを振り抜いた。

 

 

打球はライトの前に落ちた。ベンチから飛び出す選手たち。川島は両手を上げチームメートの祝福を受けた。

 

 

この時、川島がうれしさを爆発させたのには、もうひとつ理由があった。それが明らかになったのはお立ち台でのやりとりだった。

 

<インタビュアー>
「ファンのみなさんへ、ひと言お願いします」

 

<川島慶三選手> 
「(きょうは)両親が来てるんですよ。目の前で打てたことが、めちゃくちゃうれしい。親孝行息子です!」

 

川島は左投手に強い「左キラー」。この日の相手先発が左投手だったため「出番があるかもしれない」と、長崎県の実家から両親を招待していた。

 

「家族を喜ばせたい」早めに代打の準備を始めたのも、それが理由だった。

 

川島 慶三 選手

特別な1日になりました。やっぱり僕自身のためではなくて家族、特に、おふくろのためというのは、正直ありました。

 

中継映像では、家族などに手を振る川島に応える母・多惠子さんの姿が映し出されていた。実にうれしそうだった。

 

試合後、多惠子さんからは「よかったね」とことばをかけられたという。プロ16年目、レギュラーシーズンで初めてのサヨナラヒットは、この上ない「親孝行」だった。

母親の存在

幼少期の川島選手と母・多惠子さん

 

川島は、長崎県佐世保市に生まれ、3人兄弟の末っ子として育てられた。幼少期はおとなしかったという。

川島 慶三 選手

今では考えられないくらい人見知り。でも負けん気は強くて。勝負事は絶対勝ちたいという少年だった。

 

大学時代からは親元を離れての生活を始めたが、母には世話を焼かせていたという。

川島 慶三 選手

『お金使い込んだから振り込んで~』とか『食材を送ってくれ~』とか迷惑をかけた。母は『勝手に育っていったよ、あんた達は』と言っていたが、自分の洋服は買わない。自分の時間は使わない。本当に僕ら兄弟のためにという女性だった。

鳴った1本の電話

サヨナラヒットから1か月余り経った5月7日。本拠地での試合前練習に、川島の姿がなかった。「ケガではなく私用」との情報が入ったその頃、川島は佐世保市の実家にいた。

川島 慶三 選手

実は母の体調がよくなかった。去年から休みは毎回、長崎に帰っていた。

 

母・多惠子さんと川島選手

 

6日、チームの活動は休みだったため、川島はいつものように実家に帰っていた。母の様子を見たあと、翌7日が試合のため、佐世保駅から福岡に戻る電車に乗った。その時、1本の電話が鳴った。

川島 慶三 選手

『(母の)体調が悪くなった』と。ものの30分しか経っていないのに。そこから意識が無くなった。

『絶対に帰れ』先輩の言葉

川島は、一度福岡に戻ったが、ある先輩に電話をかけたという。

川島 慶三 選手

(ヤクルト時代の先輩の)相川亮二さんに電話をかけた。その時『慶三、お前は絶対に帰ってやれ』と言われた。

 

 

2013年 ヤクルト時代の相川亮二選手

 

現役時代、練習中に母を亡くしたという相川。その瞬間に立ち会えなかったことを後悔していた相川の姿を、川島は覚えていた。先輩の一言に背中を押された川島は、すぐに監督とヘッドコーチに電話をかけた。

 

「行ってやりな」

 

実家へと再び帰ったのは7日の朝だった。意識のない多惠子さんに、川島は声をかけ続けた。

川島 慶三 選手

7日も反応はあったので、本人はたぶん聞こえていた。でも話すことはできず、目もあけるけど見えない状況。ずっと、話しかけはしたが、返ってくることはなかった。それでも手を頑張って動かしていた。強いおふくろだった、そういう中でも反応しようとしてくれたから。

 

2日後の5月9日、多惠子さんはすい臓がんで息を引き取った。65歳だった。

 

川島 慶三 選手

僕が一番思うのは周りの人たち、例えば先に親を亡くされた選手が『おふくろが健在の時からちゃんとやっていてくれ』とか『親が亡くなってからでは何もできないから』と言ってくれた。それに本当に感謝している。

自分の役割で貢献

多惠子さんが亡くなったその日、球団からは川島のコメントが発表された。

 

「母をみとるためにチームを離れることを快く許してくださった監督・コーチの皆さんには感謝しています。やはり母を亡くすのは寂しいです。でも、これからも天国で見守ってくれる母に喜んでもらえるよう、チームに貢献し続けたいと思います」

 

 

 

「チームに貢献し続けたい」

 

ベンチでの声出しや後輩への声かけも欠かさず、時には首脳陣にも意見を言う。「ベテランだからできること」でチームを支える川島は、これからもその役割を全うし続ける。

川島 慶三 選手

野球選手、特に野手はストレスが溜まりやすい職業。10回中3回打てばいいという世界なので、7回はストレスがたまるだけ。そういうメンタル面でのフォローとか、首脳陣には『もう少し選手に声を掛けてあげてください』とか『こういう選手なんですよ、あいつは』という話をする。チーム全体を見るのが自分の役目だと思っている。

野球を“楽しむ”

5月9日 西武戦に勝利 ハイタッチを交わすソフトバンクの選手たち


多惠子さんが亡くなった9日、チームは西武に3対1で勝った。この日、試合で使った球は、多惠子さんのもとに届けられたという。

川島 慶三 選手

9日が母の日で、試合球をマッチ(=松田宣浩選手)とかが『慶三のお母さんに添えてあげて』と言ってくれて、チームの関係者が持ってきてくれた。いいチームメートだなと。

 

そんなチームメートとともに目指す2年連続のリーグ優勝、そして5年連続日本一。

 

川島はインタビューの中で「本当に優勝したい。優勝できるようにチームが勝てるようなプレーをしたい」と意気込んだ。そして、「野球を楽しむ」と誓った。

 

川島 慶三 選手

(母は)自分が野球しているところを見て『きょうも楽しそうにやってるね』って、いつも言っていたので。そういう姿を、ただ見せ続けたい。

 

この記事を書いた人

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福原 健 記者

平成30年NHK入局。ソフトバンク担当2年目。

スマートフォンの野球ゲームでも終盤はモイネロ投手に頼っています。

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