特集 浅田真央インタビュー ~私の「幸せの場所」~

フィギュアスケーター、浅田真央さん。いま、各地のリンクで、自らプロデュースしたアイスショーを披露しています。
去年4月に引退を発表。自分はこれから何をしたいのか。新たな思いを胸に、再びリンクに立った浅田真央さん。その思いを語ります。
浅田真央サンクスツアー
私たちが真央さんを訪ねたのは10月半ば。今年、春から全国各地で開催しているアイスショーの会場です。その名も「浅田真央サンクスツアー」。
自ら選んだ9人のメンバーとともに、北海道から九州まで11箇所を回ります。ショーの演出を手がける真央さん。会場づくりにも、特別な思いを込めています。
──先日、郡山の公演のとき、初めて来た子供なんでしょうね。リンクに入って「近い」って言ってましたよ。
真央さん
そうですね。やっぱり、試合とは全く違いますよね。ここが大体フェンスで普通のリンクのフェンスなんですけど、その中にも席を作っていますので、試合以上に近くで見れるんじゃないかなと思います。
あとはやはり会場がそんなに大きくないので、2階席のお客さまも近くで見ることができますよね。
──いろんな地域に行って、アイスショーをしようと思ったのはどういう思いからですか?
真央さん
できるだけ私自身が近くに、皆さんの近くに行ってアイスショーすることで、スケートの良さも知っていただけるかなと言う思いもあります。
また、今まで行ったことのない県に行って私たち自身が間近で滑って、見ていただきたいと言う思いが詰まっています。
スケートには"さよならをしようと思っていた"
フィギュア GPシリーズ NHK杯 (2006年)
名古屋市で生まれた真央さん。伊藤みどりさんにあこがれ、5歳でスケートを始めました。
16歳の時、初めて出場したNHK杯で優勝。一躍、日本中の注目を集めるようになりました。
バンクーバー五輪 (2010年)
メダルの期待を一身にうけて臨んだ、初めてのオリンピック。トリプルアクセルを3回成功させ、銀メダル。次こそはと迎えた、4年後のソチオリンピックでは日本中に感動を与えました。
引退会見 (2017年)
──去年の4月、引退を表明しました。あの時はフィギュアスケートに対してはどんな思いだったんですか?
真央さん
引退発表した時は、私は、8月のアイスショーが終わったらもうそれでスケートにはさよならをしようって思っていた時だったので、この浅田真央サンクスツアーが始まるなんても思っていなかったです。
──もう1つ区切りをつけようって思いだったんですね。
真央さん
そうですね。たぶん、それだけフィギュアスケートが嫌いになっていたのかもしれません。
自分にはスケートしかない
引退後、真央さんはおよそ20年ぶりにスケートのない生活を送ります。
1人で海外旅行に出かけたり、料理教室に通ったり、これまで出来なかったことに取り組む日々でした。新たな生き方を模索する中、真央さんの心に、ある葛藤が生まれてきたといいます。
真央さん
スケートに対しても、すごい失礼なことをしてしまっていたなと言うふうにも思いました。
──失礼なこととは?
真央さん
5歳からスケートを始めて、たくさんスケートにお世話になって、育ててもらったフィギアスケートを、そんな簡単にさよならして、いいのかなと思っていました。
ホノルルマラソンに参加した真央さん (2017年)
──その後の心の動きと言うんですかね、もう一度このリンクへと言う思いは、何かきっかけがあったんですか?
真央さん
そうですね。9月の自分の誕生日を過ぎてから、なぜか27歳になったときに、すっと気持ちが前に向かっていきましたね。
それから、マラソンの挑戦の話を頂いたときに、自分の気持ちの中でストップしていたものが、自然にマラソンの練習を始めるようになって、少しずつ気持ちが前に行くようになってって言う感じで、自然に自分の気持ちが開けてきました。
──開けてきて、やはりもう一度フィギアスケート、リンクへって言う思いですか?
真央さん
はい。それはやっぱり引退発表してから、自分が何がやりたいのかな、何ができるのかなっていろんなものを、見たり感じたり考えたりしてきたんですけども。
結局は、最終的に自分にはスケートしかないって思いましたし、やっぱり自分が今できることっていうのは、スケートを滑って全国のみなさんに感謝の滑りを届けること、それがしたいと思ったのでこのショーが始まりました。
「私滑りきれるかな」って初めて不安になった
再びリンクに立った真央さん。アイスショーの演目は17曲。真央さんはそのうちの10曲、およそ40分を滑ります。
選手時代は長くても4分。経験したことのない疲れが襲ったといいます。
真央さん
体力はもう、ギリギリのところですね。途中から初めて、私「滑りきれるかな」って不安になりました。
それぐらい、やっぱり呼吸とか体の疲れ具合っていうのは、初めての感覚でした。
──どうやって乗り切ったんですか?
真央さん
気合いで乗り切りました。
──終わったときはもう、感情爆発したんじゃないですか?
真央
いやーもう倒れました。終わったー!って思って。
──実際に今、練習したりする中で、1人で移動したりとか、電車に乗ったりするということもあるんですか?
真央さん
そうですね、はい。
──すぐわかったりしませんか?
真央さん
大丈夫なんです。私、結構、朝の練習が早いので。始発とかで乗っていくのでそんなに人がいない時間で、大丈夫です。
──それだけ早くから練習したりしている?
真央さん
そうですね。選手ではなくなったので、普通のアイススケートリンクで貸切をとって滑るという形になるので、なかなかやはり昼間の良い時間は取ることができないですね。
──選手の時代と、それから今と、例えばルーティーンですとかスケート靴を履く順番とか、そのあたりどうですか?
真央さん
ありますね、やっぱり。私、必ず左足から靴を履いて、左足からリンクに下りる、そして本番前は、必ず米を食べる。それはもう欠かさないです。おにぎり3つ食べてから本番に向かいます。
──おにぎりは1つくらいだと思ってました。
真央さん
3つ食べます。
──そんなに食べてジャンプを跳べますか?
真央さん
跳べます。それに納豆とかプラスして。3つ食べて、ちょっとお腹に溜まったなと言うくらいじゃないと、最後のほうになるとお腹が空いてきちゃって。
──選手時代よりも、すごく、いろんなことを話してくれるようになりましたね。
真央さん
そうですか(笑)なんでだろう。
「1人でスケートをしているんじゃないんだな」
スケーターは全部で10人。多くは、アイスショーへの出演経験がありませんでした。自らの練習の傍らで、真央さんはメンバーへの指導を重ねてきました。
仲間と共に舞台を作り上げる中で、真央さんは、選手時代とは違った充実感を得るようになっていきました。
真央さん
選手の時ってすごく、生活もそうですけどリンクの上でもそうですけど、なんか1人で頑張ってるって言う感じが自分でもあったんですね。もちろん応援してくださる方もたくさんいたんですけれども。
でも、このサンクスツアーを始めてからは、スケーターの仲間がいて、お客さんが来てくださってできるアイスショーなので、何か1人でスケートをしているんじゃないんだなと言う感じになりました。
──やっぱり仲間がいると言うのは全然違いますか?
真央さん
全然違います。なんかすごい、頑張れますし、すごく温かい空間になります。
選手時代よりも表現の幅が広がった
アイスショー当日。会場は満席。およそ2千人の観客が見つめます。
真央さん「相模原公演2日目、1公演目、集中して頑張りましょう」。
全員「よし!」
真央さん「お願いします」。
プログラムは、真央さんがこれまで大会やアイスショーで披露してきたもの。ツアー用にアレンジして構成されています。
自由に演出できるアイスショーでは、選手時代よりも、表現の幅が広がるようになったといいます。
真央さん
そうですね。選手のときは本当に、決められたルールの中で、縛られたスケートだったんですけど、今はルールもなければ縛りもないので。
自分のやりたいように衣装だってロングの衣装着てもいいですし、小道具使っても良いですし、本当に自由なスケートになったと思います。
ショーのクライマックス。この曲(ラフマニノフ)は、ソチ五輪の時の衣装でステップを刻みます。
真央さん
スケート人生の中で、特にラフマニノフのソチ五輪の演技と言うのは自分の中でも強い思いがありましたし、思い出に残っているので、もちろん1度は皆さんテレビで見たことがあるプログラムだと思うので、それを是非生で見ていただきたいなと言う思いもこもっています。
本当にたくさんのお客様が来てくださって、まだ引退しても私の滑りを見たいんだって、思ってくださる方がたくさんいらっしゃるので。
なので私も、選手の頃と同じ位のレベルで臨みたいなと思っています。
アイスショーは幸せの場所
──このアイスショーの場というのは、真央さんにとってどんな場所ですか?
真央さん
いやーもう、幸せの場所ですね。何か…あの、今までに感じたことのない幸せの空気が、その会場その会場ですごくあふれているのを、私自身も感じます。
お客様が来てくださって、最高の舞台が整って滑れる幸せ。お客様が拍手や声援を送って下さって、その中で滑れる幸せが、私たちの中にはあふれています。
それと同時に、多分お客様にも私たちの感謝の思いだったり、全力の滑りっていうのが伝わって、最後はお客様も皆さん笑顔になって下さっているので、そこでなんかもう、みんなが1つに、幸せ、喜びの感情がバーっとあふれているので、本当に私は大好きな空間になりますね。
フィギュアスケーターとして、数々のドラマを生み出してきた、浅田真央さん。今、スケートとの「新しい向き合い方」を見出しています。
──浅田さんにとって、選手のときのフィギュアスケートと、今、向き合っているフィギュアスケートってどうですか?
真央さん
どちらも、良いものだと思います。選手は選手で、すごいプレッシャーの中、すごい、生活も縛られている中で、なんと言うんですかね、同じフィギュアスケートでもやっぱり全く違うなと思います。
選手の時はすごい重みを自分で持ちながら滑っていたので、それはそれで、できた時の喜び、そしてやっぱり最高の演技、そして金メダルと言う最高のものがいただけたときの喜びと言うのは、やっぱり選手でしか味わえないと思います。
でも、それだけではなくて、引退をして、こうしてプロとして滑っていく中で、引退したときに、選手以上の達成感や喜びって味わえないのかなと思っていたんです。けれども、そうではなくて、引退してからこのサンクスツアーを始めてから、本当にすごい幸せをたくさんいただいています。
すごい幸せだなと感じている
──5月から始まって、今年だけでも10カ所以上回っていきますけれども、どこまで続くのでしょう?
真央さん
まだまだ来年も続きます。今回のもう1つのテーマが、全国を回るということが私たちの中で1つ願いとしてあって、できるだけ各地の皆さんに私たちの滑りを見てもらいたいと言う思いがあるので、まだまだサンクスツアーは続きます。
──じゃあ今のチームで今の仲間で、まだまだ旅が続いていきますかね。
真央さん
そうですね。
──今、フィギュアスケートについてはどんな思いで向き合っていますか?
真央さん
選手の時とは、思い方が違うかもしれないですね。今、こうして最高の舞台で幸せを感じて、フィギュアスケートというものと向き合っているので。「ありがとう」という思いが強いかもしれないです。
選手のときは、ありがとうと思ったことってそんなになかったと思います。常に、同じ生活で、いろんなことがあっても、機械的な生活をしていたんですけれど。
今は仲間がいて、自分の表現したいものが表現できて、そしてこういった素晴らしい舞台で滑らせていただけて、本当にフィギアスケートというものがあるから私がすごい幸せだなと感じているので、やっぱり感謝の気持ちがすごく強いかもしれません。
聞き手 船岡久嗣
名古屋放送局アナウンサー
制作 田中逸人
名古屋放送局アナウンサー