ストーリーサッカー

楢﨑正剛「守り続けるために」~インタビューここから~

2019-05-17 午後 0:00

 

2019年、日本を代表するサッカー選手がピッチを去りました。楢﨑正剛さん、43歳。ゴールキーパーとして活躍しました。2002年FIFAワールドカップ日韓大会では、数々のピンチを防ぎ、日本のワールドカップ初勝利に貢献しました。Jリーグ名古屋グランパスでも活躍。J1・631試合出場は、史上最多(当時)です。

ライバルとの激しい競争、ボールに食らいついた厳しい練習、自分が成長するために。「ゴールの前」に立ち続けた日々を聞きました。

 

ペナルティーエリアは自分の『おうち』

楢﨑さんが20年練習を重ねた、名古屋グランパスの練習場を訪ねました。

 

 

──このグラウンドに立つとどんな日々を思い出しますか?

楢﨑正剛さん

いっぱい倒れて起きて、倒れて起きて、やってたなって思います。

 

 

──ゴール前に立つと本当に大きく見えますね?

楢﨑正剛さん

俺がですか?ゴールがじゃなくて?ゴールがでかく見えるとキーパーがしょぼいって思われるんで。

 

──大きく見せようっていう気持ちはあるんですか?

楢﨑正剛さん

大きく見せた方がいいと思います。だから体は大きい方がいい。すべては存在感です。

 

──ありますもん、存在感。

楢﨑正剛さん

存在感は出していかないとね、負けますから。

 

 

──このペナルティーエリアの中という場所は、楢﨑さんにとってどんな場所ですか?

楢﨑正剛さん

ペナルティーエリアはそうですね、自分の『おうち』だと思ってますよ。ゴールキーパー以外の選手がちょっと入ってきたりとか見に来るくらいだったらいいけど、邪魔しにくるようなやつがいたら追い返しますからね。

それぐらい自分の仕事、仕事場。みんなそうだと思いますけど、それぐらい誇りを持ってやってました。

『やってみないか』と言われキーパーに

楢﨑さん (後列左5番目)

 

徳島県で生まれた楢﨑さん。小学4年生の時、奈良県に引っ越したのを機にサッカーを始めます。

──最初に始められてからいきなりゴールキーパーだったんですか?

楢﨑正剛さん

最初は別にポジションとか決める前に、体も大きかったし、『やってみないか』と言われてキーパーを始めたんですけど。

でも小学校の時はいろいろやっていました。キーパーだけじゃなくて。

 

 

──どこのポジションでも活躍されていたということですか?

楢﨑正剛さん

うーん、自慢になっちゃいますけど、そうですね。

体が大きいというのは、小学校時代には今の子たち見てても目立つというか、なんでも体格差で結構色々やれてしまうところもあって、というのもあったかもしれないですけどね。何でもできる感じで一応いましたよ。その頃は。

原点は高校3年の夏

 

高校卒業後、Jリーグ入り。プロとしてサッカーに向き合い続けてきました。プロ24年で、J1最多(当時)となる631試合に出場。無失点161試合も最多です。

 

 

輝かしいキャリアの原点となったのが、高校3年の夏。忘れられない苦い記憶があります。富山県で行われた全国高校総体2回戦。相手のミドルシュートをキャッチミス。チームは敗れてしまいます。

 

楢﨑正剛さん

自分のプレーで敗退してしまう。初めてそういう経験をした。ゴールキーパーのワンプレーがやっぱり勝負を分けるというか。もちろんそんなのわかってたんだけど、もちろん悔しいし、それで負けてしまうということでやっちゃいけないなとは思うんですけど、ゴールキーパーってこういう影響があるんだとか、すごい思い知らされた。

怖さも同時に学んだっていう、そんな試合でした。結局は次が大事なんで。同じ事したら、ダメだと思う。だからそれを起こさないように何をするかとか。リアクションしていくことが結局は大事だから。

 

 

──現役生活24年で、サッカーに対して考え方が変わったターニングポイントみたいなものってありました?

楢﨑正剛さん

ターニングポイントですか…。Jリーグに出るっていうこともそうなんですけど。代表に入って、普段テレビで見てた人たちばっかりのスターの中にぱんって入って、そういう人たちが命懸けて戦っているっていうの見て、華やかなところばかりイメージしてたのが、実際は命削って実は戦争してるような感じがすごい…その時はっとさせられたっていうのはあります。

もっとうまくならなきゃいけないとか、もっと戦わなきゃいけないとか、なんかそういう風に思ったっていうのはありますね。

W杯初勝利は "今まで感じたことない達成感"

W杯 日本対ロシア (2002年)

 

楢﨑さん、26歳。日本代表入りから5年余り。地元での開催となったワールドカップを迎えます。4試合全てでゴールを守り、ロシアを破ったワールドカップ初勝利にも貢献しました。

 

 

──ロシア戦での初勝利は思い出に残っていますか?

楢﨑正剛さん

自分たちが日本のサッカーの歴史を作っていくっていうそういう意気込みでみんな臨んで、もちろん1試合目は勝ちは逃したけど勝ち点取って、次は勝つぞという中で、しっかり守れて勝てたし。

その時のうれしさとか達成感的なこととかは今まで感じたことなかったし、今でもその時以上のこれから何か訪れるかといったら…もう訪れないんじゃないかと思いますけどね。

川口能活と争いあった"守護神の座"

日本代表としてゴールを守ったのは77試合。一方で、ベンチから見つめた試合は、100試合近くあります。

 

川口能活さん

 

立ちはだかったのが、1つ年上の川口能活さんです。およそ15年に渡り、代表の守護神の座を争いました。

 

 

奇しくも同じ年に現役を退いた2人。互いの引退セレモニーで、花束を贈り合いました。

 

 

──川口さんが『最強で最高のライバルだ』って言っていましたね?

楢﨑正剛さん

うれしいですね。僕は先を行くそういう先輩だと思っていたので、同じようなレベルで同じようにポジションを争ってっていう、そういうこと自体が光栄です。

 

 

──楢﨑さんにとって、どんな存在になっていったんですか?

楢﨑正剛さん

自分が同じというか、ユースの代表、アンダーの代表、なんとなくJリーグ入ったりとか、自分のたどっていく道がなんとなく能活と近づいてきているという感覚がちょっとずつ出てきて。自分がこの世代の代表選手になるとかワールドカップに出るとか目標を持つことになるにつれて、能活を越さないとそこには無理だという、だんだん目に見える一番良いお手本というか目標というか、何となくそういう存在。

だから僕はラッキーですよ。そういう指標があるから、それを追いついて追い越していけば一番自分が目指すものに届くんだと思って。

 

──自分の方がいけるんじゃないかとか、特別な思いはあったんですか?

楢﨑正剛さん

基本的には、自分の方がまだまだって思ってましたけど、試合じゃそんな気持ちじゃ無理だし、こういう世界なので自分が優れているところも、まぁ自己評価じゃ難しいけど、実際あったと思うから。そういうのをどういう風に生かすかというか、彼の良いところと自分の良いところもあるので。

それを前面に出せるかどうかと言うのは、いつも思ってましたけどね。でもどうですかね…忘れました。大事なところは忘れる(笑)。

 

 

──“追いついたな”と思った瞬間はありました?

楢﨑正剛さん

いや、追いついたなというのはないです。試合に出たり出なかったりで、出ているときは自分が一番だと思ってやりますけど、なんですかね、なかなか自分に自信を持てないというか。

 

──そこに勝っていくためにしていた事というのは、どういうことなんですか?

楢﨑正剛さん

勝っていこうと思ってやっているわけじゃないけど、すべては自分がうまくなるっていうことが一番で、そうなれば試合も出られるだろうし、代表も選ばれて、代表にも出られる、すべてはそこです。

練習して自分が一番うまくなるっていうか、今の自分よりさらに良くしてという作業しかなかったんで。

 

「今の自分よりさらに良くなる」。楢﨑さんが貫き続けた、『信念』です。

 

努力の大切さを次の世代に

 

日々、成長する。その努力の大切さを、次の世代に伝えたい。楢﨑さんは、この春、子どもたちの育成に取り組み始めました。一日一日、真剣にサッカーに向き合うこと。楢﨑さんは、未来に向けて、「ゴールの前」に立ち続けます。

 

楢﨑正剛さん

終わってから振り返ろうと思うじゃないですか。で、実際終わって振り返ろうとしたときに、さっきから何回も言ってますけど忘れてるんです。忘れてしまってるんで、振り返れないです。でもまあ結局振り返ってもね。懐かしむぐらいしかないので。

生活もサッカーありきですべて注いで、練習や試合を、試合のために練習を多くたくさんして、それだけじゃなくてちゃんと考えて。もっと上を目指さなきゃいけないと言う気持ちをすごく植え付けてくれたというか、今の現状で満足するということがなくなったっていうか、それは今にも通じているんでけれど。

自分が経験したことを伝えなきゃいけないと思うから、昔起こったこととかを、忘れてる中でも覚えてるようなことを掘り下げて生かしていかなきゃなと思いますけどね。

 

田中秀樹(たなかひでき)

平成15年入局。山形局、福井局、札幌局を経て、現在は名古屋局勤務。
中学から大学までサッカー部。社会人でもプレーし、天皇杯に出場したのは密かな自慢です。

 

橋詰彩季(はしづめさき)

平成27年入局。山形局を経て、現在名古屋局。
サッカー好きな両親、兄のもとに生まれ、
毎年元日は国立競技場で天皇杯決勝観戦と決まっていました。

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!