特集 照ノ富士3回目の優勝「1日1日必死に前向きで頑張ってきた結果。本当によかった」

相撲というのはあまり狙い通りにはならないもの。できることを精一杯やるだけです。
優勝インタビューで照ノ富士は浮かれることなく、相撲の厳しさを語った。
千秋楽の相撲も「狙いどおり」ではなかった。突き押しの大関・貴景勝を組み止め、四つ相撲に持ち込むのが理想の展開だっただろう。しかし、押し込まれてまわしは引けず、土俵際まで追い込まれた。
大一番でのピンチに照ノ富士は落ち着いて「できること」をしたのだ。引かずにじっと我慢してチャンスをうかがい、相手が腕をたぐったのに乗じて一気に前に出て押し出した。
日本相撲協会の八角理事長が「よく焦らなかったね。冷静だった。逆に貴景勝が焦ってしまった」と評価したとおり、まさに「心」の差が表れた一番だった。
悲願の大関復帰と同時に、3回目となる賜杯をたぐり寄せ、今場所初めて少しだけ笑顔を見せた。
1日1日、必死に前向きで頑張ってきた結果が現れる日がくると思って信じてやってきた。本当によかった。
“横綱候補”と周囲が期待する大関だった照ノ富士。しかし、けがと病気で土俵人生が一転し序二段まで陥落した。通常なら諦めて引退しても不思議ではないケースだったが、どん底からみずからをはい上がらせたのは「元いた地位に戻りたい」という、強い思いだった。
兄弟子の元関脇・安美錦、安治川親方が「その日その日の限界まで追い込んでいた」と感心するほどに必死の稽古を重ね少しずつ番付を戻していった。
幕内に戻ってきた照ノ富士は恵まれた体格と持ち前の怪力に加えて相撲の緻密さ、そして何より、どんなに苦しい状況にあっても決して諦めない精神力を身につけていた。安治川親方は優勝という結果も当然だと受け止める。
「復帰してから毎日稽古場で見ているけれど、この結果は想像できたし、何も驚くことはなかった」
春場所の15日間の取材で印象的だった言葉がある。同じモンゴル出身の横綱・鶴竜が引退した11日目のことだ。
次の世代の自分たちが頑張らないといけないなという気持ちになりますね。
大相撲は今、大きな節目を迎えている。鶴竜が引退し、残る横綱の白鵬も休場が続いて、ことしの7月場所に進退をかける意向を示した。1つの時代が終わろうとしている中、照ノ富士の言葉には「次の世代」を背負う内に秘めた覚悟を感じたのだ。
大関に復帰しても、そのあとに続く道は楽なものではないだろう。ひざは完治しておらず、「常に痛みがある」という状態が続いている。ただ、照ノ富士は土俵の厳しさを誰よりも知っている。
ひと場所、ひと場所、精いっぱい頑張れば、次につながると思っている。
一歩ずつ、着実に、「できること」だけをやり続けてきたこの男こそが、「次の世代の横綱」という地位をつかむのかもしれない。
この記事を書いた人

清水 瑶平 記者
平成20年 NHK入局。熊本局、社会部などを経て、平成28年からスポーツニュース部で格闘技を担当。学生時代はボクシングに打ち込む。