NHK sports

特集 「大相撲の懸賞金っていったいいくらなの?」

相撲 2019年7月15日(月) 午後0:00

大相撲の幕内の取組に懸けられる懸賞金。横綱、大関や人気力士が片手で持てないくらいの懸賞袋を受け取り意気揚々と引き揚げる姿を大相撲中継でご覧になった方も多いのではないでしょうか。

懸賞金の額は改定され、令和元年の秋場所より新しい懸賞額が適用されています。この懸賞金について、詳しく見てみましょう。

熱戦の取組前に土俵を一回りする懸賞旗

土俵を一周する懸賞旗には商品名や企業名が書かれる

幕内の取組前に土俵を一回りするのが、懸賞を懸けた企業や商品名が書かれた懸賞旗です。旗の大きさは横が70センチ、縦が120センチと決まっていて、旗の上の部分には木の棒をつけて、下の部分には金色のモールをつけるなど細かい点まで決まっています。


懸賞を懸ける企業が旗を作って日本相撲協会に持ち込むことが決まりです。懸賞旗が呼出しの手で土俵を回るときに、会場には企業や商品の名前がアナウンスされます。アナウンスの原稿は、懸ける企業が15字以内で作って提出します。ひとつのアナウンスだけが長くならないよう、公平に扱われているのです。

実際に力士が受け取る懸賞金は1本3万円

これまでの懸賞は1本6万2000円でした。このうち日本相撲協会が事務経費として5300円を取り、力士の所得税にあてるため預かる金が2万6700円です。力士が実際に土俵の上で受け取る金は、懸賞1本につき3万円となります。

令和元年の秋場所から懸賞は1本7万円に改定されました。力士が受け取る金額は3万円で変わりませんが、手数料など事務経費が1万円、預かる金が3万円に増えました。

 

勝ち名乗りを受けて懸賞金を受け取る貴景勝

勝ち名乗りを受けて懸賞の祝儀袋を受け取るときには、左、右、中央と手刀を切ってから受け取る習わしです。以前は決まりがなかったのを、元横綱双葉山の時津風理事長のときに統一しました。朝青龍が左手で手刀を切って祝儀袋を受け取り、問題になったこともありました。

懸賞は昭和24年から始まった

取組表に載る懸賞は横綱や大関、人気力士に集中する

懸賞は昭和24年の1月から始まりました。当時は春場所、夏場所、秋場所の年3場所の時代でした。その後28年から初場所、春場所、夏場所、秋場所の年4場所になり、32年から九州場所が加わり年5場所、33年から名古屋場所が加わり年6場所制のいまの形になりました。


場所が増えるにつれて懸賞の数も増えて、24年1月に55本だった懸賞が、35年1月には約10倍の532本まで増えました。令和最初の本場所の夏場所15日間の懸賞の総数は1939本でした。

年間の懸賞金の最多は白鵬の6330万円!

 

これまでの年間の懸賞獲得本数で見ると、平成22年の白鵬が2111本で史上1位、2位も24年の白鵬で1990本、3位も26年の白鵬で1932本です。ベストテンまで見ても17年の朝青龍が1525本で7位に入っただけで、あとはすべて白鵬でした。

優勝42回、通算勝星1120勝(夏場所終了時)の史上1位の大記録を達成した白鵬だからの記録でしょうか。22年に白鵬が実際に手にした懸賞金の総額は1本3万円の手取りで計算してみますと6330万円という金額になります。

懸賞を懸けた取組がなくなった場合は?

休場で取組がなくなると懸賞は変更や取りやめになる

取組が力士の休場でなくなった場合は懸賞を懸けた人が別の取組に変更したり、懸賞自体を取りやめたりします。令和元年の初場所で、白鵬が11日目から休場したときは、その日の白鵬と豪栄道戦には45本の懸賞が懸かっていました。


不戦勝の豪栄道はもちろん懸賞はもらえず、取組を変更した懸賞が30本、取りやめた懸賞が15本でした。

この記事を書いた人

北出 幸一

北出 幸一

相撲雑誌「NHK G-Media大相撲中継」編集長。元NHK記者。昭和の時代に横綱千代の富士、北勝海、大乃国らを取材し、NHKを定年退職後に相撲雑誌編集長となる。

関連キーワード

関連特集記事