ストーリーその他のスポーツ

プロレスラー 棚橋弘至「まだまだカウント2.9なので」~インタビューここから~

2019-08-02 午後 0:00

プロレスが今、空前のブームを迎えています。首都圏の興行を中心にチケットは入手困難なほど。ファン層は昔と比べて大きく広がり、会場のおよそ4割を女性が占めています。

このブームの原動力となったのが、棚橋弘至選手です。新日本プロレスのエースとして活躍。5万人以上が参加したという雑誌の人気投票企画では、今年、国内を中心としたプロレスラーの1位に輝きました。さらに、映画でも主演を務めるなど、様々なジャンルで活躍しています。しかし、そのプロレス人生は、順風満帆とはいえないものでした。何度も逆境から立ち上がり続ける棚橋弘至選手の姿に迫りました。

プロレス入門前から"逆境"に

 

棚橋選手は新日本プロレスの道場からのびるこの道で、入門前から逆境に立たされました。

 

 

──ここで入門テストを受けたということですね。

棚橋弘至選手

そうですね。2回落ちました。

 

 

──棚橋選手でも落ちるほどのテストなんですか?

棚橋弘至選手

スクワット500回はなんとかできたんですけど、次の種目の腕立て伏せで脱水症状になって、潰れてしまって。

なんとか駅の方に歩いていったんですけど、あそこの角から見えなくなるまでは、誰が見てるか分からないので、自力で歩いていこうと思って。曲がった所に自販機があったんですけど、そこで倒れて。スポーツドリンクを一気に3本飲んで、全部吐いてしまいました。

 

 

──その時の帰る時の気持ちは、どんな気持ちだったのですか。

棚橋弘至選手

情けない気持ちでしたね。この時は自分の体調不良で受からなかったので、悔しかったですね。

自分に自信を持ちたかった

棚橋選手がプロレスラーに憧れたのは高校生のときでした。

 

 

──強い男になりたかったんですか?

棚橋弘至選手

僕はちょっと違っていて、プロレスラー=強いということは思っていたんですけど、自分に自信を持ちたかったんですよ。小中高と野球をやっていて、好きだったんですけど、うまくなかった。毎試合エラーとかしたりして。だから、自分に自信がないというか。

そんなときに、たまたまテレビでプロレスを見て、プロレスラーを好きになったんです。いろいろ調べたら年間100試合もやっていて。それもあちこち回って、毎日試合をしていることにすっごくびっくりして。僕もプロレスラーになったら、自分にもっと自信を持てるんじゃないかって。

 

 

立命館大学に進学するとプロレス同好会に所属。地道な筋トレを積み重ねて、65キロだった体重を90キロにまで増やしました。3度目のテストでようやく入門が許され、鍛え上げた身体を武器にデビュー。

将来を期待されていましたが、そのころ、総合格闘技の台頭などで、プロレス人気に陰りが見え始めていました。

 

蝶野正洋選手 橋本真也選手 武藤敬司選手 (左から)

棚橋弘至選手

僕が入門した時は、闘魂三銃士と言われる、橋本さん、蝶野さん、武藤さんがいらっしゃって、どの地方会場もすごく満員で、『ウオオオオ、俺は新日本プロレス入ったぞ。このまま練習を頑張っていればスターになれる』って思ってやっていましたね。

それがあれよ、あれよという間にスター選手が抜けて、他の競合するジャンルもグーンと伸びてきて、逆に新日本プロレスの観客がグッと減ってきて。このままじゃ、スターになれないんじゃないかなって思いましたね。

周りを見回した時に"自分しかいなかった"

20代でチャンピオンになった棚橋選手は、髪をのばし茶髪にしたスタイルでプロレスのイメージを変えようとしましたが、これまでのファンから浴びたのはブーイングでした。

 

棚橋弘至選手

よくヒールレスラーがもらうブーイング。あえてブーイングを、ファンの人も分かっていてやるブーイングってあるじゃないですか。そうじゃなくて、『ああ俺もう棚橋は無理』っていうような、生理的な嫌いというか、リアルブーイングだったんですね。

それをわざわざ誰かが教えてくれるんですよ。『今日、棚橋無理って言ってた男の子もいたよ』ってね。言わなきゃいいのにね(笑)。

 

 

──けっこうグサッと刺さりました?

棚橋弘至選手

グサッと刺さりました。人にけなされたり、悪口を言われたり、ブーイングをもらったりするっていう経験がそれまでなかったので。

戸惑うというか、どうしていいか分からなかったんですね。免疫がなくて。

 

──今いるファンの方に気に入られるようなプロレスをする事もできたかもしれないですよね。迎合するというか。そうはしなかったんですね。

棚橋弘至選手

はい。信念がありました。ビジネスが下がっているじゃないですか。

同じことをやっていたら下がる一方なんですよ。どこかで変えないといけない。そこで周りを見回した時に、自分しかいないと。

 

 

少しでも観客を増やそうと、地方のコミュニティFMや小さなイベントにも顔を出して、プロレスを見に来て欲しいと訴えました。


──相手の方もプロレスは知らないけれども、ちょっと頼まれたみたいな、そんな仕事もたくさん受けてこられたわけですよね?

棚橋弘至選手

そうですね。ただ、やっぱり、最初は反応が良くなかったので、プロレスの話をほとんどしなかったですね。

 

 

──どんな話を?

棚橋弘至選手

棚橋弘至について延々と話し続けるとか。『趣味はこんなんで』とか『この筋肉はね、こう鍛えるんですよ』とか。

何やってる人だろう?って興味を持ってもらったベストのタイミングで、最後の方に、実はプロレスの興行があって、今度試合があるんですという話をするというか。

プロレスの復活の“のろし”を上げた試合とは?

チャンピオンが自ら売り込んでもなかなか人気が回復しないなかで、2007年の両国国技館でのタイトルマッチで転機が訪れます。

 

棚橋弘至 vs. 後藤洋央紀 両国国技館 (2007年11月11日)

棚橋弘至選手

この試合、実際の観客が、約1万人入る会場で観客が2200人だったんですよ。当時、僕がチャンピオンだったので、すごく責任を感じて悔しかったんですけど。

その時に、海野レフェリーが『こういう厳しいときこそ、全力で試合して盛り上げよう』と。『あ、そんなにいい試合だったら見に行けばよかったと、ファンに思ってもらえるような試合をしようぜ』って言われて、そうだなと思ったんです。

 

棚橋弘至選手

その試合がね、はねたんですよ。すっごく盛り上がって、2200人しかいなかったんですけど、1万人クラスの歓声がうわ~って来て。

僕はその2007年の11月11日のあの日の試合が、新日本プロレスの復活ののろしを上げた試合だと思ってます。

 

──その時の闘っている時の気持ちっていうのは、どんな感じだったんですか?

棚橋弘至選手

その時、ブーイングの時期の真っただ中でもあったんですけど、あの試合で棚橋がブーイングをもらえばもらうほど、相手に声援が行くっていう感覚をつかんだんですよ。

プロレスっていうのは不思議なもので、声援もブーイングも1人ではもらえないんです。誰かと闘うからこっちに声援を送る。こっちが好きだから相手にブーイングを送る。だから声援もブーイングも、対戦相手と2人で勝ち取るというイメージですかね。

プロレス人気のV字回復が始まる

プロレスはまだまだ面白くできる。全力で闘うチャンピオンがさらに動きました。

 

棚橋弘至選手

とにかく、人の心に残らないとダメなんですよ。例えばマイクアピールにしても、ふだんの雑誌の取材にしても、試合中の姿でも。スルーされてしまったら、何の記憶も残らないので。

例えば特撮アニメが好きだったら、そのセリフを引用して、そのファン層に響かせるとか。僕だったらリング上の最後のアピールでエアギターをする。プロレスとエアギターって全くつながらないじゃないですか。そのミスマッチ感で、レスラーの名前とか技の名前とか何も知らなくても、『今日プロレスを見て、試合に勝ったらエアギターを弾いてる変なレスラーがいたよ』という記憶に残る。そういう作業をずっと少しずつ繰り返していました。

僕は、他のレスラーを鼓舞して大号令を上げて頑張っていこうぜっていう、リーダーシップを発揮するタイプでもないんです。じゃあ何をするかっていったら、人よりも練習する、人よりも心に残る試合をする、人よりもプロモーションする、誰よりもSNSで宣伝するという、他のレスラーができない事を全部1人でやる。だけど、疲れない、弱音を吐かないっていう背中を見せることが僕のやり方だったんです。

 

棚橋弘至 vs.中邑真輔 東京ドーム (2014年1月4日)

 

2012年、親会社が変わったことをきっかけに、プロレス人気のV字回復が始まります。そして、2014年、東京ドームを埋めた観客を前に、棚橋選手はこう語りました。「プロレスを信じてやってきて良かった」。

棚橋弘至選手

東京ドームという新日本プロレスの年間最大の大会で、会場も大きいし、年始という日程もあって一番苦しんでたんですね。でも、その2014年ぐらいから少しずつ盛り返してきて、試合に勝ってコーナーポストから客席をバッと見た時に、喜んでくれてるファンの姿だとか、うわ~ってなってるお客さんを見て感動してしまったんです。

ブーイングの時代もあったし、お客さんが入らない時代もあった、プロモーションでほとんど寝ずに生活していた時期もあった。そんな努力がね、少し報われたっていうか、やって来てよかったなと思って。『プロレスを信じて、やってきて良かったです』っていう言葉がそのとき出たんですね。

 

 

──逆境から抜け出すために、棚橋さんが大事にしてる事って何だと思いますか?

棚橋弘至選手

そうですね。大きい目標を成し遂げることも、もちろん大事なんですけれども、日々の生活の中で充実感だとか、小さな幸せを感じることがすごく大事なんじゃないかなと思うんですね。

僕が気をつけて生活していることは、日々の生活を修行の場にすること。例えば人との出会いであったりとか、誰かと挨拶して話したり、ちょっとしたことでもいいんですけど、そこに必ず学びがあるんです。そういう日々の生活、日常の生活を修行の場にできたら、そこで成長できて進化できるわけですよ。その積み重ねをしてきた人と、何となく1週間過ごしてしまった人では、絶対に大きな差が出てくると思うんです。『何にもやってません、逆転します』ということはありえないので。日々の積み重ねがあってこその逆転だし、日々の積み重ねがあるからこその変化。日々の積み重ねを周りの人が見ていてくれるからこその状況の変化っていうのが、きっとあると思います。

“他人の喜びを自分の喜びにできる人が一番強い”

棚橋弘至 vs. ジェイ・ホワイト 両国国技館 (今年6月5日)

 

棚橋選手は42歳になった今、新たな逆境に立たされています。今年4月の試合で左肘を負傷。その後、入院して手術し、試合に出場できない日々が続きました。

さらに2か月のブランクを経た6月の復帰戦でも敗れてしまいました。

 

 

──倒れても倒れても立ち上がり続けるということは、ご本人としてはどんな感じだったんでしょうか?

棚橋弘至選手

そうですね。プロレスという競技の一番の醍醐味はそこの部分だと思うんです。もちろん勝ってうれしい、負けて悔しいっていうのもあるんですけど、もう駄目だって思った時に立ち上がって、ファンや見てる人の想像を超えていくところにこの競技のカタルシスがあると思うので。そこにやっぱり見てる人もエネルギーを感じるんでしょうね。それが声援の熱量として自分にも伝わってくるので。そうして応援されたらもっと頑張るという、いい循環が生まれるというか。

他人の喜びを、自分の喜びにできると、無限のエネルギーが湧いてくるんです。喜んでもらえるから頑張ろうというのは、一番のモチベーションになると思います。人が喜ぶ姿をイメージする。そして、それを行動に移すということはあらゆるところで使えるんじゃないかと。人の喜びを自分の喜びにできる人が、一番強いと思います。

“まだまだカウント2.9なので”

 

棚橋選手は復帰戦で敗れてから2週間後、夏に行われる強豪選手との連戦に向けてトレーニングに励んでいました。

 

棚橋弘至選手

やっぱり一番いいときに比べると、そのときの半分より動けてないかなっていうイメージはありますね。

二頭筋が試合中の怪我で両方切れちゃったので、力こぶがちっちゃいんですよ。左右の力こぶの形が違う、アシンメトリ。おしゃれな二頭筋になっています(笑)。

 

 

──なかには『棚橋弘至の時代は、もう終わったんじゃないか』というファンもいますが、どうですか?

棚橋弘至選手

よく言われてますよ。オワコンって、“終わったコンテンツ”のことを“オワコン”っていうらしいですね(笑)。あれって残酷な言葉ですよね。オワコン。

でも、プロレスは、ギブアップしなければ、スリーカウントをとられなければ続いていきます。まだカウント2.9なので。まだまだ走り続けます。

 

池田耕一郎

平成12年入局。静岡局、沖縄局、札幌局、大阪局を経て、現在は東京アナウンス室勤務。趣味はトライアスロン。同世代で頑張る棚橋選手の姿に刺激を受けています。

関連キーワード

関連トピックス

最新トピックス

RANKING人気のトピックス

アクセス数の多いコンテンツをランキング形式でお届け!