ストーリーサッカー

SC相模原 J2へ挑む クラブ創設者・望月重良代表が語る!

2021-03-13 午後 07:00

2000年に行われた、サッカー・アジアカップ。サウジアラビアとの決勝でゴールを決め、トルシエ監督率いる日本代表を優勝に導いた選手は今、経営者としてJ2クラブを率いています。

元日本代表ミッドフィルダーの望月重良さん。J3から昇格し今シーズン初めてJ2を戦うSC相模原の代表取締役会長を務めています。設立から14年。クラブをゼロから立ち上げた望月さんはどんな思いでクラブを率いてきたのか。日本代表の元チームメイトで、望月さんを「シゲさん」と慕う中澤佑二さんが迫ります!

懐かしの先輩後輩対談

リモートで行われた望月さんと中澤さんの対談。本題に入る前に、まず二人は現役時代の思い出話で盛り上がりました。

 

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中澤 シゲさん!ご無沙汰してます。まずはSC相模原のJ2昇格、おめでとうございます。

 

望月 ありがとう。でも佑二、そもそもうちのチームのことを知ってるの(笑)?代表やJ1でバリバリやっていた名選手の佑二が、ある意味「草サッカー」からスタートしたクラブのことなんて。

中澤 もちろん知ってますよ!(手元に視線を落として)神奈川の…3部から上がってきたんですよね!

 

望月 ははは、資料見てるじゃん。でも佑二は中高生とのドリームマッチ(クラブ主催の親善試合イベント)に、声をかけたらすぐ来てくれるから、僕としては本当にありがたい存在だよ。

 

親善試合での中澤さんと望月さん(写真右上)

 

中澤 僕はその試合に合わせてトレーニングして、コンディション合わせてますから!

 

望月 佑二とは代表で一緒にやってたんだよな。佑二がスリーバックの右で、俺が右サイドのミッドフィルダー。やりづらかったこと今でも覚えている(笑)。というのは嘘で、やっぱり佑二は最終ラインで頼りになる選手だったね。

中澤 当時僕は代表に入りたてで、周りはテレビで見た選手ばっかり。緊張した事しか覚えてないですよ(笑)。(川口)能活さんにずっと怒られてましたけど、名波(浩)さんと中山(雅史)さんとシゲさんが声をかけてくれて、すごく励まされたことがいい思い出です。

では、今日は答えづらい質問(?)がたくさんあると思うんですけど、よろしくお願いします!

 

望月 いやいや佑二、厳しい質問はやめてくれよ(笑)。

 

中澤 代表として、スポンサーさん回りや役所回りもやってきていると思いますけど、“コツ”がもしあれば教えて欲しいです。僕も“営業トーク”が必要な時もあるので、生かしたいなと。

 

 

望月 佑二、「頭を下げること」だけだよ。現役時代に頭を1回も下げたことないような俺みたいな人間も、もう頭を下げ過ぎて“てっぺん”がはげてきたよ(笑)。

中澤 なるほど!「頭のてっぺんを見せる」ですね。参考にします(笑)!

ゼロからクラブを作るチャレンジ

高校サッカーの名門・清水商業高校から筑波大に進み、名古屋でJリーガーとしてのキャリアをスタートさせた望月さん。攻撃的なミッドフィルダーとして日本代表でも活躍。神戸や市原などのクラブでプレーしました。

 

2000年のアジアカップ決勝でゴールを決めた望月さん

 

しかし、30歳ごろから原因不明の難病で左脚の痛みに悩まされるようになり、2007年に33歳で引退。その年には、SC相模原の立ち上げを決意しました。

 

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望月 左の股関節の痛みが何をしても取れなくてね。「これ以上やると日常生活に支障をきたすから引退しなさい」と、最後はドクターストップだった。悔いが残る現役生活だったけど、そこは自分のけじめとして、ドクターの言ったことを素直に受け止めて引退しました。それも運命だなと。

中澤 引退を決意して、次のプランはあったんですか?

 

望月 もともとセカンドキャリアのことは考えていて、なんとなく監督とかコーチとか現場の仕事を目指して行くんだろうなぁ、と思っていたんだよ。現役時代からコーチングライセンスをとる準備もしていたけど、ひょんな事から相模原にチームを作る「縁」ができてね。

 

中澤 監督やコーチじゃなくて「チームを作りたい」という気持ちになったのは何故なんですか?

 

 

望月 たまたま友人が相模原にいてね、その友人と相模原にある行きつけの飲食店に行った時、そこの大将から「地元を盛り上げるために、相模原にサッカーチームを作ってください」と言われたんだよ。最初は冗談半分かと思っていたんだけど、何日か経って改めて考えて、新しいチャレンジをする人生も面白いかなと感じたんだ。そこはインスピレーションだよね。もとの母体になるチームがあるわけでもなく、本当にゼロから相模原にJリーグのクラブを作る。誰もやったことのないことに、チャレンジしたいと思って決断したんだ。

勝つことの喜びは変わらず

2008年2月に産声を上げたSC相模原。望月さんは自分の貯金を崩して設立費用にあてました。まず所属したのは、J1から数えて上から9番目のカテゴリーにあたる神奈川県3部リーグ。チームの代表は望月さんが務め、知り合いの選手を集めましたが専用のグラウンドはなく、小学校の校庭で練習したといいます。

 

クラブ設立当時、望月さんはチームの監督も務めていた

 

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望月 今考えると、やっぱり最初の立ち上げの時は一番苦労したね。Jクラブならまだ信用とかの面で動きやすいこともあっただろうけど、何もない、誰も知らないところから選手を集めて、チーム名を決めて会社を作って、という状態からスタートしたからね。最初は神奈川県の3部リーグだったけど、試合に勝った時は現役時代と同じように嬉しかったことは、今でも覚えているよ。子どものころからサッカーの勝ち負けに自分の価値や評価を見出して、喜びや悲しみの感情・情熱を持ってやってきたからね。その感情は勝負の現場に携わっていないと感じないものだなと、すごく感じたよね。

 

 

中澤 その後、クラブの代表として経営に専念しなければいけない立場になって、こだわっていた現場を離れたと思いますが、そうした感情は変わりませんでしたか。

望月 JFL、J3とクラブが昇格していったら、当然役割分担として現場のことは監督に任せている。でも勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。その気持ちは全く変わらないね。

J2からさらに上へ

SC相模原は一段一段カテゴリーを上がっていき、2014年のシーズンからJ3に参入。そして、J3での7シーズン目となった2020年の最終戦でJ2昇格を決めました。ゼロから設立して14年でのJ2参入を成し遂げた今、望月さんが見据えているのはクラブの未来です。

 

 

今年2月、同じ相模原市で活動するラグビーやアメリカンフットボールのチームとともに、新しいスタジアムの建設を市に要望しました。さらに上を目指すには、Jリーグがクラブに求めるライセンス基準をクリアすることが必要。望月さんは、相模原全体を巻き込んでスタジアムと未来の街づくりを実現することを目指しています。

 

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中澤 J2でやっていくにあたっての課題と、逆に通用するところを教えてください。

 

望月 クラブ初のJ2参入なので1つの目標は残留だよね。下馬評では降格の第一候補だと思うので、サプライズを起こしたい。ある意味それは我々のアドバンテージでもあるからね。前評判を逆手に、相手に一泡吹かせたいね。

中澤 コロナで経営も難しいかじ取りが必要ですよね。その中でシゲさんが考える、J1に上がるためのプランもあるんでしょうか?

 

 

望月 中長期の視点でこのクラブはどうあるべきか、自分なりのビジョンはあるよ。シンプルにクラブを大きくすることは大事だと思う。例えば現役時代の佑二みたいに良い選手を獲得するには大きなお金が必要だよね。売り上げやクラブ規模を大きくしていかないとJ1には届かない。「相模原にJリーグクラブを」という目標でクラブを立ち上げて、今J2まで来た。ここからはJ1、そしてアジアに通用するようなクラブを作っていきたい。あと、やっぱり「100年続くクラブ」にしたいよね。地域の人たちにシンボルとして誇りを持ってもらえるようなクラブづくり。そして、ローカルからメジャーにしていくにはどうしたらいいか。ちょっとまだ言えないことなんだけど、いろいろ考えているので近々わかると思うよ!

 

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そして、このインタビューの10日後。

SC相模原は、プロ野球の横浜DeNAベイスターズを運営する株式会社ディー・エヌ・エーが、チームの株式の一部を取得し経営に参画すると発表。同じ神奈川のプロスポーツチームの強力な援軍を得て、J1昇格を目指す戦いが始まりました。

 

開幕からのホーム2連戦は1分け1敗。1日も早くJ2初勝利をつかむ日を、望月さんは心待ちにしているはずです。

 


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中澤 ちなみに…、シゲさん。J1優勝のためには、優秀な監督やコーチが必要だと思います。その候補に「中澤佑二」の名前は…?


望月 うーん、残念ながら全くないね(笑)。佑二にはタレントとして頑張ってもらう方が、「サッカーファミリー」としてもいいことだよ。その持ち味のキャラを生かして、全国にサッカーをアピールしてくれ!

 

中澤 わかりました…(笑)。お忙しい中お時間いただきありがとうございました!

 

サタデースポーツ/サンデースポーツ

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