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特集 「力士をやめたらどうなるの?」

相撲 2019年11月17日(日) 午後0:00

日本相撲協会に所属する力士は最高位の横綱から序ノ口まで600人以上います。年に6回の本場所が終わってから、毎回10人前後の力士の引退が発表されます。ことしの秋場所では、元関脇で十両の嘉風と元幕内で三段目の誉富士が記者会見を行い引退しました。幕下以下のほとんどの力士は相撲ファンに知られることも少なく角界を去ります。力士の引退とは何なのか改めて調べました。

力士は引退するとどうなるのか?

就任の記者会見で写真に納まる八角理事長(前列中央)以下の日本相撲協会役員(平成30年3月28日)

 

十両以上の関取経験者なら、一定の資格があれば、「年寄名跡」を襲名して、親方になれます。親方になれる資格は、横綱、大関、三役は1場所以上、幕内は通算20場所以上、幕内と十両を合わせて通算30場所以上と日本相撲協会の規定で決まっています。

「年寄名跡」の襲名は書類の審査を受けて、理事会の承認が必要です。親方になったら最初は平年寄から始まり、主任、委員、役員待遇委員、副理事、理事と階級があって、サラリーマンと似ています。このうち役員となる副理事と理事は年寄による選挙で選ばれます。

横綱と大関は、力士をやめてからも優遇される

明治神宮奉納土俵入りに参列した八角理事長(左端)は元横綱、尾車事業部長(左から2人目)は元大関、芝田山広報部長(右から3人目)は元横綱、藤島事業部副部長(右端)は元大関

 

横綱と大関は、現役時代からほかの三役以下の関取とは別格の扱いでしたが、親方になるときも特別扱いです。「年寄名跡」がなくても、横綱は5年間、大関は3年間、現役時代の四股名(しこな)のままで年寄になれます。しかもこの期間は平年寄ではなく委員と同じ待遇です。現在の役員や役員待遇委員の半数近い8人が横綱、大関の経験者です。

「年寄名跡」の襲名を認められた力士は、その後どうするか

師匠伊勢ケ濱親方と引退会見に臨む元幕内誉富士の楯山親方(左)(秋場所千秋楽)

 

まず相撲記者クラブやホテルなどで記者会見をすることが多いです。師匠と二人で現役引退と「年寄名跡」の襲名を理事会で認められたことを発表します。記者会見では現役時代の思い出に残る一番や、これからどんな力士を育てていきたいかなどが質問されます。

引退相撲で後援会長とあいさつする荒磯親方(元横綱稀勢の里)(令和元年9月29日)

 

年寄になっても親方の頭には半年以上、まげが残っていて、本場所の会場警備などでまげをつけている親方の姿がテレビの中継で見られます。

荒磯親方の断髪式でハサミを入れる横綱白鵬(令和元年9月29日)

 

国技館で引退相撲と断髪式が行われて、後援会の関係者や一門の親方、関取衆にハサミを入れてもらい、最後に師匠がまげを切り離します。その後、髪を整えた姿でファンにあいさつをします。

親方になれなかった場合はどうなるか?

親方になれなくても、引退した十両、幕下力士でふさわしいと認められれば、若者頭、世話人という日本相撲協会の仕事につくことができます。

表彰式で御嶽海から賜盃を受け取る若者頭の栃乃藤(秋場所千秋楽)

 

若者頭は本場所の表彰式の進行や幕下以下の若い力士の監督などをします。世話人は相撲用具の運搬や管理などを行います。若者頭は8名以内、世話人は13名以内という定員があり、空きがないとなれません。

引退して第二の人生をスタートする元幕内大喜鵬に花束が贈られる(秋場所千秋楽)

 

相撲部屋のマネージャーやコーチという肩書で相撲界に残る人もいます。しかし幕下以下の力士は新たな仕事で第二の人生をスタートする場合が多いです。

この記事を書いた人

北出 幸一

北出 幸一

相撲雑誌「NHK G-Media大相撲中継」編集長。元NHK記者。昭和の時代に横綱千代の富士、北勝海、大乃国らを取材し、NHKを定年退職後に相撲雑誌編集長となる。

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