HISTORY

第52回大会

1972年(昭和47年)12月10日~1973年1月1日

優勝 : 日立製作所

オープン化 大会規模拡大

この大会から、イギリスのFAカップにならい、「オープン化」が実施されました。具体的には、昭和41年から続いていた日本リーグ上位4チームと大学代表4チームという出場枠を排し、「中央大会」と銘打たれた最終トーナメント(いわゆる決勝大会)には、日本リーグ1部の8チームと各地域大会を勝ち抜いた16チームのあわせて24チームが出場する形となりました。 新方式で行われた大会でしたが、2回戦を突破してベストエイトに残ったのはすべて日本リーグのチームと、日本リーグ勢が貫禄を見せつけました。決勝は、これも日本リーグで最後まで優勝を争ったヤンマーと日立製作所の対戦。ヤンマーの釜本が先制点をあげましたが、日本リーグを制した日立製作所も山口が同点ゴール。さらに後半、日立製作所の松永がヘッドで決めて逆転し、日立製作所が2冠に輝きました。

第52回大会
第52回大会