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ワールドカップ あの熱狂再び 決勝トーナメント初進出から20年

サッカー 2022年11月30日(水) 午後5:36
ワールドカップ あの熱狂再び 決勝トーナメント初進出から20年

「あれから20年」

2002年、日本中が熱狂に包まれていました。日本と韓国で共同開催されたアジア初のサッカーワールドカップです。

現在、カタールで開かれているワールドカップで日本代表は日本時間、12月2日に1次リーグ最終第3戦でスペインと対戦します。決勝トーナメント進出をかけた戦い。初めて進出を決めたのは20年前、大阪でした。

初の決勝トーナメント進出


2002年6月14日、大阪の長居スタジアム。

日本代表のユニフォームを着たサポーターたちが試合前から次々と詰めかけました。



2回目の出場だった日本代表は初戦のベルギー戦で引き分け、初の勝ち点を獲得。

第2戦のロシア戦では稲本潤一選手のゴールで初勝利をあげました。



勝ち点「4」で迎えた第3戦の相手はチュニジア。4万5000人のサポーターの後押しを受け、日本は森島寛晃選手、中田英寿選手のゴールで2対0で勝利。勝ち点「7」のグループ1位で初の決勝トーナメント進出を決めたのです。


【NHK映像とともに】2002年 日韓大会


https://www3.nhk.or.jp/news/special/fifa_worldcup/special/article/03.html#mokuji16


日本中が熱狂


日本の初の快挙に列島が大いに盛り上がりました。



東京・渋谷のスクランブル交差点では信号が青に変わるたびに日本代表のユニフォームを着た若者たちが誰彼かまわずハイタッチ。

「ニッポン、ニッポン」と大きな声をあげ喜びをわかちあいました。



大阪では道頓堀川に掛かる戎橋やその西側の道頓堀橋にサポーターやスポーツバーで観戦していた人たちなどが続々と詰めかけました。興奮して橋の上から川に飛び込む若者が相次ぎました。

日本代表の活躍が大きな関心を呼び、社会現象となりました。



当時の盛り上がりについて、日本代表だった宮本恒靖さんは「あの時の日本全体の盛り上がりというかムーブメントというのはすごくて。代表選手たちを見送る人たちの多さとか、尋常ではなかった」と振り返っています。


大会の会場は日本全国10か所に


2002年の日韓大会。
5月31日から6月30日までの1か月間、日本と韓国、それぞれ10か所、合わせて20か所の会場で計64試合が行われました。

日本の10会場、皆さん覚えていますか。



▼札幌ドーム
▼宮城県利府町の宮城スタジアム
▼茨城県鹿嶋市のカシマスタジアム
▼新潟スタジアム
▼埼玉スタジアム
▼横浜総合競技場
▼静岡県袋井市の静岡スタジアム
▼大阪の長居スタジアム
▼神戸ウイングスタジアム
▼大分スタジアムの10会場です。

今もサッカーJリーグのチームの本拠地として、さらに音楽イベントなどでも活用されています。


世界のスーパースターにも関心


日本代表の活躍だけではありません。世界的なスーパースターたちのプレーも日本で見ることができました。

そのプレーはもちろん、ファッション、髪型なども注目されました。



ブラジルのエース、ロナウド選手。決勝でもドイツ相手に2得点、通算8得点で得点王に輝き、母国を5回目の優勝に導きました。

その奇抜な?髪型。「大五郎カット」とも呼ばれました。



そのロナウド選手をしのぐ人気を集めたのがイングランドのキャプテン、ベッカム選手です。イングランドの司令塔としてチームをベスト8に導きました。

プレーだけでなく「ベッキンガム宮殿」なるゴージャスな邸宅に、人気音楽グループ「スパイスガールズ」の元メンバーの夫人を大事にする姿も話題になりました。

金髪を頭頂部で盛り上げたソフトモヒカン。「ベッカムヘア」とも呼ばれたこの髪型が大流行。



街を歩けば必ず「ベッカムヘア」の男性を見られたものです。

「ベッカム様」が、この年の新語・流行語大賞のトップテンにもなりました。


各チームのキャンプ地で交流も


日本中が熱狂した2002年。
日本代表の活躍、世界の名プレイヤーの話題。ただそれだけではありません。



「全国各地」でもワールドカップと深い関わりが生まれたことも国民の関心の高まりを生みました。

出場チームの選手たちが大会前から調整を行うキャンプ地。

その地元では選手たちとの交流、子どもたちがそのチームの言語を勉強したり、給食でそのチームの郷土料理を食べたり…。

文化的な交流もワールドカップを身近に感じさせた大きな要因となりました。


大きな話題となった大分県の“中津江村”


全国のキャンプ地の中で最も話題となったのが大分県の旧中津江村(なかつえむら)、現在の日田市中津江村でした。



当時の人口は1300人ほど。山あいの小さな村は、カメルーン代表が大会前の事前キャンプを行いました。

なぜ話題となったのか?

カメルーン代表が到着予定日を過ぎても、全く来る気配がなかったのです。



それでも村民は待ち続けました。

そして、予定よりも5日遅れ、さらに午前3時すぎにもかかわらず、坂本休村長をはじめ、およそ130人の村民は笑顔で出迎えました。

その姿が感動を呼びました。



8日間の滞在中、地元の高校生と練習試合をしたり、村民と交流したり。

最後の壮行会では子どもたちが花笠音頭を披露すると、主力でJリーグでもプレーしたエムボマ選手やキャプテンのソング選手なども花笠を持って一緒に踊りました。



2002年の新語・流行語大賞の年間大賞は「W杯(中津江村)」でした。


今も交流続く


キャンプ地が縁で20年たった今も、カメルーンとの交流が続いています。

去年の東京オリンピックでもカメルーンの選手団が再び“中津江村”を訪れたり…。



今回のワールドカップカタール大会でも住民たちが応援動画を制作したりするなど交流が続いています。



カメルーンがワールドカップに出場したら、カメルーン代表を応援しています。

今大会、当時、キャプテンだったソング選手が監督を務めています。



当時のメンバーでその後、ヨーロッパのクラブでも活躍したエトー氏がカメルーンのサッカー連盟の会長です。



そのソング監督や選手たちを応援しようと、29日に行われたカメルーンとセルビアの試合では、観光施設に20人余りが集まりテレビ観戦しました。



キャンプを誘致した当時の村長、坂本休さんの似顔絵が入ったクッションを持ったりして声援を送りました。



試合はセルビアが2点をリードしますが“不屈のライオン”カメルーンはあきらめません。

2点差を追いつき、3対3で引き分け。日韓大会以来20年ぶりの勝ち点「1」を獲得しました。



20年前、当時中学3年生だった鷹野麻里奈さんがカメルーンの選手たちと一緒に踊った「花笠音頭」を披露。20年ぶりの音頭で祝いました。



20年前の村長、坂本休さんは「点差が開いても最後まで落ち着いていた。20年ぶりの勝ち点だったのでうれしかった。ソング監督は当時、キャプテンとして親密につきあったのでとても懐かしく感じた」とコメントしています。


熱狂を再び


日本中が熱狂した日韓大会から20年。



日本代表は決勝トーナメント進出をかけて日本時間、12月2日の午前4時から1次リーグ最終第3戦でスペインと対戦します。

サポーターの声援を後押しに2大会連続の決勝トーナメント、そして初のベスト8入りを目指します。


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