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【会見全文】大関昇進 御嶽海「まだ上の番付が そこを目指す」

相撲 2022年1月26日(水) 午後2:54
【会見全文】大関昇進 御嶽海「まだ上の番付が そこを目指す」

日本相撲協会は、26日の臨時理事会で、初場所で優勝した御嶽海の大関昇進を決め、協会の使者が昇進を伝えました。 大関に昇進した御嶽海の記者会見のほぼ全文です。

質疑応答


Q.今の気持ちは。
A.何かほっとしています。

Q.伝達式は緊張しましたか。
A.だいぶ緊張しました。

Q.使者が国技館を出たと聞いたところから少し表情が変わりました。
A.一生に一度のことなので、しっかり言えるのかどうか。それで緊張しました。

Q.口上の出来は。
A.満点です。



Q.口上の中に「感謝の気持ち」ということばを入れた理由は。
A.中学校から、恩師に「感謝の気持ちを忘れないで相撲を取りなさい」と。
大学に行ってもプロに入っても言われ続けたので、その恩師のことばを取りました。

Q.「自分の持ち味を生かし」ということばを入れたことについては。
A.中学校の石碑に(自身が所属する)出羽海部屋の28代木村庄之助さんの「自分の持ち味を生かせよ」ということばが刻まれていて、絶対にそれを使いたいなと。同じ出羽海部屋だったので。それを使わせていただきました。

Q.今まで支えてくれた人、部屋の思いを口上に込めたということですか。
A.そうですね。部屋ももちろん、いろんな人に支えられたり、いろんな人とつながれているので、その感謝を込めました。

Q.口上は誰かに相談しましたか。
A.ある方に相談して。「あとは自分で考えて」と言われたので、考えました。

Q.これで大関になりました。今どんな心境ですか。
A.スタートラインにようやく立ったという感じなので、ここから今まで以上に気を引き締めてやっていくしかないのかなと思います。

Q.「大関」と言われることに慣れましたか。
A.全然慣れていなくて、なる前から「大関、大関」と言われていたので。「まだなっていないです」ということをずっと言っていたので。大関と言われて、ちょっと自分の中では不思議に思います。



Q.小さい時に相撲を始めて、今の姿は想像できましたか。
A.小学校の時の何かのインタビューで、横綱より大関になりたいと言っていた自分がいたので。目標が達成できたと思いますね。「夢がかなった」です。

Q.世の中に久々の明るいニュース。
A.こういうコロナの中、いろいろな方々が大変だと思いますが、自分の昇進を見て、勇気をもらったとか、元気をもらったとかいろいろ聞くので、世の中のために何か出来ればうれしいなと思います。

Q.入門から7年でつかんだ大関の座。
A.長かったです。本当に大関候補とずっと言われてきて、いろんな方に先を越されて。すごく悔しい思いもしましたし「大関になる」と言いながらも、言っているだけじゃ本当だめだなと実感しました。この7年、いろいろ試行錯誤しながら、ようやく7年目でつかんだというのはうれしいです。

Q.つかむことが出来たきっかけは。
A.自分の地位にみんなから「慣れたんじゃないの?」とか「もう上に行く気持ちがないんじゃないの?」とか、いろいろ言われたことで、まだ上を目指している自分がいるし、ここにいる自分自身がいやだなと嫌気が差したというのが、奮い立たせる材料になったのかなと思います。

Q.初場所にはどんな気持ちで臨みましたか。
A.最後の20代、最後なのに20代前半のような元気のいい相撲を絶対に取って、みんなの気持ちに応えたいというのが一番大きかったですね。

Q.初日から千秋楽まで顔が引き締まっていました。
A.いつもはそんなに顔に出さないんですけれど、顔に出すことで自分の気持ちにも気合が入るというか引き締まる思いがしたので。いつも以上に厳しい顔になったのかなと思います。



Q.連敗もなく、足踏みもありませんでした。
A.それが一番大きかったと思います。しっかり気持ちを切り替えて、次の一番、あした1勝すればという思いでやっていました。

Q.過去2回の優勝とは違い、横綱が出場する中での優勝。
A.過去2回は横綱不在の状況で優勝して、皆さん「横綱いなかったでしょ?」と言われたんですけれど。今回は文句なしで、横綱も大関もいたので、優勝出来たのでよかったです。

Q.13日目から、ふるさとの長野県上松町の化粧まわしを着けました。
A.今場所から新しく地元から頂いて、いつ着けようかと悩んでいた時に、後半でいいかなと思いながらも、地元の皆さんのパワーをもらいたいなと思って。13、14、15日目と着けさせてもらいました。

Q.パワーは頂きましたか。
A.だいぶパワーはたまっていたので、頂きました。

Q.地元は大変なことになっています。耳には入っていますか。
A.そうですね。地元の方からすごくメッセージとか頂いているので。「これから、いろいろやるから」とか。盛り上がってもらっているなというのは実感しています。

Q.御嶽海関にとって上松町とは。
A.自分のふるさとで、相撲もそうですし、全部を育ててもらった場所ですね。

Q.東京場所、地方場所、いずれもコロナ禍の前はたくさんの応援団が来ていました。ファンにいい恩返しが出来るのでは。
A.そうですね。本当に場所を問わず応援に来てくれるので。すごい力になりますし、これからも続けてもらって、応援を力に変えていきたいなと思います。



Q.きょうは2年ぶりに両親に会いました。
A.うれしいです。2人の顔が見られてほっとしてます。

Q.江戸時代の伝説の大関、雷電以来の227年ぶりの長野県出身大関に。
A.ちょっと雲の上の存在すぎるので、自分がその後というのは、荷が重いと思いますね。

Q.師匠からも期待する声がありましたが。
A.気を引き締めてやらないといけないと、また思いました。

Q.どんな大関になりたいですか。
A.近寄りがたい大関というのが本当は目標ですけど、僕の性格上みんな話しかけてくれるので。土俵の上では人一倍気迫のある大関で、土俵からおりたらちょっとフランクな大関になれればなと思います。

Q.一横綱、三大関時代に。どんな存在感を示したいと考えていますか。
A.その中でも一番目立って、まだ1つ上の番付もありますし、そこを目指して頑張っていきたいなと思います。

Q.これからは追いかけられる存在に。
A.追いかけられる存在ですけれど、まだまだいろいろ追いかけるものがあると思うので、自分のことだけ意識してやっていきたいですね。

Q.今後の目標は。
A.大関の地位でも優勝したいというのはありますし、まだ上の番付が1つあるので、そこを目指してやっていきたいです。

Q.ファンの皆さんに。
A.大関になりましたけれど、ここからスタートラインに立ったと思って臨んでいきたいと思いますので、引き続き、さらなる応援をしてもらって、期待してもらって、皆さんの期待に応えて頑張りますので、応援よろしくお願いします。

Q.次は横綱になるために持ち味をどう磨いていきますか。
A.15日間まだまだ自分の持ち味を生かしきれてなかったりするので、15日間全部、生かしきれるようにやっていきたいと思います。

Q.コロナ禍で稽古に苦労しながらつかんだ大関。この2年間はどんな思いだったでしょうか。
A.コロナで明るい話題というのもなかったですし、なんとか僕が明るくしたいというのもあったので。稽古も出来ない状況でしたけど、しっかり気持ちだけは誰よりも強く「大関」と思ってたので、それがかなったのかなと思います。

Q.口上にもあったが「大関の名を汚さぬよう」と。汚さないために一番大事なものは何でしょうか。
A.そうですね、私生活からいろんな方が見てくれていると思うので、私生活から土俵をおりてからも、もちろん真面目にやっていくことではないかなと思います。

Q.小学生の頃に「横綱より大関になりたい」と。大関の魅力はどこにありましたか。
A.やはり地元だったので、雷電さんが大関というのをずっと聞いていたので。大関が一番強いのかなと、小学生ながらに思って、それが出ましたね。

Q.御嶽海というしこ名。長野県を象徴するしこ名への愛着は。
A.師匠に頂いた名で「名前を大きくするのも、小さくするのも自分しだいだ。頑張れ」と言われたので。地元にちなんだ御嶽海という名前が、今しっくり来てますね。


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