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羽生結弦 ~王者のめざした夢 めざす夢~

フィギュアスケートの羽生結弦選手。ピョンチャンオリンピックの男子シングルでは、ケガを抱えたまま圧倒的な演技を披露して、2大会連続で金メダルを獲得し、国民栄誉賞も受賞しました。
常に厳しい勝負と向かいあい、勝つことを求められてきた羽生選手。オリンピックから半年がたった今、どのような気持ちでスケートと向き合っているのか。3年間、羽生選手を見つめてきた担当記者が取材しました。(ネットワーク報道部記者 松井晋太郎)

トロントに向かって

記録的な猛暑になったことしの日本。残暑も厳しい8月下旬、私は、カナダのトロントに向かいました。

トロントは、6年前、17歳だった羽生選手が練習拠点を移した場所です。世界の頂点という大きな夢を抱いた若者は、この場所で一気にその階段を駆け上がりました。

頂点を極めた羽生選手がピョンチャンオリンピック以降、どのようにスケートと向き合っているのか、私は、最後となる羽生選手の取材に大きな興味を持っていました。

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真夏の球場からスケートリンクへ

プロ野球、巨人の担当記者だった私が、突然、フィギュアスケートを担当するように言われたのは3年前、2015年の夏でした。

フィギュアスケートは、私にとって最も縁遠い競技の1つで、実際に大会の会場に足を運んだこともありませんでした。

そんな私がフィギュアスケートの担当に、それも、すでにソチオリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦選手の取材を命じられたのです。緊張で身震いすると同時に、正直、自分にできるかなあ、と不安になりました。

この時は、自分が羽生選手の取材に、のめり込むことになるとは想像もしていませんでした。

アクセルに魅せられて

初めて羽生選手に出会った時のことを覚えています。

番組出演で渋谷のNHKに来ていた羽生選手に時間を作ってもらい、あいさつをしました。私が名刺を差し出すと、20歳の羽生選手は「よろしくお願いします。まずは、ジャンプの種類と回転数ですね」と、さわやかな笑顔が印象的でした。

ジャンプの種類と回転数を覚えるのは、フィギュアスケート取材では基本中の基本ですが、「踏み切る足は右足か? 左足か?」「どのように助走したのか?」「スケートの刃のエッジはどちらに傾けた?」担当になってからは、何回も何回も羽生選手の映像を見返しました。

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羽生選手の試合を初めて実際に取材したのは、2015年11月、長野で行われたNHK杯でした。この時見た、高くアーチを描いたようなトリプルアクセルの華麗さは、今でもしっかりと脳裏に焼き付いています。

トリプルアクセルは、羽生選手が最も得意としている強力な得点源で、前に向かっての踏み切りから着氷までに3回転半する独特なジャンプです。羽生選手は、子どもの頃の指導者から「アクセルは王様のジャンプ」と教えられたそうです。

勝利への執念

羽生選手の魅力は、何と言っても強いことです。それも圧倒的にです。それは、アスリートとして人を引き付ける重要な要素だと思っています。

羽生選手のその強さの秘密は、勝つ事への執念と現状に満足しない向上心にあると思っています。これまでの取材の節々でその場面をかいま見てきました。

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ショートプログラムとフリーの合計で世界で初めて300点を越える完璧な演技をした2015年のNHK杯。
「今の自分の限界値だが、自分の最後までの限界値かと言われたらそんなことはない。もっとできると思う。限界とか、最強のプログラムだとか、そういうのってこの世に存在しないと思う」

2016年の9月。カナダでの国際大会で世界で初めて4回転ループを決めて優勝するも転倒などで点数が伸びなかった後。「プログラムを完成しきれなかったことがいちばん悔しい。次の試合で絶対にノーミスで演技します。それぐらい練習します。そうじゃないと、そうじゃないと羽生結弦じゃない」

2017年3月。フィンランドの世界選手権でフリーでみずからの世界最高得点を更新して逆転優勝した際。「ずっと自分の記録にとらわれていたので、やっと一歩踏み出せた。とにかくオリンピックで金メダルとりたいのでどんなすきもないスケートを作りあげないといけないと感じた」

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ちなみに羽生選手は、4年前のソチオリンピック以降、9回も世界最高得点を更新し、ルール変更になった今となっては、永久に残る記録を持っていることになります。

最も印象深かったのがオリンピックシーズンとなった去年11月です。大阪でのNHK杯で挑戦の象徴と位置づけていた4回転ルッツの練習で転倒して右足首のじん帯を損傷した時。

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診察を受けた病院で車いすに乗りながら「何とか試合に出られないか。痛み止めを飲んだら出られるかな」と最後まで試合への出場を諦めていませんでした。

医師の判断で欠場を余儀なくされて松葉づえ姿でインタビューに応じてくれた時、「非常に不甲斐ない。ケガをするということはまだ下手なところがある。もっともっと強い自分になりたい」。

私は少なくともこの3年間、羽生選手が勝った時、その成績に満足して浮かれるような言葉を聞いたことがありません。そして納得がいかなかった時や負けた時、まわりのせいにしたり弱音を吐いたりしたのを聞いたこともありません。常に自分と向き合って勝負にこだわり勝利に執念を燃やしていました。

涙の金メダルから半年 そして再始動

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羽生選手はオリンピック2大会連続で金メダルを獲得した直後、「こんなにも本気でうれしく、達成感のあった試合、演技は、今までなかった」と「達成感」という言葉を口にしました。

これまで常に高いレベルに挑戦し続ける羽生選手の姿を取材してきた私は、少し意外でした。

しかし、今回のトロントでの取材でその答えがわかったような気がします。羽生選手は、「今までは期待に応えないといけない、結果を残さないといけないというプレッシャーがすごくあったが勝つとか負けるとかに固執しすぎる必要は、ないのかなと思った」と話しました。

そして「これからは、本当に自分のために滑ってもいいのかなと思ったんです」と正直な気持ちを吐露したのです。

その言葉を聞いた時に思い出したのは、オリンピックでの羽生選手の演技でした。本来、挑戦しようとしていた最高難度のジャンプ構成をケガの影響で回避してジャンプの種類を抑え、勝負に徹して獲得したピョンチャンでの金メダル。

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思えば、羽生選手は金メダルや優勝という自分の夢を、誰かのために滑るという思いを重ねることで、常に結果を出してきました。

その羽生選手が初めて語った「自分のために滑る」という言葉に、私は、彼が使命感から解放され「究極の夢」を追いかけようとしているのかなと思ったのです。

羽生選手 その次の夢 …4回転半

「究極の夢」とは、何か。

それは、クワッドアクセル=4回転半ジャンプのことです。
3年前、私が羽生選手にのめり込んだトリプルアクセルから、さらに1回転。前人未到のクワッドアクセル。
まさに夢のジャンプで「氷上の王者」にふさわしいものにとなると信じています。

羽生選手は、子どもの頃に描いた金メダルという夢を信じて努力を重ねて実現させてもなお、叶いきってない夢を追いかけ、それを楽しみたいと話していました。

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いろいろなスポーツ選手を取材してきた私にとっても、その姿勢こそが羽生選手に魅力を感じる最大のものでした。

羽生選手を取材させてもらった3年間、金メダルという夢に向かって、勝負に挑む厳しい表情を常に見てきました。これからは、大好きなスケートを自分のために目いっぱい楽しんでほしいと思います。

トロントでの取材の最後に羽生選手に質問しました。
スケートをしていて楽しい時は、と。

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羽生選手は、「やっぱり練習している時です。まだまだできないことがありますがそれを含めて楽しいです」という答えが返ってきました。そこには、スケートを始めたばかりの少年のような笑顔の羽生選手がいました。

私はこの夏の異動でスポーツニュースの現場を離れることになりました。しかし、私にとってこの3年間は、フィギュアスケートという競技の奥深さ、ドラマ性、おもしろさを教えてもらっただけでなく、羽生選手とは何者なのかを考え続け、その姿勢にみずからの生き方をかえりみた贈り物のような3年間でもありました。

私は、羽生選手が自分のためにクワッドアクセルを跳び、そして、それが多くの人たちにとっての夢の実現になることを祈っています。

松井 晋太郎
ネットワーク報道部記者
松井 晋太郎