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実況アナが見つめる甲子園100回目の夏 “高校野球は楽しい!”

いよいよ開幕する夏の全国高校野球。

100回目となることしは、選手、OB、将来を夢見る子どもたち、そしてすべての高校野球ファンにとって、特別な大会となるに違いない。

それは、中継の実況を務めるアナウンサーにとっても同じだ。大阪放送局の小野塚康之。30年以上、野球実況一筋に携わり、ハイテンションな独特の語り口から、ネット上では「実況の神」とも呼ばれる名物アナウンサーだ。100回目の夏、小野塚は何を見つめ、何を思うのか。そのメッセージを寄せてもらった。

100回の重み “レジェンド始球式”

今大会、私・小野塚が楽しみにしていることの一つは、毎日第一試合の開始に際して行われる「レジェンド始球式」だ。私にとって、高校野球ファンにとって、なんという至福の時であろうか。

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日付で示したが、開会式後のオープニングゲームからこのすてきなセレモニーが準備され、決勝まで順延などなければ上記のスターたちがマウンドに登る。

私は仕事として高校野球と向き合ってはいるが、基本的には単純・単細胞な野球ファンであるから、このメンバーを突き付けられた瞬間から、“野球心”が揺さぶられている。

もっとも古い方で中西太さん、新しい人で本間篤史さん。中西さんの現役時代は存じ上げないが、イチローや田口壮がいるオリックスでコーチされていた時に野球の奥深さを教わったり、本間篤史さんの駒大苫小牧は、その前の選手権初制覇を実況した身近さからも、田中将大擁する実力校を強い関心を持って見ていたので印象深く記憶に残った選手である。

一人一人に対する思い入れがあり、私の脳みそはエピソード満載なので、例えば誰かを相手にお話をするならば1か月程度は要するだろう。

この大役を果たされる多くの方にプロ野球中継の場などでさまざまな有意義なお話を聞かせて頂いたりしている。改めてそのことも贅沢なことである。

先日、プロ野球開催中の甲子園で8月11日を担当する水野雄仁さんにお目にかかり、「僕、やるんですよ」とこのレジェンド始球式登板の話が本当にうれしそうで、少々紅潮した表情は、当時の「阿波の金太郎」そのものだった。

安仁屋さん、板東さん…皆さん今でも高校野球を熱く見つめて下さっていて、私が放送を担当していることをご存じの方は、プロ野球の現場などで今の高校野球に対する思いなどを語ってくださる。

もう一つだけこのセレモニーの楽しさを加えておくと、ここに名前のない人たちについてである。「なんであの人は投げないの」「この人よりあっちの人でしょ」「バッターが少ないよ。あの人は入れるべき」とか、これでも盛り上がる。もちろん毎日の始球式を見て、その選手の時代や、地元の選手、あるいは「当時のわたし」を振り返っても楽しいかもしれない。何しろ、おすすめの「好企画」だ。

「高校野球の力」

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100回というのは何とも大きな数字だと感じる。

NHKに入局して38年、甲子園の高校野球の全国放送を担当して32年、この世界では「一番のベテランですよね」とか「なんでも見てますよね」とか言われるが、長い歴史からすると半分にも及んでいない。

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1998年の80回大会で

小学校中学年から野球に明け暮れる子ども時代を過ごしていたので、“甲子園”はよくテレビ観戦していたが、それでもはっきりと記憶に残っている最初は、10歳の1967年、昭和42年の第49回大会だ。

この年は習志野(千葉)が初優勝をした。ただし、記憶に鮮烈に刻まれたのは、決勝戦で敗れた広陵の小柄なサウスポー・宇根洋介投手の力投だった。自分自身が右利きだったし、当時は私の周囲には左利きがほとんどいなかったせいもあり、興味と、かっこよく見える左腕への憧れからだったようだ。

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宇根洋介投手

その宇根さんに30年後、広島放送局勤務時代にお目にかかった時には震えるほどうれしかった。平成22年、その宇根さんが旧・広島市民球場閉鎖に伴うラストゲームで始球式ならぬ“終球式”をした。現役時代のイメージが残るフォームで投球する姿に涙がにじんだ。宇根さんと交流があったわけでもないのだが、これだけの感動を覚えるというのも「高校野球の力」だと思った。

話がそれたが、放送の仕事と学生時代を合わせても50回分しか知らないのだった。開催回数の多い大会を私なりに調べてみたが、天皇杯サッカーが98回、関東大学対抗駅伝“箱根駅伝”でも94回、100回三桁となるとゴルフの全米オープンやテニスのウィンブルドンの域に入ってくるわけだから、高校スポーツとしては大変なものだと思う。だから、私の生涯のテーマの一つにもなったのだ。

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“全チームのグラウンドを訪ねた”

高校野球に結び付けて人生を振り返ると、私が生まれたのは1957年(昭和32年)。第39回大会、甲子園戦術を確立した広島商業が4回目の全国制覇を果たした年、また話題の中心は春夏連覇を目指すセンバツ優勝の東京の早稲田実業・王貞治投手だった。後の世界のホームラン王だ!もうこの年に生まれた以上、野球にかかわるしかないという出生年である。

そしてその後、好きな野球を続け、1980年(昭和55年)にNHKに入局し、アナウンサー人生をスタートさせた。野球に近いところで人生を送りたい。そんなことも考えての就職先だった。

鳥取放送局に新人として赴任した当初から、迷いなく甲子園の実況を最初の目標とした。野球に対する思い入れは強かったが、アナウンサーとしては下手すぎて、ニュースや司会やインタビューなど何をやっても叱られ、視聴者の方からも「ダメ出し」をいただく毎日だった。

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1981年 実況の練習をする筆者(中央)

でもそれしかなかったので、取材やら「自主トレ」を続けた。野球関係者は皆さんあたたかく応援してくださった。そうこうするうち夏の県大会がやってきて、野球放送要員が不足する中、チャンスがやってきた。

ほかのジャンルの放送が下手すぎたせいもあるのか、高校野球は初めて褒められた。何しろ、アナウンサーの中ではルールや戦術に詳しいし、隠れて取材もしていたことも功を奏した。

ここから流れが変わった。野球実況の方向性が、“甲子園の道”が見えてきた。でも、誰でもなれるものではない。それなりの競争がある。もうこうなるとチームと一緒だ。勝ち抜かなければ。日本一の練習をしようと。さらには戦術だ。どんな野球放送をしたいか?これが、実は大きなポイントだったと思う。

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高校野球は周囲が見ているよりもはるかに複雑なのだ。「高校野球というと基本に忠実でセオリーをしっかり貫く」…実際はそんなことはない、明日なき連戦の戦い。プロのように戦力が整っているチームばかりではない。ピッチャーだって足りなくなることもある。経験の少ない選手が突然登板したり、裏をかく先発起用がある。

攻撃でも、常識的にはバントをしないケースに実行してみたり、相手が予想しない奇策を展開したりとビックリもさせられる。よってさまざまな角度からの取材や研究が必要なのだ。いちいち驚いていては放送にならないし、私自身は先読みを武器にしようと思った。

鳥取では当時20校しかなかったので、大会前には全チームのグラウンドを訪ねた。高校野球は、それぞれの学校や地域で与えられた環境の中で最善を尽くす知恵と工夫の集積だと捉えることにした。すると一校一校、一人一人に特徴が見えてきて愛着を覚える。私の原点だ。

“サヨナラボーク”のメッセージ

昭和61年春センバツで甲子園全国放送の実況を始めてから33年目、これまでに一体どれだけの実況を担当し、試合を取材してきたのかわからない。次へ次へと向かうのが実況アナウンサーの習性なので、過去の記憶というのは意外にあいまいだ。

特に名勝負などと周りが注目して見ている放送はそうだ。いい試合は、集中力は必要だが試合の流れに乗っていける。大差やミスで決まってしまうゲームのほうが、伝え方が簡単ではない。だからそうした試合のほうが印象に残り、学ぶことが多かった。

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松井秀喜さん(1992年)

松井秀喜さんの5連続敬遠などがその例だが、私がいまでも大切にしているものを与えてくれた試合がある。実況していたわけではない。

1998年第80回記念大会2回戦、豊田大谷(東愛知)対宇部商業(山口)。

延長15回裏、豊田大谷、無死満塁のチャンス、マウンドにはここまで210球の熱投を続けてきた172センチ60キロと小柄な細身の2年生エース、左腕の藤田修平がいた。

宇部商業にとっては、1人帰ればチームが敗れる大ピンチ、チーム全体が慎重になる。

キャッチャーが「配球を読まれまい」と、いったん決めた球種を変更、すでに一連の投球動作に入っていた藤田がこの2度目のサインで動きを止めた。

林清一球審がボーク判定、3塁ランナーが帰還して豊田大谷の勝利となった。本人も認める明らかなボーク、疲労と緊張でいつもと違うサインの出し方についていけなかったそうだ。

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このケースで学び、テーマとして受け止めたことは、まず、“サヨナラゲーム”は予測しても、ボークまで自分の頭にあったか、次に、仮に備えていたとしてその瞬間に何をどう理解するかだ。

コメントを準備するという意味ではない。主には瞬間的に人の気持ちをどう理解できるのかだと考えている。

その瞬間にかかわる人々。ボークをした人、複雑なサインを出したキャッチャー、監督、判定した球審、勝って喜ぶ打者、小躍りしてホームベースを踏むランナー、勝ったアルプス、負けた方、地元では、それぞれの該当者の家族は…。

実況中継は発生瞬間直後だ。関係者に「あと取材」して検証することなどができるスポーツ企画やドキュメンタリーとは違い、即時という部分では過酷である。結論はわからない。でもこの時からスタートして、いまでも自分の中にあるのは、1つのプレーや1つの試合、1つのチームに多くの人たちの気持ちが動いているということだ。

私が思う実況アナウンサーとして大切なのは、その時「何を言うか」ではなく、そこでしゃべっている私のトーンがあっているかどうかだ。さまざまな立場の人がその瞬間を見ている中で“フィットしているか”なのだと思う。

幸運にも言葉になることもあるかもしれない。黙るほうが共感を呼ぶのかもしれない。やはり重要なのは人の気持ちと、「熱」なのかな。

高校野球は楽しい!

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高校野球の将来は、正直言って分からない。私はことし61歳になったが、今まで何を自分の幹として生きてきたかというと、それは間違いなく“野球”だ。高校野球はその中心でもある。

別に選手であったわけでもないのに、思い切りむきになり、ほかのことに優先させて野球と接してきた。甲子園のすぐ近くにも移り住んだ。家族にも申し訳ないと、この年になって反省もする。

でもやめられない。胸を張って言いたい。

“高校野球は楽しい!皆さん野球やりましょう!”