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日本で甦る ゴッホが追い求めた“色彩”

後期印象派を代表する画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。

数々の傑作を残したゴッホですが、世に出ず、失われてしまった作品もあります。

そんな作品の1つを現代の画家の手で復元しようという試みが関西で行われました。

ゴッホが残したスケッチを元に、日本人の画家が1枚の作品に仕上げようというこの試み。

カギとなったのは日本の「浮世絵」の色彩でした。いったいどんな作品となったのでしょうか。(大阪放送局リポーター 山下美咲)

幻の作品「恋人たちのいるラングロワの橋」

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きっかけは、ゴッホが残した一通の手紙です。

1888年、当時35歳だったゴッホは、フランス南部の町アルルを訪れました。

アルルは、ゴッホにとって大きな意味を持つ場所です。後年、ゴッホはこの地で新たな境地を見いだしたとされています。

そのアルルに到着して間もないゴッホは、そこから友人に宛てて1通の手紙を送っていました。手紙には、アルルの美しさとあふれる創作への意欲を興奮気味に語る言葉が並び、制作中の作品として一つのスケッチが添えられていました。

「何とかものにしようと思って取り組んでいる」(ベルナール宛ての手紙 1888年)

跳ね橋や川のほとりを歩く恋人たちが描かれたスケッチ。ただ、ゴッホがなんとしても仕上げたいとしたこの作品は、現在は残っていません。

仕上げにどうしても満足できず、完成させることができなかったとも言われています。

絵が完成していたのかどうかも定かではなく、幻の作品となってしまいました。

幻の作品 復元に挑む

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仮にゴッホがこの絵を完成させていればどんな作品だったのか。

この絵を復元させようという取り組みが関西で始まりました。

プロジェクトのリーダーは世界的なゴッホの研究者、大阪大学の圀府寺司教授です。

圀府寺教授は、この絵がゴッホの作品を研究するうえで大きな意味があると考えています。

この作品が描かれたのはゴッホがアルルに到着して間もない頃、ゴッホが創作上のさまざまな実験を繰り返していた時期でした。実際に、ゴッホはこのアルルで数々の作品を仕上げています。

「種まく人」や「アイリスの咲くアルル風景」、「ひまわり」など、のちのちまで傑作として知られる作品も少なくありません。

圀府寺教授は「この時期のファン・ゴッホはいちばん脂がのっていた。その時期の作品を明らかにすることはとても大きな意味がある」と話しています。

ファン・ゴッホにひかれて

実際に絵を担当することになったのは画家の古賀陽子さんです。

兵庫県西宮市出身の古賀さんは人物画を得意とする新進気鋭の画家です。イギリスやイタリアで絵を学び、古典的な技法をもとに人物の内面を繊細なタッチで描き出す作風です。

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古賀陽子さん

古賀さんが、このプロジェクトに参加したのは、ある映画がきっかけでした。ゴッホをテーマに全編を油絵で描いたアニメーション映画です。

世界各国から120人余りの画家が参加したこの作品の制作に古賀さんは日本人として唯一参加したのです。

映画には数多くのゴッホの作品の模写や翻案が登場します。古賀さんもその一部を手がけました。

ゴッホのタッチや画風を学ぶうちにゴッホにひかれていった古賀さん。

「ゴッホの幻の作品を蘇らせることができるのなら、なんとしても参加したい」と感じたといいます。

手がかりは日本にあった

ことし7月。復元が始まりました。

元となるゴッホの絵は誰も見たことがありません。同じ時期に描かれたほかの作品や文献を元に、圀府寺教授や海外の研究者と古賀さんが話し合い、キャンバスの大きさや構図など全体像を推測して決めていきます。

実は、ここで大きな手がかりが残されていました。

この作品の一部がゴッホの別の作品として現存していたのです。しかも、なんと日本に残されていました。

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「水夫と恋人」(個人蔵)

その絵は、「水夫と恋人」と名付けられた油彩の小品で、女性が男性の肩に腕をかけて歩く後ろ姿が描かれています。スケッチに描かれている、川のほとりを歩く男女の部分だけが切り取られたものと考えられます。

復元のために、古賀さんと圀府寺教授は、この作品の実物を直接見て模写できることになりました。

思い切った筆遣いで描かれた「水夫」の帽子。繊細なタッチで描かれた穏やかな川面。この小さな作品の中だけでも、多彩な表現が詰め込まれていました。

絵筆を手に、絵を眺める古賀さんの表情も険しくなります。

「これまでゴッホは思いつきや勢いで筆を走らせていると思っていましたが、リズムがあり、かつ単調ではない。一つ一つのタッチに魂がこもっていてすごいと思った」(古賀陽子さん)

もう一つの手がかりは黄色い空

残されたもう一つの手がかり、それはスケッチに書かれていたメモです。

ゴッホは手紙で作品のイメージを伝えるため、スケッチの中に色を指定するメモを書き残していたのです。水面の色は「エメラルドグリーン」。道の色は「ローズ」=「バラ色」と記されていました。

中でも、圀府寺教授が注目したのは空の色です。スケッチには地平線にかかった大きな太陽が描かれ、空の色は「黄色」と指定されていたのです。

太陽からは幾筋も光ぼうが描かれ、沈みゆく夕暮れの太陽のイメージよりは、はるかに力強い印象を与えています。

それにあわせるかのように、空の色は「黄色」です。

ゴッホはこの後の作品で、何度か黄色の空を描いています。

しかし、圀府寺教授は時期的に見て、この作品がゴッホが初めて描こうとした黄色い空だったのではないかと指摘します。

「当時、黄色の空を描こうとしていたのはとても革新的で、もし作品が残っていたらとても優れた作品だったと思う」(圀府寺教授)

この時期のゴッホは、目に見える自然の色から離れ、極めて鮮やかな色彩を取り入れようとしていたというのです。

ゴッホが抱いた日本への憧れ

その背景にあったのは、ゴッホの日本への憧れだったと見られています。

ゴッホはスケッチが描かれた手紙にこんな言葉を記しています。

「この国(南仏)がそのみずみずしい雰囲気と楽しげな色彩効果のゆえに僕には日本と同じぐらい美しく見える」(ベルナール宛ての手紙 1888年)

ゴッホは、日本から渡ってきた浮世絵を通じて、日本に深い憧れを抱いていました。そして歌川広重など3枚の浮世絵の模写を残しています。

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「花咲く梅の木」(ゴッホが広重を模写した作品)

その絵は、版画で刷られた浮世絵と油彩という技法の違いはありますが、浮世絵を忠実に模写しようとしていたことがうかがえる作品となっています。

ゴッホは浮世絵を通じて、西洋にはなかった構図や色使いを学んでいました。例えば、はっきりとした輪郭線や意外性のある色彩など、この時期のゴッホの作品には浮世絵の影響が色濃く見られるとされています。

アルルの風景に憧れの日本を見たゴッホは、作品の中にも浮世絵の風景を醸し出そうとしたと考えられます。

困難を極める復元作業

復元の方針は決まりました。目指すのは、ゴッホが憧れた浮世絵の表現です。

古賀さんは大胆な色使いで、コントラスト豊かな風景を浮かび上がらせます。

ゴッホが追い求めた色使いを再現しようと、黄色の絵の具にほかの色をまぜ独特の色合いを探します。

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また、絵の具自体もゴッホが絵を描いた当時の質感を再現するため、古賀さんが独自に調合しました。

描いては修正し、修正しては描き直す。試行錯誤が続きました。

あるときは圀府寺教授から「このままだとゴッホらしくない」という厳しい指摘が飛びました。

古賀さんは言います。

「ゴッホの画風をまねして描くだけなら難しくはない。ただ、ゴッホが描こうとした絵を精密に復元するためには、もっと精緻に描く必要がある」

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目指しているのはゴッホが本当に描きたかった作品を再現することです。古賀さんのアトリエには、描き直したキャンバスが何枚も積み重なっていきました。

たどりついた一つの答え

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復元された「恋人たちのいるラングロワの橋」

そしてことし9月。

古賀さんたちが復元したゴッホの幻の作品「恋人たちのいるラングロワの橋」が、札幌で開かれている「ゴッホ展」の会場で公開されました。

隣にはゴッホ自身が描いた「水夫と恋人」の実物も並んで展示されています。

色彩はゴッホが目指した色合いにより近づくようにとメモに書かれた色の指示を忠実に再現しました。

空は、浮世絵を意識して平たんな黄色に塗られ、その代わり、ゴッホの多彩なタッチや、勢いのある筆遣いによる躍動感を表現しました。

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気になる来場者の反応はー。

「インパクトがすごくて、印象にすごい残る絵だなと思います」

「色の使い方が想像できなかった。空の黄色はなかなかすごいなと思う」

大勢の人が足を止め、真剣なまなざしで復元された作品に見入っていました。

圀府寺教授は「革新的な作品がこうして見えるようになると、ゴッホの印象がだいぶ変わります」と話していました。

プロジェクトを通して、古賀さんは「今まで見てきたゴッホの絵とは違った配色のしかたで、ゴッホはこれを表現したかったのかと感じることが出来ました。この時期はゴッホの生涯でいちばん希望にあふれていた時期だったので、そういう時代にゴッホはどういう絵を描いていたかを見てほしいです」と話していました。

研究はまだまだ続く

今回、完成したゴッホの幻の作品。元の作品が残っていない以上、本当に復元できたかどうか、正解はありません。

古賀さんたちも、今回の作品は、あくまで今の時点での答えであり、今後、終わりのない研究が続くことを強調していました。

取材を始めた頃は、やさしくて暖かみにあふれた古賀さん本来の画風と情熱がほとばしるゴッホの画風とは、方向性が異なるように感じました。

しかし、古賀さんが試行錯誤を繰り返しながら作品を仕上げていくにつれて、絵の印象やタッチがどんどん力強くなっていくのを直に感じました。

ゴッホが追い求めた作品はどうだったのか?

一人一人が古賀さんたちの作品を見て、思いをはせてもらいたいと思います。

この作品が展示されている「ゴッホ展」は、10月15日までは札幌で、また、10月24日から東京、来年1月20日からは京都でも開かれます。

山下美咲
大阪放送局リポーター
山下美咲