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貿易摩擦再燃? トランプ政権どう攻略

アメリカのトランプ大統領がTPP協定からの離脱を決め、経済問題で日本を名指しで批判するなど、不安が高まる中で行われた2月の日米首脳会談。
しかし、ふたを開けてみれば、安倍総理大臣とトランプ氏が“蜜月”ぶりを演出し、懸念していた経済問題での厳しい批判や要求もなかったということで、日本政府や経済界はひとまず安堵しました。
一方で、両首脳は、貿易問題などを協議する「経済対話」の枠組みの設置で合意。過去を振り返れば、両国には激しい貿易摩擦の歴史があり、今後、この枠組みを通じて厳しい要求があるのではないかという声も絶えません。
日本は「経済対話」にどう臨むべきなのか?
日米の厳しい交渉を知る当事者たちの話から、そのヒントを探りました。
(政治部・森田あゆ美記者/栗原岳史記者/加藤雄一郎記者)

壊れたガラス細工

2年余りにわたって膨大な時間と労力を費やし、アメリカも含めた関係12か国で合意にこぎ着けたTPP=環太平洋パートナーシップ協定。

各国による微妙な譲歩と妥協を積み重ねた合意は、「ガラス細工」にも例えられました。

しかし、アメリカのトランプ大統領は、就任直後に、協定からの離脱を決め、一瞬にして崩れ去りました。

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同盟国に、一方的に合意をほごにされる形となった日本。

その交渉をど真ん中で担ってきたのが、自民党の甘利明前経済再生担当大臣。

甘利氏は、今、何を思っているのか。取材すると、もどかしさにじませながら、次のように語りました。

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「TPP協定は、1つ崩れたら全体が壊れてしまうような状況の中で、何とかうまく収めてきました。明け方まで交渉が続くこともあったし、机をたたいて交渉を打ち切ったこともある。そういう交渉を経て、せっかくまとめたのに、没するというのは、アメリカにとっても、他の11か国にとっても、もったいない・・・。もったいないことです」

一方で、甘利氏は「同盟国のアメリカの要求に、入り口で取り合わないというわけにはいかない」と話し、トランプ政権が2国間を重視するという現実と向き合い、前に進む必要性も強調します。

多国間でも苦労したアメリカとの交渉。今後の2国間での「経済対話」に、どのように取り組めばいいのか。

甘利氏が指摘したのは、「貿易だけにとらわれない、包括的な協議の重要性」です。

“安倍ートランプ”両首脳の関係であれば、日本が主導できる余地があるとしています。

「経済対話は、『マクロ経済政策』や『インフラ投資・エネルギー』、『2国間の貿易』と、大きく3つに分かれている。この対話の良い点は、貿易分野だけで赤字を減らすという観点ではなく、エネルギーや投資分野などとあわせて考えられるということです。貿易部分のアメリカ側の赤字を、例えば、日本は、エネルギーを持っていないから、アメリカからの輸入を増やして相殺するなど、包括的に協議を進められます」

そのうえで、甘利氏は、アメリカとの今後の2国間対話でも、TPPの意義や理念はトランプ大統領に伝え続けるべきだとしています。

「トップが『離脱』と言った以上、全面否定することはメンツを潰してしまいますが、いつでもアメリカが入れる状態にしておくことは重要です。安倍総理大臣は、すでにトランプ大統領に対して、TPPの意義を何度も説明してきていますが、今後も、『考えていることは一緒だ』と説明しながら、理解を促す作業を続けていくべきです」

アメリカは甘くない

果たして、2国間の「経済対話」は、日本のねらいどおり展開されるのでしょうか。

日米両国の間には、過去に何度も貿易摩擦が生じてきた歴史があります。

とりわけ、最も過酷だったとされるのが、20年余り前の貿易交渉です。

発足から間もない当時のクリントン政権が、自動車分野などの貿易が不均衡だとして、日本側にその解消に向けた協議を持ちかけ、2年間にわたり、厳しい交渉が繰り広げられました。

交渉の矢面に立ったのは、後に総理大臣も務めた橋本龍太郎通産大臣。

その時、橋本通産大臣の秘書官として交渉を間近で支えていたのが、民進党の江田憲司代表代行です。

江田氏は、日本が容易に主導権を握れるほど、アメリカは簡単な相手ではないと指摘します。

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「2国間で協議をやるとなれば、困難な局面を迎えると思います。多国間での協議は、小国でもスクラムを組めば大国の要求をはねつけられます。でも、2国間だと、どうしても日米の国力の差が出るし、最後は、やはり、アメリカ側は安全保障の話を絡めてくるんですよ。『安全保障ではきちんとやってあげているんだから、経済では降りろ』ということが、あからさまに出てくると思います」

では、具体的にどんなものだったのか。江田氏は、みずからの経験を次のように振り返りました。

「日本車に使われるアメリカ製品などについて、『結果主義だ』として、数値目標を求めてきました。日本側は『数値目標は市場主義経済に反する』と反論したんですが、アメリカは譲りませんでしたね。一方で、国内の獅子心中の虫は、アメリカの言い分をそんたくする外務省でした。外務省は、アメリカに対しては『恐る恐る』ですから、この手の話になると、すぐに、『そのくらいで降りろ』とか、『無理をするな』と言ってくるんですね」

そのうえで、江田氏は、当時の度重なる交渉の様子を記した日記を見せてくれました。

橋本大臣と、アメリカのカンター通商代表の発言が克明に記されています。

アメリカの自動車の貿易赤字について、為替や、アメリカ製品の競争力の低さに原因があると指摘していた日本。
これに一切耳を傾けないアメリカが、とにかく市場を開けと要求していた様子が見て取れます。

(カンター)
「問題は、そんな理屈ではなく、とにかく日本市場は、外国品を差別的に扱っているということだ」
「円高であれ、円安であれ、米国品に競争力があろうとなかろうと、(日本の)市場がクローズしているのが問題なんだ」

橋本氏の強い姿勢も随所に記されています。

(橋本)
「私こそ政治家だ。あなたのサジェスチョンは受けない」
「私を信頼しないなら、これ以上話しても仕方がない」
「何回も、何回も同じ事を言わせるな。明確にノーと言っている」

2人が激しい応酬を繰り返した末に、カンター氏が橋本氏に大声を張り上げ、橋本氏が頭を下げる場面も記されています。

(カンター)
「あなた(橋本大臣)が米国政府のインタレスト(国益)に興味を持たないなら、これ以上やってもむだだ」

(橋本)
「言葉が過ぎていれば許してくれ」

決死の覚悟で臨んだ交渉

カンター氏の圧力に、何度も土俵際に押し込まれそうになった橋本氏。

そこで、橋本氏は、ある“パフォーマンス”を披露しました。

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カンター氏が握る竹刀を、橋本氏が、みずからのどに突きつけたのです。

江田氏は「橋本氏が、決死の覚悟を示して、反転攻勢をかけようとしたものだ」と明かしました。

「この竹刀は、橋本氏が剣道家だと知っていたカンター氏からプレゼントされたものです。橋本氏は、その握り方をカンター氏に教えていたんですが、急に、きゅっと自分の首元に向けた。それは、『まさに決死の覚悟でやっている』ということをカンター氏に伝えようとしたのです。アメリカの要求は受け入れられない。決裂覚悟だということです」

国際社会を味方に

こう着状態が続いていた日米交渉。起死回生の策として、日本側が打って出たのが、「国際世論」に訴える作戦でした。

交渉期限が迫った1995年5月に開かれたOECD=経済協力開発機構の閣僚会合。関係各国とともに、「アメリカ側の主張は一方的だ」と非難する文書の取りまとめを目指したのです。

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江田氏は、当時をこう振り返りました。
「閣僚会合に行く前に、橋本大臣、担当の局長、審議官らで協議して、アメリカの理不尽な要求をはねつけるためには、『明日は我が身』と思うヨーロッパ、OECD各国を、アメリカの一方的措置はWTO違反だということで味方につけるしかないと。国際的なスクラムを組むという明確な戦略を立てました。まさに、乾坤一擲の大勝負という気持ちでしたね」

この戦略のもと、実働部隊として交渉の取りまとめにあたっていたのが、自民党の齋藤健農林水産副大臣です。当時、通産省米州課の筆頭課長補佐を務めていました。

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「アメリカとがっぷり四つの状態では、限界がありました。『アメリカ側が数値目標を示して、それに応じないと制裁を科すと言ってきている』とか、『こんなことがまん延したら世界経済がおかしくなる』などと説いて回りましたね」

こうした日本側の主張に、各国は軒並み理解を示し、結果として、日本が主導する形で、25の加盟国のうち、アメリカを除く24か国が同意した形となり、作戦は成功しました。

齋藤氏は、このときの閣僚会合が、逆風が続いていた日米交渉の情勢を変える転機になったと言います。

「アメリカに孤立感が出たときに、状況が変わったと思いました。アメリカに自動車を輸出していたヨーロッパの国を含め、どの国も、アメリカの一方的な措置を良くないと思っていて、共感が得られました。そういう情勢を見て、アメリカも、あまり押せないと思ってきたのではないでしょうか」

齋藤氏は、国際社会を大きく巻き込んで展開された、このときの交渉を、「戦後最大の日米通商交渉」と振り返ります。

「冷戦時代は、アメリカ国内に、自民党政権を揺さぶると、社会党政権に代わってしまうかもしれないという脅威があり、経済分野での日米摩擦は、どこかでブレーキがかかるメカニズムがありました。しかし、クリントン大統領が登場した後は、もう55年体制を心配する必要はなく、徹底的にやってやろうという空気になっていました。まさに、戦後最大の日米通商交渉になりましたね」

大統領の国 アメリカ

2年にわたって繰り広げられた交渉は、1995年6月、ジュネーブで3日間にわたって行われた最終交渉の最後の日に、アメリカ側が一転、大幅に譲歩する形で幕を閉じました。

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最後の最後まで、交渉の決裂を覚悟していたという江田氏。

「カンター氏から、『クリントン大統領と電話するので15分後に来てくれ』と言われました。妥結は期待していなかったので、アメリカ側から譲歩すると聞いたときには、驚きました。と同時に、カンター氏は、クリントン大統領から、きちんと指示をもらっていなかったのだ、とも思いました。今後、日米交渉を行うにしても、おそらく、閣僚レベルではだめで、最後はトランプ大統領に上げて、バタバタと決まるのではないでしょうか」

一方、齋藤氏は、アメリカとの交渉にあたっては、大統領とスタッフの関係を理解する必要があると指摘します。

「アメリカは、大統領が依頼人で、実際に交渉する担当大臣は大統領に雇われた弁護士の関係に近い。日本は、事実関係を重要視するが、アメリカは、何が取れるか、という交渉姿勢で、かみ合わないことが多い。そうした中でも、日本として絶対に守らなければならない原則をはっきり言うことが重要です」

課題は

齋藤氏は、今後のアメリカとの交渉にあたって、人材の空白の懸念を指摘しました。

「当時は、70年代から、繊維やカラーテレビなど、日米の貿易摩擦がずっと続いており、アメリカとの戦いに慣れた人が多く、アメリカからタフ・ネゴシエイターと恐れられるような通産省の先輩が交渉のしかたを教えてくれた。しかし、日米間では20数年間、そういう厳しい交渉がなかったので、人材の空白ができている可能性がある。そこをよく注意して、交渉の態勢を作らなければいけない」

一方、江田氏は、野党幹部の立場も踏まえて、懸念を示しています。

「現在、日本の外交は、特にヨーロッパの国々と歩調が合っておらず、国際世論の共感を得られた90年代とは状況が違うので、今の日本のように、アメリカべったりと見られることが吉と出るか凶と出るか、見極めなければならない。結果として、信頼関係が本物で、アメリカの要求を跳ね返したら、良しとするが、国益を損ねることになったら、われわれ野党は批判することになる」

手腕問われる経済対話

今回、取材した3人の政治家がそろって口にしたのは、アメリカとの交渉の厳しさとともに、国際社会を味方につけることの重要性です。

今後、経済政策にとどまらず、貿易やインフラ投資など、幅広い分野で協議を進めていくという日米の経済対話。

2国間の交渉ではあるものの、国際社会の反応を見極めながら、アメリカに主張すべきことを主張するという、“絶妙な”交渉の手腕が問われそうです。

森田あゆ美
政治部
森田あゆ美 記者
栗原岳史
政治部
栗原岳史 記者
加藤雄一郎
政治部
加藤雄一郎 記者